7話 皇帝、端午の酒宴を企てる
端午は緑萌ゆる美しい季節である。
浪の国では昔から端午は重要な節季とされてきた。
間もなく来たる憂鬱な長雨、そこからの水害や疫病……そうした不安を和らげるよう、人々は祖先の墓に行楽して祈り、あるいは残り少ない春のおだやかな気候を惜しむよう、婚礼祭事とたびたび宴を催し、大いに飲み、騒ぐのである。
そうした客を狙って、都では街路往来、辻に露店が建ちあがる。
この時期に浪の都の街路をそぞろ歩くなら、あちこちからもうもうと湯気があがっていることに目を惹かれるだろう。
それは餅米を蒸し、若笹の葉でくるんだた粽の蒸籠の蒸気だ。家鴨の肉や豚肉を入れた肉粽から、甘辛く煮た田鰻、塩蛋、蛤蜊、刻んだ艾に甘い棗や栗を入れたもの……といくらでもあって、通り過ぎるだけで甘く香ばしいにおいに包まれ、ぐうと腹の虫も鳴り出すにちがいない。
蒸籠の湯気から抜け出せば、次は菓子が立ち並ぶ路にやってくる。梅を煮出して氷砂糖を入れた梅湯に、はしりの金杏、茘枝といった果物から、蓮の葉の上に飾られた五色の水団、蜜をたらした餅、サンザシの糖煮が入った蒸糕……好き嫌いがあってもこの街では一向に困らない。少し歩けば必ず何かの好みに出会うはずだ。
むしろ買いすぎのほうが心配になるかもしれないが、それも無用だ。視線を露台のそばに向ければいい。そこには桶を抱えた子供たちがいて、節をつけた謡いをやっている。
「好宴来了!」
「好宴来了!」
好宴来了とは、宴の季節が来ましたという意味だが、ごちそうがありますよ、という意味でもある。
こうやって客引きをしているかれらに銭を与えれば、どこかから桶を借りてきて、それに飯を詰めて持ってもらえるのだ。
露店の客呼びと桶持ちは端午の時季の子供たちの行事で、貧しい家の子はもちろん、金持ちの家の子もみんなして働くのがならわしだ。大人たちは子供の成長を祝って、小さな荷物でも持たせてやり、あれこれと心付けをはずんでやるのだ。
端午の祭りは一週間ほど。子供にとって労働は大変だが、欲しかったものを買える楽しい季節でもある……。
*
さて、浪の国の都の中心、青のいる城でもまた、端午の祭りの準備で忙しい。
宮城での祭りとは神事、祈祷を指す。
暑気に乗じて疫病をもたらす悪鬼を退治するため、宮中くまなく掃き清めたのちに菖蒲酒を振りまく。要所に鍾馗の画や像を飾り、艾人といって艾で人形をつくり、これを柱に打ち付けていく。
神事が終われば帝が主催での宴席を開くが歴代の常であるのだが、新帝である青は少し趣向を変えた催しとした。
すなわち、前の稽国への援軍の功をねぎらうため、諸将を招き宴席を開こうというのである。
そして青はその準備で大忙しなのであった。
「……宮中の池に咲いた花菖蒲を愉しめるようにするのがいいな。兵卒も招くから礼の要る堅苦しい配膳はするな。酒は量を十分に。のこりを持ち帰らせて家族や下士に振る舞えるように」
天子、皇帝というのはただ座ってさえいればよい、というわけではない。
この時代、我こそ王を統べる帝であると威張れるのは、ひとえに武力あってのことだ。その武力の源泉たる武将たちの忠義に報いるためにも、皇帝は彼らに金や銀子、領地や官職を惜しみなく与える必要がある。
宴席というのは、それを大々的に宣伝するための場なのだ。
……という建前はあるけれど、実はこうした差配に青はちょっとした充足を感じていた。日頃、政治についてはあれこれ指図してはいても大半が文官や大臣たちの請願によるものだし、何より結果が見えるのはずいぶん先のことだ。
それと比べて宴席では、あれを持たせろこれを作れと言えば数日のうちに整い、自分のやったことが見えるのが青には楽しい。
こうした差配は父の領地で子供の頃から心得ている。青を子供と舐めている連中の鼻をあかしてやれるのも実に愉快なことだった。
「あとは……舞曲か。楽器ができる宦官たちの準備はできているか?」
宮城の執務の間に呼び出された春襄は喜色満面、万事お任せ下さい! と太鼓のように肥えた腹を張った。
「そうだ、浪の都で随一と評判の芸妓がおるそうです。宮に招き入れるのはいかがですかな!」
「そうか、ではそちらは任せる」
青は頷き、「ただし徒遣いをせぬように」と釘を刺す。
乱痴気騒ぎでも期待したのだろうか。太鑑の口がへの字に曲がる。
宴の差配はできるが、青はべつに宴が好きなわけではない。自分が覚えれば父や兄たちの扶けになると思って覚えたことだ。
それになにより、国庫の財政もある。
