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翼宮仙奇~少年皇帝が後宮で出会ったのは、男で女官で仙人でした~  作者: 占野モシオ
第2章 少年皇帝、戦の報償に男を後宮に入れること
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8話 皇帝、君臣に褒美を与える


 ……そうして数日ののちに開かれた宴席の広間には、稽国に赴いた諸将二十数余のほか、兵卒からも軍功著しきもの二十数名が選ばれ集められていた。

 広間には朱の毛氈が敷いて坐団(クッション)を並べ、気楽に座らせるようにした。

 向こうには宮中の池が見える……そこには端午の節句らしく、花振りのよい菖蒲がいくつも陽光に照らされ咲き誇っている。

 青が広間に足を踏み入れようとすると、それを狙っていたのか大音声で楽(音楽)が奉じられ、ついで座していたみながそろってこちらに向き直り、叩頭にて拝跪する。


「楽にせよ。今日の主役はわたしではなく諸君らにある」

 

 青はそう言ってからみなの服礼を解いた。

 頭を上げた兵たちは若いものが多い。顕彰の人選は青の隣にいる父の蘇武だが、末長く自分の仲間になってくれる者たちをと集めてくれた意図もあるのかもしれない。

 武門の家の者はさすがに堂々としているが、ただの一兵卒もいて、そうした者はただただ恐縮していたりもする。かれら功労者は敵を多く倒した功績だけではない。補給路を整え準備を怠らなかったもの、瀕死の仲間を命がけで助けたもの……それぞれの分野において秀でたものを取り上げて報償を行うのは、新しい浪では身分を問わず報償すると宣言する意味合いが強い。

 

「朱考!」

 

 最後に――もっとも軍功のある者が引き立てられた。

 朱考と呼ばれた男は、若い兵たちの中でもずっと若いようで、二十歳をいくつも過ぎていないように見える。

 南方の出らしい浅黒い膚の偉丈夫で、黒い髪に黒い瞳、細身の身体はしなやかな豹を思わせるようだ。


「この者は」蘇武が青に口添えする「稽国に接する南陵の若者でございますが、わたしの窮地を救い、敵の陣中ふかくに切り込み、みごと敵の総大将を討ち取ったものでござる。まさに英雄、値千金のはたらきでございました」


「ほう」


 青は少しおどろいた。そうか、この男が蘇武ちちの言っていた、『まれな働きをした者』か。

 朱考は照れるわけでもなく、真面目な顔で、「い、いやいや! 違います」と否定する。


「敵の総大将が死に物狂いで将軍様の部隊めがけて突撃したので、お救いせねばと思って、たまたま討ち取れただけでして……」


 謙遜なのだろうけど、相手の総大将も勇猛なものであったと聞いている。たまたま討ち取れたというのは変な言葉だ。


「まあ窮地には変わり有るまい」


 朱考のそうした態度に蘇武も苦笑する。


「死兵相手では分が悪いと思って退いたが、機を逃さずうまく仕留めてくれた。此度の戦で被害が少なかったのはひとえにお前の軍功だ。素直に誇るとよい」


「なるほど。では、そなたは私の父の命の恩人でもある。ぜひ感謝を言わせてもらおう」


「……いっ? いえ! 陛下! どうか陛下! おやめください!」


 足をつき感謝をあらわそうとする青を朱考は両手を広げて押しとどめ、平伏する。

 蘇武が咳払いをひとつする。つまらぬ悪戯はやめろと言いたいようだ。

 ここ最近、自分と同じく生真面目な人間を見ると、つい、からかいたくなるようになってる気がするが、どうも《《あいつ》》に影響されてしまっているような気がする。

 ……そういえば今日はまだ珀鎔珂あいつを見ていない。

 宴会ともなればあの男の好みそうなものだと思ったが、武将だらけの酒宴というのはつまらぬとでも思ったのだろうか。

 いけない、別のことを考えてしまっていた。目の前で平伏しつづける朱考にも悪い。青はあわてて朱考に向き直る。


「今回の軍功に報いるために、禁衛としてそなたを迎える」


 ほう、という声が上がった。

 禁衛というのは、皇帝を守る禁軍のなかにあって非常に重い職業で後宮以外の出入りと帯刀を許される。これは信頼の厚い武門階級の子弟などが就くのが一般的だ。

 朱考は南陵の平民だ。特別な軍功があったとはいえいきなり禁衛にするなど――と異論が上がるかなと思ったけれど、表情かおに出す者も一人もいなかった。

 この人事が青ではなく蘇武ちちの意図があるのはわかりきっている。

 おそらく事前の根回しもしっかりなされているのだろう。

 父のそうした有能さに感謝しつつも、自分が父のようになるまでには、いったいどれほどの年月を重ね、成功と信頼を勝ち取り続けないといけないのかという頂の高さに、焦りではないまでも嘆息をしてしまう。

 

