09:小さな公爵令嬢の生活(2)
庭の散歩を終えた後、少し眠り、起きたらフレデリカに呼ばれた。
仕立て屋が洋服を持ってきたのだという。
部屋に行けばさっそくと着替えさせられた。白いシャツと赤いスカート。スカートの後ろには大きなリボンが付いており、シャルロッテがくるりと回るとひらひらと揺れた。ならばとその場でぴょんぴょんと跳ねるとリボンもぽわんぽわんと跳ねる。
「なんて可愛いのかしら。大きなリボンがまるで子猫の尻尾のようだわ。あら、こっちはフリルのついたワンピースね。こっちも着てみせてちょうだい」
「そちらはパニエと合わせればスカートにボリュームが出て、愛らしさと少女らしさを感じさせるシルエットになっております」
「素敵。絶対にシャルロッテに似合うわ。素敵な令嬢はお洒落しないと」
上機嫌なフレデリカに、彼女の話を聞いていたシャルロッテは「おしゃれ?」と首を傾げた。
「お母様、おしゃれってなんですか?」
「素敵なお洋服を着ているひとのことよ。シャルロッテはこれからたくさんのお洋服を着て、お洒落で素敵な令嬢になるの。どの服も可愛らしいから直ぐにお洒落になれるわ」
「シャルロッテ様の美しい銀の髪はどんな色にも映えますから、お洋服の薦めがいがあります」
フレデリカと仕立て屋が楽しそうに話す。
自分が褒められていると察し、シャルロッテは恥ずかしさでくすぐったくなってしまった。もじもじと体を揺すれば背中のリボンも揺れ、それすらも可愛いとフレデリカ達が褒めてくる。
そんなやりとりの中、ノックと共に男性の声が入室許可を求めてきた。この声は……、
「ライアンお兄様!」
シャルロッテが呼べばそれとほぼ同時に扉が開きライアンが入ってきた。ひらひらと片手を振りながらなのが彼らしく、シャルロッテが近付けば頭を撫でてくれる。
そんな彼を見上げ、シャルロッテは「お兄様おしゃれ」と彼を褒めた。
今日のライアンの装いは白いシャツに紺色のベストとズボン。ベストには光沢のある緑色の糸で模様が入っており、シャツの胸元にも同色のスカーフが巻かれている。落ち着いた色の選択と煌びやかな飾り、そして彼の金色の長い髪、すべてが互いを引き立てている。
仕立て屋がその姿を見て「おぉ」と感嘆の声を漏らした。
「さすがライアン様、素敵なお召し物ですね。流行りを取り入れていらっしゃる」
「あ、気付いてくれた? 嬉しいなぁ。市街地の服屋を見てて気に入ったベストなんだ。オーダーで仕立てるのも良いけど、既製品は流行をすぐに追えるから良いよね」
「我々も既製品は必ずチェックしております。特に王都の市街地は流行の最先端ですからね」
仕立て屋の話にライアンが同意だと頷く。普段から明るく楽し気なライアンだが、洋服について話す今は普段以上に楽しそうだ。
次いで彼はシャルロッテに視線を向けると「素敵な洋服だね」と褒めてきた。
「可愛い妹のファッションショーが開催されてるって聞いて急いで来たんだ。今着てるのは何着目?」
「これが一番目で、つぎはあのワンピースです」
「一着目なんだ。良かった、間に合った」
良かった良かった、と話してライアンがソファに座った。有無を言わさぬ同席、そのうえ「それじゃあ再開して」とまで言ってのける。
二人から褒められるだけで気恥ずかしくてくすぐったかったのに、そのうえライアンまで増えてしまった。
これにはシャルロッテはどうして良いのか分からず、恥ずかしさでポッと赤くなる頬を押さえつつ、苦笑交じりのメイドに「さぁファッションショーは始まったばかりですよ」と促されて隣の部屋へと向かった。
着替えては褒められ、また着替えては褒められる。
挙げ句に「素直に着替えてくださるなんて、シャルロッテ様はなんて素晴らしい」と着替えること自体を褒められる。全体を見せるためにくるりとその場で回れば全員から拍手され、着替えに疲れて紅茶を飲むだけでも何故だか褒められてしまう。
