恐怖、怨み、疑問
【第一幕二節】恐怖、怨み、疑問
これは恐怖であるのか。
天下無双の名を掲げた名門柳生一門でさえ 残りの50名大きな声をあげて、やっとの思いで本丸へと向かって半刻が経つ。目の前の者が見えなくなるほどの深い霧の中 次こそは見失わないと入ったはずなのに、なにやら空間自体が歪み、足を支える地でさえも、わからなくなる始末。そして、この冷気。異常を数倍にしてもこの状況に値せぬように思えてくる。
屋内には前に入った兵の人間ともわからぬ肉の塊が、血の池のように変わった床に、プカプカと浮かんでいるかのようだった。関ヶ原の戦いでさえ、ここまでひどい有様ではなかっただろう。これはまさしく憎悪、とても深い恨みからだと思われる。一体相手は何人・・・いや何匹この深い霧に紛れ込んでいる? 今この瞬間に、耳元にまでアレが近づいていても気づくことが本当にこの状況で、できるのだろうか?
隊長がその中、指示を下す。
「何人でもよい!殿のもとへと急ぎ・・・・・むか・・・・・・・・・・ぇ・・・ぁぁあぁ」
すぐ後ろより指示を出していた隊長の声が、急に空の彼方へと引きずり飛ばされたかのように、声が急速に離れて行った。説明のしようがない。この霧は人を呑み込むのか・・・。
「うぇぇぇぁぁぁぁぁ」
二の丸に取り残されていた大奥の女が、霧へと消えた隊長の姿を見たのだ、悲鳴のような声をあげる。
また、恐怖に駆られた兵が
「畜生、人から剣で死ぬのならまだよい。もののけの類にやられたくは決してないぞ。この魂まで持っていこうとでもいうのか!・・・のう?!」
と、隣の者に振り向きながら問うが、その者の頭はつながってはいたが、背中の方へと向いて おのれの両の手で首を支え、何が起こっているのかわからぬ様子で、脅えた目をこちらに向けてきた。首が捻じれていたのだ。
一方、守られるはずべきの将軍綱吉はというと、目の前にいたというのに、誰一人気付かず綱吉を通り過ぎていき、たった一人 いや、まわりには兵がいるのに ここだけ異次元空間であるかのようなので、みなより、取り残され床に転げ立てずにいたのだった。
綱吉は、兵を襲う白い生き物の影を、何度も目にしていた。それは目の前にいたかと思うと、次の瞬間右の奥へと現れ出る。これから逃れるすべは、普通では考えられない。そう思っていた矢先だった!。廊下の隅、前方方向からそれが現れ出て、綱吉の方へと、とうとう歩き近づいてきた。数メートルづつ瞬間移動するかのように気持ち悪く近づくそれは、白い喪服のような着物をまとい、口は避けるほど大きく、その口で噛みちぎったからだろうか。その大きな牙の歯茎には肉がはさまっている。また、口から服の前の部分のおびただしい血の量は、さらに綱吉の恐怖心をあおった。
さらに、その目は夜空にある一番星のように光り、目の奥には、はっきりと猫の目のような鋭い眼光がこちらを突き刺すように恨めしく見ているのである。不気味なそれは暗闇をまとっているかのように、黒い空間がまわりを漂い、その恐怖のあまり本体が浮き出てみえ、そちらへと吸いこまれそうに思えてくる。慈悲の心などまったくないであろうその目。それに睨まれるているというのに、綱吉は目を伏せることもできず、近づいたそれの顔をなぜか見ることしか出来なかった。
綱吉は驚き言った。
「お・・・おふ・・じ・・・・? おぬし・・・・お藤なのか・・・・?」
それは答えもせず、徐々にちかづいてきている。
「わ・・・わしは、おぬしを助けようとしておったのだ!お主をまこと慕っておったのだぞ?ゆ・・・・許しておくれ。う・・・怨まんでおくれ!?。」
不気味なそれは、その目から血の涙を細く流し、歌を歌うかのようにしゃべった。その声はお藤のものだった。
「うらまずにおれるだろうか?切り捨てられ、虐げられ、騙されたこの魂。何度も生き、何度も死んだ。うらまずには、おれるだろうか・・・・・」
それは着物のえりを開いて首をみせた。。。。首には猫がするかのような鈴が垂れ下がり、その紐の向こうには、横一門についた首切りの痕が見えていた。傷痕をみせながら、うっすら笑っているかのようにも見えた。当然霧もあるので、その目以外は、はっきりとは見えない。
っとそこへ、
あのキリシタン平八郎が、盲目なのに、いや、盲目のゆえに、ゆっくりとだが、しっかり地を踏みしめ 殿とそれとの間へと割り込んだ。そして、手に持った、十字架をかかげ
「おぬしに命ずる、あの方の名の下により、ここから立ち去れいぃ!!」
次の瞬間、それは急速にしりぞき、霧の中へと消えていった。そして消えた一点の場所へと白い霧が吸いこまれるように向かい、先ほどの霧も嘘のようになくなったのだ。
見渡すとあたり一面、人が転がっていた。
平八郎は不思議そうに首を傾げ質問をした。
「将軍様、さきほど お藤と言われましたか??」
【第一幕二説】完