 ところが、ひとりだけ――この場にひとりだけ、異を挟むような態度をするものがいた。

 当の朱考である。

 かれは平伏したまま、「へ……陛下」と言葉を漏らした。

 破格の待遇に感激とか感謝とかではなく、何か含みがあるような、張り詰めた口調だ。


「どうかしたか」

 青は不思議に思い問うてみた。

 それが朱考かれの背中を押したらしい。顔をきっと上げ、恐れ多くも、と直奏した。


「陛下、この私めに副侍の大役を仰せられたこと、まことに、まことにありがたく……この上は命をかけて陛下をお守りいたします。ですがその前に――お願いがございます!」


「僭越であるぞ、朱考!」


 彼の名を呼んで制したのは、日によく焼けた禿頭の武将。顔に深く刻まれた皺の多さからいえば蘇武よりも年長かもしれない。名はたしか、呂包と言ったか。朱考と同じく南陵出身だったはず。

 呂包は青と蘇武の前にいざり寄り、大柄な身体で平伏すると大声を張り上げた。


「陛下、元帥、ご無礼をお許しくだされ。この男は礼儀も知らぬ雛にございますれば、この祝いの場において僭越な直奏を許されるなどと思い……」


 朱考がなにか真剣な話をしたいことは間違いない。聞いてやってもよいかとも思ったが、何が出てくるのか分からない以上、無礼講でも宴席に向かぬ言は座をしらけさせてしまう。

 青はわずかな間で頭の中で何度か逡巡した末――父の顔を見た。

 鋭い眼光はこちらではなく朱考に向けられているが、明らかにその態度は寛容というより不興だ。


 しまった。


 青は自分がうっかり何をしたかに気づき、自分を恥じた。

 不測の事態は皇帝である自分こそが真っ先に決めなければいけないのに、どうしたものかと一瞬の怯みが出て、答えを求めて父を頼ってしまった。

 不測の事態に周囲もざわつきだす。

 その場をうまく収めたいのに、どんどん悪くなっている気がする。

 もはや宴席は一切が放り投げられるかと思われた瞬間、音楽が鳴り響いた。


「……」

 

 しゃん、しゃんと鈴が拍子をつくるなか、胡や笛の甘い音色が曲線を描くように奏でられる。


「好宴来了、好宴来了、飲めや飲め、歌えや歌え」


 囃したてる女性達の声が聞こえてくると、色鮮やかなドレスに身をつつんだ芸妓たちが、あっけにとられた武将達の間を縫っていく。


「よき宴、よき宴。雨のすきまの端午のある日、よき宴の始まりにございます……」


 心をくすぐるような笑い声が上がる。男達もつられて笑い、あるいはその美しさに嘆息する。


「朱考」


 歌にまぎれて、青は小声で朱考に言葉を向けた。

 戦場で活躍するにふさわしいほど大きく豪胆だろう彼は、いま、見ていられないくらい小さく萎縮してしまっている。


「……出仕の日を心待ちにせよ。いまは宴を愉しむがよい」


 つまり、正式に禁衛になれば話しを聞くと約束しているのだ。今の青にはこれが精一杯だった。

 青はもう彼を見ず、青は武将たちに振り返り、酒杯を掲げ笑いかける。


「さあ、今日は大いに飲むように。諸君らの部隊に誉れあれ!」


 誰もがほっとした顔で、手に持った杯を掲げる。

 妓女達が心得たとばかりに瓶子を手にし、彼らに酒を注いでまわる。

 酌が終わると、彼女たちはくるくると回り踊りながら、湖に張り出した舞台へと移り集まる。

 花片はなびらが舞い、楽がひときわ大きく鳴り響いた。

 合わせて、芸妓たちが身体を優美に動かし踊る。

 指先から腕、腕から腰が規則的に、あるいは不規則に動くたび、ゆるりと袍が揺れる。

 袍は淡く薄いものだから、そうすると肩から胸にかけての美しい女性の曲線が現れ、かつ消える。


「ほう……」


 男達を見ると、みなうっとりと夢見心地になって、声を出すのも酒を飲むのも忘れて見つめている。

 こういうのを、艶めかしいというのだろうか。

 きれいだなとは思うのだが、まだあまりよく分からない。自分が子供だからなのだろう。

 酒もそうだ。みなが飲んでいるものとはちがい、青だけは酒精を飛ばしたうえ薔薇水で薄めたもので、それを酒のようにちびちびとやっているのが、いかにも子供らしくて嫌だった。

 はやく大人になりたい。見識と自信に満ちた、どのような場も収められる大人に。


「陛下……」

 

 後ろから、誰に気づかぬともなく青を小声で呼ぶものがいる。春襄だ。

 青ははっと気がついた。ずいぶん辛気くさい顔で酒を飲んでいたのだろう。

 太鑑に目配せされた芸妓が青の杯に酒(のような糖水)を注ぐ。ついで毒味役の春襄にも注がれる。

 春襄がぐいと一口にあおるのを見てから、青は彼に顔を近づけた。


「さっきは助かった」


 青は先に感謝の意をかれに伝える。

 まったく宴席となるとこの宦官は実に有能で、場の空気をよく読んでくれる。さきほどの朱考の直奏のさわぎ、助け船のように音楽を奏でて割り込んでくれたのは彼にちがいない――と思ってそう伝えたのだが、春襄はきょとんとした顔で青を見つめ帰し、それからふと、にまりと笑って「お褒めにあずかり光栄にございます」と答えた。