そんな褒められ三昧なファッションショーを終えたものの、余韻はしっかりと胸に残り、シャルロッテは照れながら屋敷の通路を歩いていた。頭の中はたくさんの褒め言葉でいっぱいでふわふわしてしまう。
このふわふわな気分のまま自室に向かって一休み。……と思ったのだが、「シャルロッテ」と名前を呼ばれて足を止めた。
振り返ればジョシュアがこちらに歩いてくる。
「お兄様、おでかけしてたんですか?」
「王立図書館に行っていたんだ。その帰りにワッフルを買ってきた。食べたことは?」
「ワッフゥ……?」
「一緒に食べよう、きっと気に入る」
「はい」
ジョシュアが片手を差し伸べてくる。
それをきゅっと握り、シャルロッテは彼の部屋と向かって歩き出した。
「シャルロッテは何をしていたんだい?」
「お洋服のひとが来て、いっぱいきました」
「洋服のひと……、仕立て屋か。私もそろそろ仕立てたいんだが…………」
「ジョシュアお兄様、どうしました?」
シャルロッテが首を傾げて見上げれば、ジョシュアは眉根を寄せた難しい表情をしている。
母親譲りの紫色の瞳はふいにそらされ、麗しい顔には躊躇いの色が濃く浮かぶ。
なにか悩み事でもあるのだろうか。そう案じてシャルロッテがもう一度呼べば、ジョシュアが普段より幾分低い声で「それが」と口を開いた。
「どうにも私は服に無頓着というか……。いや、もちろん公爵家嫡男として相応に着飾ることは出来るし、常に場と立場に合わせた身形を心がけている。公私ともに品を欠くような服装はしていない。だが友人からは堅苦しく遊び心がないと言われるんだ。流行りに疎いとも言うな。だが公爵家嫡男として同じ服を着続けるわけにもいかず、そろそろ仕立てをと思っていたんだが、苦手だとどうしても後回しに……、……シャルロッテ?」
「……はわ、はわわ」
ジョシュアの口から矢継ぎ早に出る難しい単語の羅列に、シャルロッテはすっかり気圧されてしまった。
なにか返事をしようにもまともな言葉が出てこない。「はわわ」と声を漏らすのがやっとだ。
察したジョシュアが「しまった」と己の口元を押さえた。
「すまない、言い回しが難しかったな。服もだが、どうにも何事においても堅苦しく構えてしまう」
「はわわ……」
「落ち着いてくれ、シャルロッテ。私はただ……、そう、お洒落が苦手なんだ。それで、次の服をどうしたらいいのか分からずに困ってる」
シャルロッテも理解できるようにとジョシュアが改めて話してくれる。
彼のこの話に、はわわとしていたシャルロッテは「おしゃれ」と呟いて改めてジョシュアを見上げた。
思い出されるのは先程のファッションショー。そこに同席していた……。
「それならライアンお兄様にお願いしたらいいです。ライアンお兄様、お洋服の人といっぱい話してて、おしゃれっていってました」
「ライアンか。確かにいつも洒落た服を着ているな。今度聞いてみようか」
「ジョシュアお兄様もファッションショーしますか?」
先程まで何着も着替えては褒められており、それをライアンは『ファッションショー』と呼んでいた。
だからジョシュアもと話せば、彼は一瞬目を丸くさせた後、苦笑を漏らした。
「いや、私はファッションショーはしないよ。でも次にシャルロッテがファッションショーをする時は私も呼んでくれるかな」
「ジョシュアお兄様も……」
フレデリカとライアン、そして仕立て屋。彼等から褒められ三昧のファッションショーだった。
そこにジョシュアも……、と想像するだけでなんだか恥ずかしくなってしまう。それでもシャルロッテはテレテレと照れつつ「はい」と答えた。褒められ尽くしのファッションショーは恥ずかしくてくすぐったいが、けっして嫌ではないのだ。
そうしてジョシュアと手を繋いだまま彼の部屋へと向かった。
◆◆◆
「ジョシュア兄さんが甘いもの……」
「今日はワッ……ワッフゥで、こんどはマシュロロとクッキーを食べようっていってくれました」
