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翼宮仙奇~少年皇帝が後宮で出会ったのは、男で女官で仙人でした~  作者: 占野モシオ
第1章 少年皇帝、後宮にて珀鎔珂と出会うこと
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2話 後宮と太鑑

 青が翼宮――後宮への入り口である門へ歩くまでのあいだに取次とりつぎはたしかに通っていたらしい。門の前には宦官の長、太鑑たいかん春襄しゅんじょうが、数人の供の宦官をつれ、涼しい顔をして立っている。


「これは、陛下……!」


 太鑑は青を見ると、わざとらしく見つけたという驚きの顔をして笑顔を浮かべ、それから恭しく叩頭こうとうをはじめた。

 両手をつつみ、頭を地にこすりつけるこの礼は皇帝への敬服を示すものだが、でっぷり太ったこの太鑑の叩頭は巨大な芋虫の蠕動ぜんどうを彷彿させ、嫌悪を感じてしまう。


「太鑑、翼宮の潔斎きよめはどうなってる」


 拝跪を解き、会話のゆるしを与えてからそう訊ねると、太鑑は饅頭のように丸く膨れたおもてを上げ、甲高い声の早口でまくし立てた。


「さて! そこでございます陛下。いみじくも陛下の伯父上であらせられた、偉大なる景帝陛下の造られましたる翼宮七十余宮、いまだ忌々しくも賤しいあの女めの悪鬼腐気に満ちていることをお伝えせねばなりませぬ」

 

「悪鬼……腐気?」


「左様です。頴女――あの憎っくき女が喚びだした邪鬼の、邪悪な気にございます。これを排すること非常に困難でして……。いやはや陛下、私めも死を覚悟し中に入りましたが、なんとまあ、翼宮は退廃の園と化しておりまして……いやはや、生きていた頃から恐ろしいほどの悪徳と狂気に満ちておりましたが、死してなおそのよどみは溜まりつづけております。あのような場に入られることは陛下にとっては穢れに触れるも等しいことでございまして」


 ぺらぺらとよく喋るのも不快だが、太鑑かれの、頴――偽帝となった先の帝に対する罵倒の言葉が青にはひっかかった。

 春襄は景帝のころから仕えている宦官だ。諸事遊興に通じており、賭博にはじまり、美酒に佳人おんな、芝居に歌舞……宴席ともなれば盛大なことを思いつく者だったが、それが景帝の貴妃であった頴のお気に入りとなり、景帝が崩御したのちは宦官の長官である太鑑にまで上り詰めた男だ。

 いくら僭称の帝として廃されたとはいえ、彼女に出世の恩義くらいはないのだろうか。

 いや――青は思いとどまる。これもまたかれの出世の術、保身の技なのだろう。

 権力者に媚び、へつらい、勘気いかりの矛先が自分に向かぬのなら何だってする。

 その証拠に、頴が帝位を廃され――彼女の在位が「なかったこと」にされても、彼は太鑑のままである。数々の不正は隠滅され、尻尾すら掴ませていない。


「……この怨霊の気をわれら宦官が少しずつ排し、排したあとから香を炊き清めておりますが、どこから行うかはそれぞれ占を立ててから吉順を決めておりまして……」


わたしはそういったものは信じない」


 怪力、乱神、妖魔に悪霊、仙人仙術、道士に道術……子供の頃はそういう物語に興奮したり、何もない闇夜を恐れもしたが、いまや青は一度も見たこともないものを信じる気などさらさら起きない。


「朕は天子である。であればそうした悪鬼怨霊のたぐいも逃げ出すはずだ。余計な祠祭は不要。あるいは何も進んでいないならそう答えよ。怒りはせぬ」


 だんだん苛立ってきたせいか、放り投げるように発した青の言葉を、しかし太鑑は近侍たちのように恐怖で受け止めず、笑顔がすっと消え、真顔にもどって口を開いた。


「……畏れ多くも天子様に弁ずる非礼をお許しください」

 

 先ほどからの粘着質な笑顔が、いきなり醒めた真顔に戻り、青は少し驚き、思わず発言を許す。


わたくし、景帝陛下の頃よりこの後宮の公事祭事を差配しておりますが、慣例では前帝が身罷って新しい皇帝が即位するまでには三年の大喪がございます。……もちろん、それは父子の間柄にある孝行が理由でございますが、宦官である我々はこの大喪の三年のあいだに前帝の貴妃様がたのご出宮の調整にはじまり、これまで仕えてきた女官の身の振り先の世話、新たにお仕えする女官の選定、これらにかかわる衣服や宮内の装いの作り替え、そのための役夫工人の手配など万事多端の務めにあたります」


 長広舌おしゃべりだが、嘘は言っていない……気がする。

 確かにそうした刷新のための準備は必要だろう。

 いままで住んでいた辺境の城を想像して、その掃除に三月も待たされているような思いで憤慨していたが、ここは禁城、皇帝だけでなく、女官や貴妃、宦官を含めればゆうに二、三千人はいるはずで、それほどの広大な場所であることに思いが至らなかった。そうしたものを入れ替えるというのなら、なるほど時間もかかるだろう。

