5話 皇帝、後宮にいる男(女?)たちに沙汰を下す
数日ののち、太鑑の春襄は翼宮から宮城へと喚び出された。
蘇青――あのお人よしの皇帝陛下、いや小僧が言うには、正装せよとのことであった。そこで春襄は宦官の着る官服の上から黒絹に朱錦の襟を付けた袍を着込み、二人の宦官を付き従えて皇帝のもとへと向かっている。
前を歩くほうの宦官からため息が聞こえる。
皇帝に嘘をついたことが露見したのだ。咎めがあることは間違いないと思っているのだろう。
だが、春襄の態度は引き立てられる罪人のそれではない。
「……今日は暑いのう」
肥った春襄にはこの厚着はこたえる。汗をかいては一休みするものだから、とうに約束の時間を超えようとしていた。
「あのう、もう少し早く歩いた方が……」
後ろに従う宦官がおずおずと具申する。
「待たせておけば良い」
春襄はそう一蹴するが、もうひとりの宦官が怯えながら、いっそ逃げまするかと尋ねた。
「太鑑様、もはやこれまで、いっそここから逃げて、どこか遠くへ――陛下は、その、嘘をつき、男女官を隠していた件で――太鑑様を罰するかもしれません」
「ば、罰というのはやはり、死刑でございましょうか」
宦官たちの言葉は、春襄を気遣うものではない。その罰の累が自分にも及ばぬかという怖れだけだ。
「たわけ、おまえたち、勘違いするな。儂は罰を喜んで受けにいくつもりじゃぞ」
春襄は振り返りそう答えたが、宦官は理解できないらしく、首を捻る。
「罰はな、いま受けるべきなのだ。わからんのか、阿呆どもめが」
春襄は呆れ声で罵倒を浴びせかけた。
「いまいましい仙人くずれのせいで男女官どもの掃除はかなわんかった。時間稼ぎももはや意味もない。ならこの期に及んではさっさと白状したほうがよい。なにより蘇武――小僧の親父の西海王が遠征で居らぬこの時にこそ」
この数ヶ月で春襄は青の性格を見抜いていた。
皇帝の最大の権利であり義務である「生殺与奪」という行為に、あの小僧はまだ怖れを抱いている。
「頴の頃は斬首に凌遅(切り刻み)、炮烙(銅柱を熱し、それを抱かせる)など当たり前であったが、そんなもの、臆病なあの幼々《やおやお》にできるものかよ! 精々がただの不快、不興と口に出してのお叱りくらいじゃ」
だが、あの小僧の父、蘇武は違う。そんな慈悲は絶対示さない。
かつては皇帝の弟であったものだ。宦官の扱いには慣れている。
自分の息子に伺いすら立てずに儂の首を斬るだろう。
だから罰を受けるなら今しかない。
きょう青からの呼び出しがなければ、自ら赴いて鞭に打たれるよう尻を出すつもりだった。
そう、そうだ。
ここで、この機で覚悟して、一度罰を受ければ、二度はない。
同じ罪で二度罰を与えるのは暴君、暗君のやることだ。
父の蘇武が遠征から戻り、罰が軽いと言われたとしても何もできぬはず。
そして父もまた自らが据えた新帝にはやばや暗君のそしりがつくようなことはすまい。
あの小僧は名君と呼ばれるものに憧れを抱いている。英明で、慈悲のある君主になりたいと思っている。なら名君にしてやろうではないか――儂を赦すことで。
「……宦官とはな、皇帝に額ずいて慈悲を請い、おだてて褒めて、時には道化を演じて小馬鹿にして操る生き物よ。慈悲とは皇帝を酔わせる美酒、何度も飲ませれば、我らにとって最高の酒浸りの傀儡のできあがりじゃ」
熱弁を振るったつもりだが、三人の宦官は何も分かっていないのか、斬首という言葉が聞こえただけで小さな悲鳴を上げて首をすくめるのみだった。
つくづく情けない。口を開けば舌を抜かれ、不遜であれば首が飛んだ頴の頃の恐怖から抜け出せておらぬ。
もはやそのような時代ではないというのに、時流も読めず知恵の回らぬものが部下というのも考え物である。
「……ここさえ切り抜ければ男女官の処遇に話がうつる。小僧もあれだけ虚仮にされれば珀も追い出すだろう。そうすれば、おお、十数年来のよき時代の再来よ――翼宮がまた儂らの手に戻る!」
分の悪くない賭けだが、しかし賭け皿に乗るのは自分の首だ。逡巡がないわけではない。
何度も何度もぶつぶつと自分に言い聞かせながら、春襄は青の待つ場所へとたっぷりと時間を掛けて歩いて行く。
*
春襄は皇帝――青と名乗る小僧の待つ部屋に通された途端、めまぐるしくあたりを見回した。
刑吏がいない。青のちかくに侍っているのは書記をつとめる文官と、飲み物を下げに来た女官と、いつもの護衛の武官がひとりだけ――その文官も剣を持ってはいない。
頴の頃は日常茶飯事だった、この場での斬首はない。
春襄は即座に涙を流して、床へ身体を抛った。
「ああ、陛下! 陛下! お許し下さいませ! 臣めの本意ではございませんでした! すべてはあの、頴女の――あの薄汚い女に命じられてやったことにございます!」
宦官の技として、土下座のまま泣き伏しても皇帝の顔色を伺うのを「頭の後ろに目がつく」というが――春襄はその技においても抜きん出た者である。
目の前の皇帝――青の顔に浮かんでいるのは、困惑と驚きだ。
よし、わしは賭けに勝った!