「ワッフルとマシュマロだな。しかしジョシュア兄さんは甘いものが好きなのか、意外だな」
初めて知ったと言いたげに話すのはグレイヴ。
訓練から帰ってきた彼は愛馬の手入れをしており、シャルロッテはそれを用意してもらった椅子に座って眺めていた。
たまにこうやって馬の手入れを見させてもらっている。その間に今日は何をしたか明日は何をするのかを話すのだ。時には馬に餌をやってみたり、撫でさせて貰う。
そんな他愛もない会話の中でシャルロッテがジョシュアとお茶をしたことを話し、先程のグレイヴの不思議そうな返しだ。
「そういえば、昔からよく食べていたような気がするな。……いや、でもあれは兄さんが望んで食べてたのか、たんに出されてたのか」
どうだったか、とグレイヴが首を傾げて悩みだした。兄のことだというのに随分とあやふやではないか。
これにはシャルロッテもつられて首を傾げてしまった。
「グレイヴお兄様はジョシュアお兄様といっしょにワッフフ食べないんですか?」
「ワッフルだ。ワッフル」
「ワッ……フルル……」
「いずれ言えるようになればいい。それよりジョシュア兄さんとだが、食事はともかく、甘いものとお茶を一緒に……っていうのは無かったな。かといってライアン兄さんやハンク兄さんとお茶をしたかって言うとそうでもないし、小さい頃に少し遊んでもらったぐらいかな」
本当に思い当たるところが無いのだろう、グレイヴは記憶を引っ繰り返すように話しているが、それでもピンとこないと言いたげだ。
そんな彼をシャルロッテは不思議そうに見つめていた。
あんなに素敵なお兄様達がいるのに、こんなに素敵なお兄様なのに、
せっかく兄弟なのに、一緒に過ごしてこなかったのか……。
そう考えるとなんだか寂しくなりしょんぼりと俯けば、察したグレイヴが慌てて駆け寄ってきた。
「ち、違うぞ、別に仲が悪いわけじゃない。ただそういう機会が無かったというか、特にジョシュア兄さんとは年が離れていたし、ライアン兄さんとハンク兄さんとは性格が違いすぎたんだ」
「……性格?」
「あぁ、自分も含めてだが、たぶん俺達兄弟は性格が違いすぎる。社交界でも言われてるからな」
はっきりと話すグレイヴの口調にはそれを気にしている様子はない。
むしろシャルロッテが気にしていると案じ、「だから大丈夫だ」と念を押すように宥めてきた。頭を撫でようとし慌てて手を引っ込めたのは、きっと手が汚れているからだろう。
「手入れが終わったから餌をやるか?」
「はい!」
グレイヴの提案に、しょんぼりとしていたシャルロッテはパッと顔を上げ、椅子からぴょんと飛びおりた。
渡されたのは人参一本。曰く、調理場から馬用にと貰ってきたものらしい。
「ゆっくりと口元に差し出すんだ。急に出したらビックリするからな」
「ロッティも急にパンがでてきたらビックリします」
「それは俺もビックリするな」
そんな事を話しつつそっと人参を差し出せば、馬がゆっくりと頭を下げて顔を寄せてきた。
グレイヴの愛馬は成人男性でも乗せられる立派な栗毛の馬だ。親も、それどころか何代も前から王宮騎士隊の馬として活躍する、いわゆる名馬。事実、騎士隊が所有する馬の中でも上位に入る優秀さだという。
そんな馬は、幼く小柄なシャルロッテからしたら『大きい』どころではない。
これで激しく嘶いたらきっと恐ろしくて近寄ることもできなかっただろう。だが馬は嘶くことも暴れることもせず、シャルロッテが差し出す人参をそっと咥えてまたゆっくりと頭を戻した。緩やかな動きはシャルロッテを気遣ってのものである。
「お馬さん、人参おいしい?」
シャルロッテが話しかけるも、もちろん馬からの返事はない。だがまるで返事代わりのように生の人参をゴリゴリと豪快に咀嚼しだした。
その力強さにシャルロッテは感動し、グレイヴに見守られながらもう一本と人参を差し出した。
 




