第4話...涙
分からない。
全く分からない、幸一郎の考えが。
山都は一人、台所で頭をかしげていた。
目の前には、白いカップと皿が三セットずつ並べてある。そしてその横にチーズケーキが三つ。
丁寧に皿にのせ、コーヒーのポットも一緒にお盆にのせる。
(本当、何考えてるんだろ)
美由が部屋に入ってきたとたん、ぱーっと幸一郎の表情が輝いた。
そして立ち上がると、美由の白い手をぐいぐい引っ張って、
「さささ、どうぞこちらに」
と彼女を大きなソファーに座らせた。
自分も横に座るのを忘れない。
すると美由の肩に腕をまわしたものだから、山都はげんこつで幸一郎の頭を殴った。
幸一郎が女性をたらしこむ。山都がそれを止めにはいる。それがもう当たり前の様に行われる。
そして幸一郎は、冗談冗談、と笑って相談にのり始める。
いつもなら。
「痛ぁー!ちょっとォ何するんだい山都ちゃん…私は皆川さんに話があってだね…そうだ!確かケーキあったよね?持って来てよーケーキー」
「…は?」
そう言って邪険に手を振る幸一郎の行動に、山都はア然とした。
分からない。
全く分からない、幸一郎の考えが。
「ケーキとお茶です」
不機嫌そうな声でそう言いながら部屋に入ると、幸一郎は楽しそうに喋っていた。
ただし、美由は相変わらず無表情だが。
山都はお盆を、ソファーの前のテーブルに置いた。
「よしっ山都ちゃん、今から皆川さんのお父上のお墓へ行こう」
美由がこくんと頷く。
「はぁぁぁぁ?!」
もうだめだ。幸一郎が何をしたいのか予測できない。
「もう皆川さんとは話ついているのだよ。じゃぁちょっと支度するから、玄関で待っててくれる?」
そう美由に言うと、素直にまた頷き部屋を出ていった。
「…あのさぁ幸一郎さん?お墓って、無関係のあたし達が参っちゃったりしていいの?」
「あぁ、それは大丈夫さ、私たちがついていくのは途中までだから」
「そ、そうなの?」
「うん。ていうか正直キミが今の質問してくるとは思わなかった」
「どーいう意味よ」
幸一郎と美由が並んで歩く後ろに、山都がついていく。
客と幸一郎はよく出かけるが、山都も一緒に行く事はあまりない。
数少ない外出の時、いつも二人の後ろを歩くのが習慣になっていた。
二人が仲良く並んで歩く事になど、別に怒ったりしない。だってこれは立派なお仕事だから。
かといって幸一郎が客に手を出すのは許せない山都だった。
一時間半後。
「遠っ!皆川さん、お墓って一体どこにあるのだ?!」
「あと、ものの三十分くらいで着くと思います」
「もののって…結構あるよ…」
「すいません」
「いや別に謝らなくても」
大通りを曲がり、やや登り坂の脇道を進んでいく。周りには木が生い茂り、脇道は日陰になっていた。
「この上です」
美由が指を指した先にはかなり長い階段。
やがて階段の終わりには、墓地がひろがっているだろう。
「まじ?」
あからさまにイヤそうな顔をした幸一郎を睨みつける山都。
「結構いるんだな、人」
階段を下りてくる人が五人、上っていく人が三人。上にもまだまだいるようだ。
美由は無表情のまま見上げている。
幸一郎はそんな様子をちらりと見ると、
「はーっ、疲れた!二時間近く歩いたんだからな。私も歳をとったかな」
苦笑いしながら言う。
不思議そうに幸一郎を見てくる山都と美由。
「歳って、まだ二十歳じゃない。あたしと二つしか違わないわよ」
「二つは大きいだろう」
そう即答すると、今度は美由の方へ向き直った。
「そんな訳でさ、皆川さん、先に行っててくれないかい?私たちもちょっと休んだらすぐに行くから」
「…え」
思いがけない言葉だったのだろう、美由はかなり驚いている。
(途中までついていくってのは、この事だったのかな?)
確信は持てないものの、山都は幸一郎の言葉を思いだし少しずつ気が付いてきた。
「でも…一緒に来てくれるって…」
「うん、一緒に来たじゃないか。ちょっと遅れるだけだよ」
心配そうな美由の顔に手を添えると、優しい笑顔でそう言った。
美由は何も言わずに、長い階段を上っていった。
「さてと。帰ろうか、山都ちゃん」
美由が階段を上りきり完全に見えなくなった時、幸一郎は口を開いた。
「え?帰るって…皆川さんは?」
当然のような質問に、当然のように答える。
「彼女はもう一人で大丈夫だよ」
そう言うと、さっさと歩き出してしまった。
びっくりして幸一郎の後を追い掛ける山都は、まだよく分かっていない。
「え、何?大丈夫って、何が?」
幸一郎はゆっくりと歩いている。
「彼女、まだ一回も墓参りしてなかったんだって。いつもあの階段の下で止まっちゃうんだって。だから私が一緒に行くから大丈夫だよって、安心させといたのさ。安心感ってのは案外続くものなんだよ。だから私が一緒に階段を上らなくても、後から来るんだし大丈夫だよねって思うわけさ、皆川さんは。私は、皆川さんがお父上のお墓まで行くきっかけをつくったって訳だよ。それで彼女には十分だろ?」
嬉しそうに話す幸一郎を見て、山都は思った。
なるほど。
だからわざと気のあるそぶりを大袈裟にして、相手を信頼させたのか。
まったくこの男は…。
幸一郎はにこりと笑って言った。
「大丈夫!」
美由は、緊張しながら父親の墓まで歩いていた。
上まで上ったのは初めてだ。
父親の墓の場所なんて、今まで目が腐るほど確認してきた。
行動に移すことができなかったのは、自分のぽっかり空いた心のせい。
気がつくと墓が目の前にあった。
会いたかったよ。
あの時、泣きたかったよ。
今は目がかすんでよく見えないや…
お父さん。
お父さん。
「…おとうさん…」
次の日。
皆川美由はやってきた。
手に大きな花束を抱えて。
「わぁ、きれいな花だな。まるで貴女の様だよ」
二人とも、色とりどりの花たちをうっとりとして見ている。
「ありがとうございます、こんなに素敵な花束」
美由は、それはそれは綺麗な顔でくすっと笑った。
「報酬はその笑顔かな」にっこりと笑いかえす幸一郎は、そんな事を言った。
美由は初めて顔を赤くして、やはり笑う。
そして皆川美由は去っていった。
心に、いっぱいつめこんで。