奇跡
【第二幕四節】奇跡
与市とお藤は、丘の上の一本松の小屋で、毎日のように人知れず逢っていた。その時間は本当にすこしの時間ではあったが、二人には永遠のように感じられた深い時間だった。時間とは不思議なものでアインシュタインは、時間は出来事であるといい。この21世紀では、時間は出来事+場所+感情であるとされている。同じ時間であったとしても、その人の感情次第で、早くも遅くもなるのである。この二人の永遠を感じる時間を割り出せたなら、ふたりの愛情も測ることが出来たのか。しかし、そのような情熱があっても、二人は決して肌と肌を触れ合うような関係にはならなかった。ただ、手を握り締め、その時間をふたりで過ごし、心と心で語り合うことで本当の愛情が育っていくのを二人が同じように感じていたからだ。恋愛というのは相手の為に我慢することや悲しむこと、また会いたいのに会えないなどの切なさをいかに味わい、心に刻むのか、この二人にはもうそのような成熟した人格が備わっていたので、愛情を示すことをはぐらかすことをしない強さを二人は持っていた。また、その人格により、障害が多く苦しんでいたとしても、逆に嬉しさや、幸せへと変わっていったのである。すぐに手に入る幸せと、毎日毎日水をやりゆっくりと育てた愛情とでは、これほどまでに染みわたり方が違うのかと思わせるほどだった。
いつものように与市はお藤に早く逢いたい気持ちを内に秘め、小屋へと向かった。今日は、お藤の方が早かったようだ。お藤は小屋の中で座り、なにやら両手を後ろで組んだ格好で、微笑みながら体を左右に振り弾んだ声で言った。
「ひとつ質問してもいいですか。・・・わたしたちとても、好きあってますよね?」
お藤が言いたいことの意味がわからなかったが、与市は即座に答えた。
「わしは、おまえほど好きになった女性は、いままで会ったことがない。」
お藤に微笑みながら言った。
「与市さんありがとう。とても嬉しい。・・・・でも、わたしたちまだ、足りないものがあると思いませんか?」
「ん?・・・それはもちろん足りないものはある、でも大切なものをわしたちは、持っているとおもっていたぞ?」
「はい。わたしも同じです。でも、まだその愛情を注ぐ相手がほしいです。わたしたちには、お子がありません・・・・・。そのかわり・・・」
といって、お藤はすこし不安そうな顔で、後ろにしていた腕を前へ持っていき、何やら黒いものを与市へと差し出した。それは、小さな黒猫であった。
「わたし来るときにこの猫が、他の猫をいじめてるのを見付けました。普通ならいじめられてる猫をつれてくるのでしょうけど、わたし一番この猫が可哀そうに想えたのです。愛情をもらったことがないから暴れてしまったり、脅すことでしか、相手を測ることが出来ないのではないでしょうか。」
与市はそんなお藤の不安そうな顔をみるとダメだとも言えず、優しく小さな声で
「うん」
と、一言すこし微笑んでうなずいた。
「なーおまえの名前は何にする?」
と、黒猫をお藤の手から取って顔の前でゆすりながら言った。
「明は、どうですか?」
「うん。よし・・・・・明、お前もお藤のように優しい子になるのじゃぞ」
二人のお子、明は、毎日かわいがられたが、全然なつこうとはせず特に与市にたいしては、近づくだけで戦闘態勢にはいり、威嚇してくる始末。その首には、与市が用意した鈴とお藤が持ってきた赤い紐が垂れ下がっていた。明が歩くたびにチャリーンチャリーンと音が鳴った。お藤が愛情深く明の頭をなでると、とても気持ちよさそうに笑ったような顔をするのだった。そして、与市がちかづくと、威嚇がはじまる・・・・・。与市は、意地悪そうに明にむかって言う。
「まったくこいつ、女子にはすぐ、なつきよる。」
明は、それを聞くとさらに にゃーにゃー言い出した。
与市たちがいつものように、手を握り締めいちゃついていると、明が与市の頭にジャンプして与市の髪を毟った。与市が、目を上に向け呆れた顔で、首を振ったのをみて、お藤はわらわずにはいられなかった。
「まー お前が、なついてくれたということにしとこうか・・・・・・。」
与市が一言いうと、またお藤はわらった。
あるとき与市は、明に愛情深く首の鈴をならすと、白い靄のようなものが体から出て空中へと登って行くようにみえたが、たぶん日の光の加減のせいだろうと与市はおもった。
【第二幕四説】完