その時が、今
だが……あり得ない。これは事故に遭った親父が、『その時』に持っていたものだ。爆発炎上したトレーラー事故に巻き込まれて……乗っていたクルマの原形さえとどめなかった火災に巻き込まれた親父が持っていた写真を、どうしてこの子が持っているのか……。
葵と名乗った子を見ると、強く、だがとてつもなく寂しそうに俺を見つめる瞳には、冗談やからかい、ましてウソなんかが入る余地なんてない。
そもそも、警察から返って来た遺留品は、わずかな金属製品だけで、それもほとんど融けた状態のもの以外何一つなかった。
遺体確認は俺だけがやって、母さんが見るのは力づくで止めた。肉親の俺でもこれが親父かと思えるほどひどい状態で、車のナンバーなんかの状況証拠を説明されて『だったら親父なんだろ』としか答えられなかったほどだ。
次の日から、急にやらなければならないことが山積みになって、悲しんでいるヒマがなくなった。あの時も鈴乃の家族には葬式の手伝いや事後処理の細かい手続きなんかですごく世話になった。いちばんありがたかったのは、母さんをずっと励ましてくれていたことだ。
葬式には親戚と名乗る初めて会うヤツらがやって来て、こともあろうか親父の仏前で、事故の保険金と慰謝料……遺産相続の話をめぐってモメ始めやがった。
あまりに情けなくなって『そんなに死んだヤツの金が欲しけりゃ、自分の家族を亡くしてみろ』と、キッチンのテーブルをぶっ叩くと……軽くやったつもりだったが、粉々に砕けてしまった。
余計な仕事を増やしたばかりか、我が家にしてはかなり奮発して買ったものだったので、すごく惜しかったが、おかげで相続の話はうやむやのまま消えた。
もちろん後から母さんにこっぴどく叱られ、7倍の力を持て余し、次々に道具を壊す俺の家事手伝い禁止命令はさらに厳しさを増した。
保険金は意外なほどあっさり支払われ、おかげで市役所で働いている母さんの給料と合わせると、家のローンやら何やらあったが、それまでどおり生活は何とかやっていけた。
親父が死んだことがやっと実感できたのは、そんな騒ぎが一段落ついた、三か月くらいたってからのことだ。
新聞さえ読んでいるヒマがなかったので、部屋の隅にまとめておいたものを、改めて読んだのも、その頃になってからだった。
『深夜の火柱、新開発燃料爆発』
『高速道路全面通行止め』
『問われる化学薬品輸送方法の実体』
親父が死んだ事故のニュースは、数日に渡って新聞を賑わせていた。
——高速道路をいねむり運転していた燃料輸送のトレーラーが中央分離帯を突き破って反対車線に突っ込んで横転した——
それには新しく開発されたばかりの、ものスゴく危険な燃料が満載されていて、タンクから漏れ出した燃料に何らかの火が燃え移り、爆発炎上したところに、反対車線を走っていた親父の車が巻き込まれたのだと書いてある。
目撃者……と言っても直接見た人はいなかったが、山一つ越えた場所から見た人の話だと、ものすごい炎が夜空を真昼のように照らしだした……それは炎と言うより、巨大な光の柱のように見えたとのことだ。
さらにそのあと、もう一度、強い光があったそうだが、残っていた燃料が二次爆発したんだと書いてある。
専門家からは、その証言に疑問を唱える説もあったが、なぜか、ほとんど取り上げられることなく消えていた。
親父は車ごと現場から20メートルも飛ばされていて、相手にいたってはカケラも残っていなかったらしい。
幸い……と言うか、そんな大きな事故であったにも関わらず、被害者は親父とトレーラーの運転手の二人だけで済んだ。
いつもはかなり交通量の多い道で、被害者が二人しか出なかったと言うことで、新聞でも何度も『奇跡』の文字が使われていた。
じゃあ、親父はよっぽど運が悪かったということか。俺や母さんにとってこの事故は奇跡でもなんでもねぇ! いきなり突き付けられた、紛れもない現実なんだ!
トレーラーの運転手の家族……奥さんとその会社の偉いさんも家に来た。
実のところ、相手の運転手のことを恨んでいなかったと言えば嘘になるが、おばさんの……当時の母さんと同じような疲れ切った顔を見ると、何も言えなくなった。
おばさんは自分の旦那も死んだにも関わらず、涙を流しながら何度も謝っていた。
偉いさんの方は誠意をもってお詫びしますと言ってはいたが、その言葉からは、どうしても薄っぺらなものしか感じられなかった。
事故からしばらくして、いねむり運転かと思われていた原因が、検証の結果、新型燃料がトレーラータンク内部の金属との化学反応によって引火したことが原因だと分かった。
おばさんが謝ることはなかったんだな……と、思ったが、それが分かったところで、親父や運転手が帰って来るわけでもねぇ。
新型燃料は輸送から検討し直されることとなり、いまだに市場へは出回っていない。
あれから4年が過ぎて、最近では親父が死んだことが、思い出に変わりつつあった。
たった今、までは。