そう思いながらも春襄はわんわんと泣き伏すが、これはもう、嘘泣きではなく、嬉し泣きだ。
「顔を上げよ。太鑑」
青に言われても一度目は下げたままにする。
「顔を上げよ」
二度目に言われてようやく顔を上げるが、涙は流したまま、顔は怯え顔で、身体を震わせる。
でっぷり肥えた中年の男が涙ながらに土下座をし、憐れっぽく震えるなど、醜く滑稽な姿であることは自分でも分かっている。
だがこの無様さこそが、自分に罰を与える興すら削がれる処世の術であることを春襄は知っている。
「……お前を喚んだのはほかでもない。お前がいま詫びた、翼宮の件である」
「ああ、ああ、お許しくださいませ! お許し――」
「……まず黙ってもらえるか」
青は呆れ声でそう遮ってきたが、感極まったふりをしておんおんと泣き続ける。
――泣け! このぐずども、泣け!
春襄は後ろにいる宦官二人にも心の中で叫ぶ。
――いまここで、後ろの宦官どももあわせて子供のように泣き叫べば、この小僧は「もうよい」と音を上げるだろうに!
しかし無能なことに二人の宦官はともに声を失い、ただただ黙って平伏しているのみである。
これ以上は逆効果だ。春襄は仕方なく諦め、口をつぐむ。
青は、うん、とひとつ頷き、それから横に侍る文官に、これから語ることを書き留めるようにと命じた。
これはつまり、皇帝の公式な記録として残る宣である。
「……過日、朕は翼宮に入ることを臣春襄によりとどめられていた。翼宮が悪鬼腐疽のはびこる場所であり、その清めを遂げるまではたとえ皇帝でもその悪鬼に憑かれる、というのが理由であった……が、実際に翼宮に入ったとき、そこにあったものは臣の言葉とは異なるものであった。
そこでは悪鬼などは居なかったが、男の女官なる奇妙なものたちが棲まう世界になっていた。聞けば前にこの翼宮を不当に領した頴なる女が、自らを帝と僭称したころ、みずからの後ろ暗い悦しみのために宦官に命じて男児を買い、女官として入内させていた名残であるという」
陽物が縮こまるような感触。
恐怖を感じるたび、とうの昔に切り落としたものが、そこにあるかのように感じてしまう。
青の言葉を耳が受け取るたび、頭はめまぐるしく動く。
――死刑まではないだろうが、やはり何かの責めは避けられぬか。
この期は遮ってでも自ら弁解し赦しを請おうか、と思い口を開こうとした矢先、青から出てきた言葉は春襄の予想を裏切るものだった。
「これは朕の不明を恥じるものである」
「は……?」
思わず春襄は開いた口で声を上げた。
青はそれを咎めもせず、ただ春襄の顔を一瞥して、それから宣を再開する。
「臣春襄はこれらの男たちの処遇に悩んでいたのだろう。翼宮の掃除に時間がかかると語ったのも、行き場のないかれらを哀れんでのことであろう。しかし、事情も知らず朕が急かしてしまった。臣春襄の悩みやいかばかりかであったろうか」
身体が脱力していくのを感じる。
これは、この言い草は処罰や譴責ではない。皇帝が反省して、おれに同情、労いの言葉をかけてるではないか!
「で、では、宮に男を入れたことは……」
言ってからしまったと思った。うっかり自分が男を入れたように言ってしまった。(いや、いちど頴に命じられたあとは自分がやったのだが)
だが青は咎めずにさらに宣を続ける。
「惟うに、僭帝の頴の時代、家族や自らの命を脅かされ、従わざるを得なかったものは翼宮にとどまらず、この浪の国の者みながそうであった。逆らうことなど誰もできぬものであった。
であるからこそ、朕は西方にて父の蘇武と挙兵し、この恐るべき簒奪者から帝位を奪還したのである。朕はあらたな帝として僭帝の罪により荒れた国土を善政にて塗り替える。ならば過去の罪もまた新たな功にて塗り替えるべきである」
春襄は心の底から快哉を叫んだ。
わしはやはり無罪放免だ。
まさか、なんとまあ。
こいつはなんというお人よしだろう。自分で言ったことだが、ここまで思惑通りに進むとは!
