第3話...手
「な、何やってんのよ…」
次の日の昼過ぎ、幸一郎のために紅茶をいれ彼の部屋に入った山都。
幸一郎は眼鏡をかけ、何やら古い本を読んでいた。
真っ白なカッターシャツに黒いサスペンダーをつけ、七分丈の黒パンツ。大の大人の格好にしては少し子どもっぽいというか…元々幼い顔付きなのではあるが。
「うん、ちょっとね。心理学の勉強でも」
ぱたんと本を閉じてから眼鏡を外し、大きく伸びをする。
「ふむ。…ありがとう、お茶」
にこりと笑いかける幸一郎に、あぁ、と山都は持っていたお盆をデスクにおいた。
山都が紅茶の入ったカップを幸一郎の前に置くのと、幸一郎が山都の手を握るのは同時だった。
こぼれそうになり、山都は慌ててもう一つの手でカップをおさえる。
しかしそれより意識がいくのは、今握られている自分の左手。
きれいで、柔らかくて、温かくて、初めて握った幸一郎の手はとても。
(気持ちいいな)
ぼんやりとそう考えている自分に気がついて、ぶんぶんと頭を振った。
「こ、幸一郎さん…てて手」
顔がほてって声が震えているのが嫌でも分かる。
「山都ちゃんさー…今、ものすごく緊張してるでしょ…?」
信じられないくらい色っぽい声で尋ねられ、山都はもう何が何だか分からなくなった。
「皆川さんも、これくらい分かりやすい反応してくれたら助かるのになぁ」
「へぁ?!」
思いがけない言葉に山都は変な声をだした。
幸一郎は無邪気な顔であはっと笑う。
「いやぁ、さっき言っただろう?心理学の勉強って。ちょっと彼女の心に付け入ろうと思う。んでどうにかしてあの、何考えてるかさっぱり分からん表情から何か読み取ろうと…ほらぁ皆川さんて、無表情か怒った顔しかしそうにないだろう。ね?」
いや、ね?と言われても。じゃぁ早くその手を離してくれないか。
「それにしても、心理学はさっぱり分からない。私に洞察力がないのは分かっているが…あはは、なのにさっきのキミの心理はすぐよめたね」
だからその手を離せって。
「ドキドキ、してたでしょ」
立ち上がってずいっと顔を近づける幸一郎に、山都はまたもや焦った。
(何考えてるのかさっぱり分からんのはあんたの方だろ!)
心の中でそう叫ぶものの、緊張で体が硬直して口に出すことができない。一方余裕しゃくしゃくの幸一郎は、くすりと笑って手を離し椅子に座り直した。
ほっと胸をなでおろす山都だが、すぐに真っ赤な顔のまま怒る。怒る。怒る。
「あーんーたーねー!!女好きもたいがいにしときなさいよ!女の人ときたら片っ端から声かけて…幸一郎さんは本気で好きになった人とかいないの?!聞いてんのか!おい!」
美由が叩いたのと同じ様に、山都もデスクを両手でばごんと叩いた。
少し自分のキャラを見失っている。
幸一郎は爽やかな笑顔で口説きをまだまだ続ける。
「でも嫌ではなかったんじゃないの?」
そうだ。嫌ではなかったのだ。
手を握られた時、自分の体は拒絶しなかった。
もしかすると、自分は幸一郎にかまって欲しいのかもしれないという考えまで浮かんできてしまう。
「そ…それは、そうだけど」
恥ずかしそうにごにょごにょと呟く山都を見て、幸一郎は。
(…可愛い)
赤らめた頬に手をのばす。
その時、
ガランガランと玄関が開く派手な音が聞こえた。
幸一郎はびくっとのばしかけていた手をひっこめる。
「皆川さん、来たんだ」
彼の手に気付かない山都は、そう言って玄関へと歩いて行った。
部屋に一人残った幸一郎は静かな声で、
「こっちは本気なんだけどなぁ…」
微温い紅茶を喉に流し込んだ。