2人目
「ところで葵ちゃんのこと、修仁ちゃんに教えてあげると喜ぶと思うよ」
「え? なんでだ」
「忘れたの? 修仁ちゃんと初めて会った時、エルティちゃんを存在させてる実在の人がいるはずだって言われたって言ってたでしょ。
ほら、太陽に関係している名前の女の子。『朝日奈』葵ちゃんだよ」
「そうか! 完璧に忘れていたぜ! 葵ちゃんが修仁の言ってたなんだか分からない10人目の仲間か」
会話の意味が分からず、葵ちゃんはキョロキョロ俺たちの顔を見ている。
「あ、ごめんね。実はすごく親しい友だちの中でエルティちゃんの名前とそれを存在させている実在の人がいることを指摘した人がいるの。
当時集まってた8人以外に2人……合計10人集まることになるだろうって、そのうちの1人の名前は、太陽に関係していて女の子だって言ってたの」
「本当ですか? どうしてそんなことが……」
「犬澤修仁ちゃんっていうんだけど、突然誰も思いつかないようなこと考えつく人なんだよ。
近いうちに会えると思うよ」
「はい。ぜひお会いしてみたいです」
会ったらきっと驚くぞ。できれば俺は当分のあいだ会いたくはないが、明日になれば否が応でも勉強を教えにやってくることになっている。
このあと、葵ちゃんを俺の家に連れて行って親父の部屋なんかを見せてやるつもりだと言うと、この子の帰りがあまり遅くなると両親が心配するだろうからと、家を追い出された。
鈴乃の葵ちゃんを気遣う気配がバレバレだ。俺がこいつに嘘がつけないように、鈴乃も俺に嘘はつけねぇんだ。
「じゃあ遠慮なく上がれ」
鈴乃の家を出て、すぐ二軒隣の俺の家に葵ちゃんを招いた。
「おじゃまします」
緊張気味にきっちりと玄関で靴を、俺の分まで揃えてから上がる葵ちゃん。ほんとにしっかりしてるなこの子。
「ほら、ここが親父の書斎だ」
書斎といっても机の周りは本棚で囲まれた三畳くらいのムリにつくった部屋で、棚には仕事で使っていた分厚いIT関連の本や難しい学術雑誌、趣味の小説なんかがギッシリ並べられた、俺には息苦しい部屋だ。
机の上には閉じられたままの時代遅れのノートパソコンがうっすらと埃をかぶって置いてある。
「そう言えば親父は夕飯のあと、いつもシークァーサー薄めたの飲みながらここで過ごしていたな。
一度飲ませられたが、めちゃめちゃ酸っぱかったの覚えてるぞ」
そうだ。子どもの頃、今から考えると持ち帰った仕事のじゃまをしていたように思うが、俺がいつ話しかけても手を止めてちゃんと話を聞いてくれていたっけ……。
葵ちゃんは何も答えずに本棚を見回し、そっと机の表面に触れると、ホコリがフワッと舞い上がる。
「本棚でも机の中でも、好きなように見ていいぜ」
言い残して、俺は書斎から出ることにした。
親父のことだから見られて困るようなものなんかないはずだし、葵ちゃんが悪さするはずはねぇ。
書斎を出てから1時間くらいして、キッチンで急須を壊さないようメチャクチャ注意しながらいれたお茶を飲んでいると、そっと葵ちゃんが顔を出した。
「すみません」
何がすみませんなのかよく分からないが、目が赤くなっている。
「おう。お茶いれたけど飲むか? あんまりうまくないけど」
「はい、いただきます」
正面に座るのを見ると、昔、エルティが羽がじゃまで座り辛がっていたことを思い出す。
湯飲みに注いだ緑茶を差し出す。
「あつっ」
葵ちゃんがひと口すすって声を上げた。
「すまねぇ、熱すぎたか?」
「いえ、大丈夫です」
注意して動作がゆっくりになるため、思い切り沸騰させたお湯だ。俺は平気だが、やっぱり普通は熱いか。
俺が子どもの頃から見て来た親父の話を、思いつくまま話して聞かせると、フーフーお茶を冷ましながら、熱心に耳を傾けてくれた。
親父は幸せもんだな。今どきこんな子はちょっといねぇぞ。
そうしているうちに、母さんがいつもより少し早めに帰って来た。
「ただいま……あら、仁狼その子だれ?」
「何言ってるんだ母さん。俺の妹の顔、見忘れたのか?」
平気な顔で答えると、母さんは目をパチパチさせながら首を傾げる。
「は、初めまして。わたし、朝日奈葵と申します」
葵ちゃんがあせって頭を下げる。
「はい、いらっしゃい……あら? 朝日奈って言うと、ひょっとしてあなた、よしおさんが言ってた、あの葵ちゃんなの?」
今度は大きく目を開いてすぐ嬉しそうな顔になる。
そう言えば母さんは知っていながら親父のこと『よしお』と呼んでいた。だから俺も教えられるまで知らなかったんだ。
「わたしのこと、ご存じだったんですか?」
嬉しそうにたずねる。
「ご存じも何も、よしおさんったらある日いきなり『2人目の娘ができたぞ』なんて急に言い出して。
よく聞くと、1人目が鈴乃ちゃんで、次が葵ちゃんだって。
話だけはたくさん聞いてるわ。私も何度か公園にも行ったんだけど、会うのは今日が初めてね」
やっぱりこの子も親父にとって心の我が子だったんだな……母さんのそんな言葉に、葵ちゃんはすごく嬉しそうな表情をした。
なんだ葵ちゃんのこと今まで知らなかったのは俺だけなのか。
「わたしもおじちゃんから、おばさんのこと聞いてます。初めて会った時のことから、なぜ『よしお』と名乗ることにしたのかも」
「あらヤダ、よしおさんそんなことまで話したの?」
母さんが顔を赤らめた。