「……春襄」
「はっ、はいっ」
「先帝のころに宮内に男を入れ、その風紀を乱したこと、今までの己があやまちを悔い、今後は朕のためにいっそう働くと誓えるか」
「はいっ! も、もちろんでございます!」
「早いな」
間髪すら挟まぬ春襄の答えに青は少し苦笑し、それから表情を戻す。
「では今回に限り、汝の罪を赦すものとする……いや待て、まだ退出は赦さぬ。……さて、《《女官》》にさせられたものたちのことだが」
「陛下、私めにお任せを。なに、あのえせ仙人さえ――」
「……発言を許したわけではないぞ」
ぴしりと空気が凍る音がした。
若僧かと思っていた青に睨み付けられた。
不興を察知した途端、考えるよりも先に染みついた身体があわてて平伏を促す。
「……さて、彼らのことであるが、平時の女官たちと同じよう身の振り先を定めてやりたいが、男として市井に戻ることはもはや出来ぬという。また僧として穏やかに暮らすことを望むものもいるそうだが、僧院が引き取ることを拒んでいるとのこと。無理に受け入れさせることもできるだろうが、それがまた新たな不幸を生むのは想像に難くない。なるほど臣春襄が悩むのも道理である」
おそれながら、おそれながら――春襄は口を開きたくて仕方なかった。
ただひとこと、あのいまいましい仙人、珀鎔珂に「出て行け」と言いさえすればよいのだ。
仙人も皇帝の命なら聞かざるを得まい。
そうすれば、男女官どもなどすぐ追い払える。自らの家臣でもないものに悩む必要などない!
どうやってそれを伝えようか。口を挟むのは難しそうだが、うまく機会を捕まえて――そう思い、青の口元をずっと追っていた春襄だったが、次の瞬間、とんでもない発言を目と耳で識ることになった。
「このため、朕は次のように決めた。それはつまり、男女官達はここを離れ新たな暮らしができるようになるまで、彼らを翼宮にとどめてよいことにする」
「な……?」
何を言っている。
「な……な……なっ……?」
そう言おうとするのだが、いざ口から出てくるのは、言葉にならぬ声だった。
「どうした?」
「わっ……わっ……わっひっ……はっ」
儂は――その声すら出なくなるどころか、息を吸うのすら怪しくなってきた。
苦しい。あわてて息を吸おうとするが、あまりのことに口をぱくぱくさせるだけである。
「そなた、きょうは犬の真似ではなく、魚の真似か」
青はくつくつと笑いだした。
文官達も目を丸くし、あるものはあんぐりと口を開けている。
臣――儂が、儂が阿呆になるのもわかるだろう! みなも驚きのあまり呆けている!
と怒鳴りたかったが、何を言っても言葉にならぬ。
怒り狂う春襄や度肝を抜かれ呆然とする文官達に、青は言葉を続けた。
「……朕はいまだ若輩であり、夫人貴人もおらぬ。いずれその勤めも果たさねばならぬが、皇族が成人の前にそうしたことをして国が乱れた例もある。であるから、今は翼宮に男がいようとかまわぬ、というわけだ」
春襄は開いた口がふさがらない。
「かれらが穏やかに住める場所を作り、手付の技(生活の手段)を身につけさせるようにせよ。よいな、春襄」
「は……はっ?」
「よいな?」
「は……ははっ」
重ねて尋ねられて、春襄は叩頭し平伏した。平伏するほかになかった。
「よろしい。文官。書き留めよ。朕の命と春襄の諾をもって以上の宣は終わる……さて、これで片付いたか」
口惜しい。このようなことがあってたまるか。
陛下が、天子様が、皇帝が男のいる翼宮に住むだと?
こんな、こんな外道をする皇帝などありえぬ。
怒り、驚き、嘆き、羞恥、義憤、しかしこれは自分の招いたことが原因ではないかという後悔、いや儂は悪くないという自己保身、頭の中に思考がぐるぐると回るが、何の答えも導けない。
頭に血が上り、いっきに落ちていく。かと思うとぐっと突き上がる。
何度も繰り返していくうち、意識が遠のきそうになる……そのときである。
「ひとつだけ」
青の後ろに控えていた女官が口を開いた。
「うん……?」
青が彼女に目を留め、少し驚いた顔になる。部下が口を挟むなど、あってはならないことだ。
「ひとつ納得がいかぬのですが」
なのにその女は、周囲が唖然とする中、無礼にもすらすらとしゃべり出す。
「男女官を守ろうとした、わたしの活躍が書かれておりませぬ」
その声は凜と通り、まるで男のよう――
「おっ、おまっ、おまえはっ!」
なぜ思い浮かばなかったのか。自分の愚かさに腹が立つ。
こいつは俺が、俺がいちばんいて欲しくないところに居る!
「おまえを書くと諸々面倒だからな」
青は一瞬驚いただけでその後はもはや興味もなさそうに、淡々と女官――の格好をした(自称)仙人、珀鎔珂に向かって言い放つ。
「しかし、陛下が私と出会ったことも大事でしょう。泣きべそをかかれていた陛下を、私がそっと慰めて……」
「そんなことは無かった」
「心で泣いておられた気がしますが……」
「無かった!」
「まったく、太鑑どのも言ってやって下さいな。おや、どうなされた太鑑どの。顔色が優れぬご様子。太鑑殿? 太鑑殿……?」