 

(こいつ……何も考えてないな)


 たぶん、青が何に感謝してるか分からないが、自分の手柄にしておこうと思ってるに違いない。

 その図太さにあきれてしまうが、今更訂正するのも狭量な気がする。

 しかし、春襄こいつでないなら、いったい誰が――青がまた思考にふけるのを、宴席に飽きたと誤解したのか、春襄が耳打ちしてきた。


「……次に現れますのが、都でも随一と言われる女性でございます」


「へえ」


 部隊の妓女たちの歌舞もいよいよ最高潮、薄く透けた袍をひらひらと空に浮かばせて、まるで天女のように振りながら、やがて一点に集まる。

 何事が始まるのかと武将達も興味津々である。

 春襄がさらに小声で青に囁く。


「のちほど御寝所に送らせますので」


 俺は子供だぞ、と思わずあきれてしまうが、つい先ほど「はやく大人になりたい」と頭の中に浮かべたのだった。


(いや、大人になりたいのはそこじゃない)


 だいたい、女性と二人きりとか、何をすればいいのか。ただただ気まずい時間にならないか。その芸妓にも悪いのではないか。と考えているうち、舞台中央に集まった妓女達は、まるで花弁が花開くようにふわりふわりと離れていき――


「憂いはいつか花に溶ける

 君よ愛せよ一片の花

 君よ花とともにあれ……」


 ――見れば一人の美女がそこに立っていた。



「へえ……」

 

 青がひと目見てもその女性が美人だと分かる。

 青黒くつやのある髪、ほっそりとした面立ちには微笑が浮かび、うすく紅をさしたまなじりが印象に残る。

 透き通るような瑠璃色の瞳。

 薄い絹の袍につつまれた、すらりとした体つき。

 これはなるほど、たしかに美しい人だった。

 あといくつかもしたら、自分もこうした女性に興味が出るのだろうか――いや。 

 いや待て。

 ……青はいまいちどじっと舞台を見つめた。

 それから、はぁ~~~~、と、長い長い、長い長い……ため息をつく。


「い、いかがなさいました……?」


 そのため息で春襄もおかしいと気付いたのか、青の目線のさきにある舞台に目をやり――そしてその小さな目をかっと見開いた。


「はっ、はーっ!? 珀っ!?」


 春襄が素っ頓狂な声を上げたのが合図だった。

 楽曲が激しいものへと変わる。神出鬼没の活宝すちゃらか仙人、珀鎔珂が悪戯っぽく片目を閉じ、舞台で踊りだす。


「薔薇の花をなんと愛でよう

 触れて愛でよか 言葉で誉めよか

 されど応えてくれぬ薔薇の花よ……」


 歌は伸びやかで、甘く、海のように抱き留めて揺り動かしてくれそうだ。

 ……が、男の歌声である。 

 珀の美貌に蕩かされてさっきまで陶然としていた武将おとこたちも、その違和感にだんだんと気づきはじめた――のだが。


「薔薇の花をなんと責めよう

 手折ってしまおか 枯らしてしまおか

 されど応えてくれぬ薔薇の花よ……」


 喚声が上がる。

 いやこれは、まさか男性ではなく、いっとう声の低い女性ではないか――そう思ったようだ。

 あるいはどいつもこいつも……ろくでもないことでも考えているのだろうか。

 みなふたたび、酔うように珀の歌に聴き惚れていく。

 妓女たちが謡うかれを取り囲む。

 うっとりとした顔で見つめ、しなだれかかりそうなくらいに顔を寄せるものもいる。

 事情を分かっていない武将達が、それが女性同士の何かの愛情表現のように見え、わっと沸き立つ。

 お前ら欺されているぞ、と言いそうになった青だが、場が盛り上がっているのなら、もう黙るしかない。

 

 珀は舞台の上で実に機嫌良く、呆れきった青に向かって笑みを向け、片方の目を閉じ色香を飛ばした。

 

 青それを左手で祓い飛ばすそぶりをとる。

 

「つれない薔薇よ」

 

 珀がため息と供にそう漏らすと、妓女たちが謡い出す。

 

「応えておくれ

 私の愛を 私の恋を

 私がおまえを求めているのは

 ただただ誠の心のなせること

 薔薇はそれでも応えてくれぬ……」

 

 そうして歌が終わると、武将達が立ち上がり、喝采を上げる。

 お調子者が目立つ部分を全部かっ攫ってしまったが、どうやら宴はこのまま成功になりそうだ。

 いまいましい。腹立たしいが、一安心でもある……そこで青はふと朱考の顔を見た。

 彼は愉しんでいるようには思えない。

 ただ思い詰めたような表情で酒を飲み、芸妓達を見つめるばかりであった。

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