その涙
【第二幕二節】その涙
江戸城下町一の長者、柳屋栄次郎のもとへお金を借り走り去った与市から、三刻は経とうとしていた時。父、栄次郎はお藤を呼んだ。
「お藤、先ほど来ていた男、与市じゃが、なにか食べるものもなければ、治るものも治らん。何か買って持って行ってくれまいか?これが与市の住まいの場所じゃ。金はいらんと言っとけ、それよりも母上を大事にしろと伝えとくれ」
お藤に与市から受け取った紙を渡し、使いを頼んだ。
お藤も驚かされた事と、関係あるのか少し興味もあることなので、喜んで使いを頼まれた。
お藤は町を歩きながら考えていた。あの人はどういう人生を生きてきたのだろう、あんなに必死で土下座までして、よほどお母様のことを大切にされてるのだろうと想った。そういえば、あの人、出は農民だろうけど、顔立ちもよく、スッとした鼻立ちで目は女性のように綺麗な目をしていた。あの一瞬だけだけど、なんとなく父のような愛情深さを感じたきもする。
そうこう考えていると、またいつものように楽しみだし、少し歌を口ずさみながら楽しげに買い物を済ませ、与市の住まいへと向かった。
与市の住まいはあそこだろう。農民街の中にあるありふれた住まい。それが与市の住んでいる家だった。でも、その家から人が一人、二人と出て行き、その顔は何やら芳しくないおもむきで家を出ていった。
お藤が家に入ると与市はすぐ扉の前に座っていた。そして、食べ物を持ってきてくれたであろう女性に気付きゆっくりと見上げた。
「・・・あぁ。あなたは、柳屋様のお嬢様ですね?」
その見上げた目には大粒の涙が止めようともせず、流れていた。でも、その声は普通の声で、たぶん涙が出てることを本人は気付いていないのだろう。奥で床に伏せ、顔に白い布が被せられている女性は与市の母だ・・・・!。
「あの・・・・必ずお金はお返しいたしますので、もう少しお待ちくださいますか?見てのとうり母は先ほど亡くなりまして、その供養もしたいとおもっておりますので・・・・お嬢様もうすぐ夕暮れ時ですから、わたしが、お送りいたします」
お藤は何不自由なく育てられたゆえ、この時代の男が涙をながしながら、たぶん最後の肉親であろう人が経った今、亡くなられたであろうに、また他人のことを心配する与市に言葉も出ず、なんともいえない衝撃と悲しみに、お藤の心も悲しみに暮れ、涙が自然と流れてきた。
涙を流したお藤をみて、ハッ!と自分の涙に気付いた与市は、やっと涙を拭くが涙が止まらず拭いても意味がなかった。でも、会ったばかりなのに、自分たちの為に自然と涙してくれたお藤に与市も、心の内を語ってしまっていた。
「母には苦労ばかりをさせて、何もわたしはしてあげることができなかった。わたしは一体、何をしているのでしょうね。本当に大馬鹿ものです・・・・」
お藤は、自分の母の言葉を思い出していた。
「本当に辛いことがあった人にあったら、一緒に心から悲しんであげなさい。」
たしかそのようなことを母に教わったことがあったお藤は、座り悲しんでいる与市をそっと抱きしめてあげた。
与市はお藤のおかげで、やっと声をあげて泣くことができた。
【第二章二節】完