宮廷の宴席は奢侈にすぎ、いつしか諸侯や商人に金を借りている始末で、その返済は歴代皇帝の悩みの種であった。
踏み倒すというのも手なのだが、やり続ければ威信というものに傷が付く。
だから豪華であっても倹約も必要なのだ……と考えていると、ふと声が聞こえた……気がした。
『やれやれ、また自ら重荷を背負っておられる』
珀鎔珂――あの女みたいなやつの顔が頭にうかぶ。
神出鬼没の仙人。翼宮にいる男女官たちの庇護者……いや違うか。
(……あれはただのお調子者だ。人を揶揄えるときだけ現れる、優セン)
「まったく、お若いのにそんな苦労ばかりしていれば窶れてしまいましょう。おかわいそうな陛下」
頭の中に浮かんだのかと思っていたら、なんとその声は本物だった。
どこから入り込んだのか、春襄の後ろからひょっこりと顔を出したのは、まるで傾城の美女のような容、夜の海を思わせるような深い青黒の長髪の男――珀鎔珂だ。
「珀鎔珂っ!」声に驚き、振り返って春襄がまた怒り出す。「お前、ここは宮城だぞ!お前が来て良いところではない!」
「ご安心めされ」珀はにこりと笑う。「此度は女官ではなく文官の装いをしておりますれば?」
愉しそうに両手を拡げ、如何ですかと青の前でくるりと一回りして見せた。
なるほどその袍は普通の文官が着るような粗末な木綿の袍で、(宮城に務めるものの証である)袖と襟が赤い錦でできている以外はごく普通のものだ。
「おりますれば? ではないだろう」
まるで童女が新しい服を見せびらかすような振る舞いに、青は呆れかえってしまう。
「……しかし、お前が着ると何でも似合うのが腹立たしいな」
「お褒めにあずかり恐悦――」
「陛下!」春襄が青に向かって怒鳴った。「こいつを誉めるとまたつけあがりまする!」
「誉めたつもりはないが……」
「しかし――そ、そうじゃ、官位も持たぬものが勝手に文官の服を着るなぞ! これは赦されますまい!」
文句の付け所を見つけられて、春襄は喜色満面である。身分の詐称である、首を刎ねられても文句は言えぬでしょうと叫ぶが、青は取り合うつもりはないし、珀は面白そうに笑いながら官服の袖で口元を抑え、貴婦人のやる恥じらいの仕草をして見せた。
「ではいまここで脱げとおっしゃる? 太鑑殿もお好きにあらせられますな」
「阿呆か! 儂は――」
「春襄、お前も三度も犬の真似をさせられた以上は分かっているだろう。こいつには何を言っても何をやっても自分のいいように解釈するし、お前を手玉に取り続けるぞ」
「ぐうっ……」
春襄は返す言葉もなく、顔を真っ赤にして「臣はこれにて退出いたします!」と怒鳴り、青が許しもしないうちにきびすを返して、足を踏みならしながら出て行った。
「やれやれ。浪国の太鑑殿もこれでは形無しだな」
青がため息をつくと、その場にいたほかの家臣たちもくすくすと笑い声が漏れる。
皇帝を前に家臣同士(いや、片方はここに好き勝手に住んでいる仙人で、家臣ではないか)の喧嘩など、不敬もいいところ……と言えばそうかもしれないが、青にはこうした相声がひどく好ましいと思えている。
不興であれば眉ひとつ動かせただけで首が飛んでいた偽帝、頴の時代から、重苦しく恐怖に満ちた城内に少しずつ闊達な会話や、時折は笑い声が通るようになっている。青にはそれがまるで、淀んだ空気に清々しい空気が入れ替わっているような気がするのだ。
「……さて、宴席のほうはこれくらいとして、おれも書類仕事に戻らなければ」
青がそう言うと、珀もまた心得たように一礼する。
「ではわたくしは陛下のお仕事を引き継ぎまして、宴の料理と酒の味見をつとめましょう」
青は何を言ってるのだとあきれて珀を見返した。
「バカなことを言ってないでお前も手伝え」
「そんな……そんなご無体な」
珀はそう言ってしなをつくり、袖で出てもいない涙を拭い哀れんでみせる。
「ああ、なんという意地悪。陛下は私をのけものにして、楽しいことを独り占めされるのですか」
言葉も表情もわざとらしいが、美男子は何をやっても画になってしまう。今その場だけ切り取れば、年頃の娘なら一瞬で恋に落ちるのかもしれない――だがこいつは冗談が服を着てるような存在なのでまともに取り合うべきではない。
「官服を着たのであれば官の仕事をせよ」
ぴしゃりとやりかえすと、青はそれ以上は何も言わず、文官たちが持ち寄る書面をあらためはじめた。
珀は反論しようとして――ぽりぽりと頬を掻いてため息をついた。
「……着る服を間違えましたかな」