 だが、何かどうも気になってしまう。

 うまく言いくるめられているのかもしれない。そう思わせる何かがあるが……それが何かは分からない。

 青は少し考えたかった。そのために沈黙していたが、春襄の方は待ってくれない。


「陛下……有難うございます!」


 春襄はまわりに居る人間の誰もが聞こえるくらい大きな声で叫び、そしてその丸く大きな顔にぽろぽろと大粒の涙を零しはじめた。

 話のうまいやつというのは、つまり相手に考える暇を与えないやつ、ということなのだろう。青も彼の魂胆はよく分かった。だが、分かっていても、それでもやっぱりあらがうことが難しい。


「普通は三年かかりまする準備ですが、一刻も早く調えるべきであることは疑いようもございませぬ。しかしわたくし、非才愚鈍の身でありますれば、三月ではそれにお応えできることもかなわず……なんとか事実をお伝えしたく思うておりましたが、それではまるで新帝陛下に理非を解くようなものであり、不敬であると恐れ、それで霊がいると言えば陛下に近しい方が察してご助言なさると思うておりました次第でして……むろん嘘つきの罰を受ける覚悟はしております! しかしながらわたくしをはじめとする宦官そのほかの役夫たちにも累が及ぶことはと思うておりました……! ああ、ですが慈悲深い陛下は私をお許し頂けるというのですね!? もっと早く弁解をしておればよかった! わたくしは感激でございます!」


 そこまでひと息に語りきった春襄は、あらためて頭を地にこすりつけた。

 宦官たちが慌ててあとにつづく。

 仕草ひとつひとつがいちいち芝居じみているが、それがむしろ青には自分を責めているようにも思えてしまう。『ふつう三年はかかる準備をもっと短くしろと言うのか』と。

 承服するにはわだかまりはあるが、言葉に出来ない。

 いや、もしかしたら自分はこの男のことが不快なだけで、この男の理を正しくないと思いこんでいるのかもしれない。

 そう思った瞬間、青は自分を恥じた。

 不快だろうと正しい言葉には耳を傾けなければならないはずだ。

 自分はさとい皇帝でありたかった。

 浪の国は長年の暴君による苛政で荒廃している。だからこそ、公正さをいまいちど取り戻さなければならない。

 青は神話にある帝のように慈悲深く、公正であり、事を為すに至っては率先して範を垂れるような。そうであれば、たとえどれほど嫌悪するような者であろうと、正しい事であれば正しいと言うべきだ。

 

わたしは……」


 理解した。きつく言ってすまぬ。

 そう口に出そうとした瞬間。

 かすかに何か聞こえる。


「~♪」


 声?

 抑揚のついた、波のように寄せては返すような音色が聞こえる。

 これは胡の音だ。

 どこから?

 それはもちろん、後宮からである。


「胡?」

 

 青は思わずそう呟いた。

 頭をひれ伏して感涙にむせび泣いていたはずの太鑑――春襄がさらに大声で泣こうとするが、胡の音はそんな妨害などお構いなしに、ゆるゆると流れるように、春の陽水のようにしみ出て響く。


「……これはどういうことだ」


 青が春襄に呟いた。春襄は思わず面を上げ、青の顔色をふたたび見る。

 彼の態度や表情は、先ほどからすべてが変わっていた。

 目はそぞろ、顔は青くなったり、紅くなったりを繰り返すばかり。必死に言い訳を捜すために頭を回しているのだろう。だが、先ほどは戸に水を立てるようにさらさらと口から流れていたはずなのに、いま言葉がいっさい出てこない以上、このあと新たに何かを語ってもすべてが白々しくなるに決まってる。


 肚のあたりがかっと熱くなるのをこらえる。だまされていたことの怒りじゃない。気安く人を信じてしまったことの、自分への怒りだ。

 

「太鑑。いまおまえはこの翼宮――後宮に悪鬼腐気が満ちているといった。そしてのちに、それは理屈では3年かかる後宮の入れ替えを急かし無理強いするわたしを諫めるための方便だったと言った。だがいま、この宮から聞こえてくる歌は何か」


「いや、これはつまり……」


 だが青は、今度こそは弁解の隙を与えない。


「朕が入れぬ寝所で歌を歌い酒を飲み遊ぶ、これが、そなたのいう『多端の務め』というものか」


 そのとき、赤ら顔のまま、押し殺した声で太鑑は青に漏らした。


「お聞き下さい、あれは……あれこそは、さきほど申し上げた頴の怨念、腐気にございます」


「それは私への方便であったのだろう」


「いえ、お聞き下さい陛下、あれこそ頴の堕落の源、あれが呪いでございます。私は陛下をお守りするために――」


「もうよい。先も言った! わたしはそういったものは信じぬ。」

 

 青は思わず大声で怒鳴った。

 

「それほど言うのならわたしが退治してやる」


 と言い捨てると、青は宦官たちの制止も聞かず、迎門を超え――翼宮へと押し入ったのだった。


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