明かされない能力
「じゃあ仁狼さん、送って頂いて、ありがとうございました。これからは、仲間として頑張りましょう」
ニコッと笑って、また頭を下げる。
「おう、頑張ろう」
葵ちゃんの笑顔を見ると、改めて悩む必要がないと感じた。
世界の成り行きに身を任せる。流れに抗うことなく、その時々で俺のできることを必死で頑張ればいいんだ。
「そうだ忘れてたぜ、約束してたろ。これ焼けてねぇやつだ」
「はい?」
葵ちゃんが親父の部屋にいるあいだに、アルバムから剥がした写真をポケットから取り出して渡す。
「……これ」
とたんにいろいろな思いがわき上がってきたんだろう。意思は伝わってくるが、どれも言葉にはできない。
ただ、ひと粒だけ流れた涙がぜんぶを語っている。
葵ちゃんはしばらく立ちすくんでいたが、キリッと顔を上げて笑顔を向けた。
「仁狼さん、ありがとう」
「おう、なんだったら今度、親父のアルバムぜんぶ見るか? 実家に行けば子どもの頃の写真も残ってるだろうし」
「ぜひお願いします!」
勢い込んで叫ぶ顔は、エルティと同じ天使の笑顔だ。
別れ際、葵ちゃんはエレベータの窓から見えなくなるギリギリのところまで手を振り続けてくれた。
家に帰ると、母さんは仏壇の前に座っていた。
「おかえり仁狼……ごめんなさい。せっかくの楽しい夕食だったのに」
「なに言ってんだ。実は俺、今朝親父の夢見たんだけど……」
「え?」
「色々話したんだが、最後に母さんに伝えることはないかって聞いたんだ。
そうしたら、『こっちでは元気でやっているから、心配するな。また逢えるのを楽しみにしていると伝えておいてくれ』って言っていたぜ」
「そう……仁狼も見たの」
も、ってことは、母さんも……親父のやつけっこうマメだったからな。また仏壇に向き直る姿に、何も話しかけることができなかった。
キッチンに戻ると、テーブルに置かれた母さんの皿の中身がほとんど手付かずだったので、ラップに包んで冷蔵庫にしまっておく。
空の皿を見ていると、俺の力が本当に人なみに抑えられているのか知りたくなってきた。母さんからは絶対にするなと言われている皿洗いを……やってみてもいいんじゃねぇか?
しかし、これはお客用の高いヤツだ。
もし割ってしまったら、母さんにこっぴどく叱られてしまうだろう……。
「うおう、楽勝だ! 普通に洗ってるぜ俺!」
勝手に力が入り過ぎて握り潰したことが嘘のようだ。妙な気分だぜ。気をつけなくても物を壊さなくなるなんてな。
調子に乗っていると、玄関のチャイムが鳴り、母さんがパタパタ出て行く音が聞こえた。
「仁狼! 犬澤くん来てくれたわよ〜!」
「がぁっ!?」
パキャン。
いきなり修仁の出現に、持っていた皿を握り潰してしまった。それを台所まで呼びに来た母さんが見て息を飲む。
「仁狼! あんたは家事を手伝わないでって、いつも言ってるでしょ!」
「い、いや待ってくれ母さん! さっきまでは俺1枚も割ってなくて……」
「……あんたが今、手に持ってるのはナニ?」
「こ、これは確かに割ったけど、本当は割らなくなって……」
ビシッ!
「はうっ!?」
そのとたん鼻がツンとして、頭がクラッとなった。なんだ? さっきもこれを受けた気がするぞ?
「い、いったい今のは」
「もう! さっさと出なさい。犬澤くん待ってるから」
「ふ、ふあい」
玄関に行くと、修仁が何かを手にして待っている。
「やっ! こんばんは。今日は勉強に来たんじゃないから安心して。これを届けに来たんだ」
「ふぅ、そうか。なんだそれ?」
「オレが作ったお豆腐だよ。毎年、今日に作って持って行ってるんだ。おすそ分けするから、ぜひ食べて」
「豆腐? まあ、おまえが作ったんなら美味いんだろうな。すまねぇ」
「じゃ、オレはこれで。そういえばさっき磁器が割れる音がしたけど、オレが急に来たせいみたいだね」
「い、いや。そんなことはないぞ」
「うん。悪いことしたね。あの音だと有田焼の上品な皿のようだから、機会があったら弁償するよ。それより、お豆腐は鮮度が大事なんだ。食事のあとだったら、一切れだけでも食べてみて。それじゃ」
「お、おう。気をつけてな」
なに焼かなんて知らねぇ。だいたい音だけで分るものなのか?
「えーと、母さん。修仁のやつが豆腐食ってくれって、持ってきたんだが」
「お豆腐? どうして今ごろ」
叱られるのを覚悟しながらキッチンへ行くと、意外にも母さんは普通の顔で片づけを終えていた。
「それは分からねぇが、あいつの作るもんなら美味いに違いないはずだ。ひと口だけでも食ってくれって言っていた」
「そう。それじゃあ仁狼が切ってみて」
「なに! いいのか!? どうして……」
「さっき、意味なくお皿洗いしようとしたんじゃないんでしょ?」
やっぱり気がついていたんだな。
まな板を出して、包丁を取り出し、タッパーに入れられた豆腐をそっとまな板へ乗せる。
まな板ごと切ってしまわないように、そっと包丁を入れたが、刃はストンと檜の板で止まる。ひと口大に切っていったが、なんだかあっけないほど普通にできる。
さっき割ったものと同じ皿への移しかえも簡単にできた。
「豆腐っていっても、そう違いなんてあるはず……うおぉ!」
驚いた。なんだこれは? 俺の知っている豆腐じゃねぇ。豆腐の形をした甘くて上品で、濃厚な味のナニかだ。
「これっ!」
母さんもひと口食べて絶句し、そして俺と同時に笑いだした。
「あははは……そうよ、これ、よしおさんにもあげないと」
慌てて別の皿に豆腐を山盛りにして仏壇へ供えにいく。
「……このお豆腐がまた食べられるなんて」
「またって、前にも食べたことがあるのか?」
キッチンに戻ってきた母さんの漏らす言葉に尋ねると、もう一切れ頬張りながら頷く。
「よしおさんの友だちから、何度かいただいたことがあるの。だけどある時、原料が手に入らなくなったらしくって、食べられなくなった幻のお豆腐の味よ。
今日は葵ちゃんにこのお豆腐。きっと、天国からよしおさんが励ましてくれているのね」
世界が偶然を起こしている……のではなく、本当にこれは親父がウラで何かやってやがる気がする。この豆腐をどうやって作ったかは、明日イヤでもやってくる修仁から聞けばいい。
「それじゃあ、これからは仁狼にもどんどん家事を手伝ってもらうわよ!」
「いや、豆腐ができたとはいえ、どんどんは焦りすぎじゃねぇか?」
「大丈夫よ。失敗したら『ビシッ!』が待ってるから」
「うおう! あれってやっぱり何かの攻撃か? 全然見えなかったし、痛みまで感じたぞ。葵ちゃんの時は鼻血まで出たし」
「さあ、何かしら? そうよ葵ちゃんはもう、とっくにマスターしてるって、よしおさん言ってたもの」
「うおおう!」
母さんにしても葵ちゃんにしても、明かされてねぇ能力が、まだまだあるに違いない。




