05:ブルーローゼス家のお兄様達(1)
翌朝、シャルロッテが目を覚ましたのは昼を過ぎてからだった。
まだぼんやりとする意識ながらに目を擦って身を起こせば、「おはようございます」と声を掛けられた。
ベッドの横に置かれた椅子に若い女性が座っている。「だぁれ?」とシャルロッテが問えば、ブルーローゼス家のメイドの一人だという。手にしていた針と糸を机に置き「よく眠れましたか?」と微笑んで立ち上がった。
「朝食の用意は出来ております。まずはお着替えをしましょう」
「はい……」
「どうなさいました、シャルロッテ様。まだ眠いならもう少し眠りますか?」
「……夢じゃなかった」
ほぅとシャルロッテは安堵の息を吐き、両の手で己の頬を押さえた。
暗く冷たい馬車の荷台から眩く温かい家に。連れてきてくれたのは素敵なお父様、迎えてくれたのは素敵なお母様。
今まで見た良い夢を全部まとめてもこれほど嬉しいものはない。
自然と表情が和らぐ。「シャルロッテ様」と呼ばれれば実感が湧き、「ロッティ」と自分の愛称を口にすれば胸が温まっていく。
そんなシャルロッテをメイドは微笑みながら見つめ、傍らに置いていた衣服を手に取った。
「さぁ、お着替えをしましょう。奥様が選んでくださった素敵なワンピースですよ」
「おくさま?」
「お母様のことですよ。朝一にお店に行って買ってきてくださったんです。さっそく着替えてお見せしましょう」
「はい!」
メイドに促され、シャルロッテはパッと布団から出てふかふかのベッドから降りた。
お母様が選んでくれた洋服。考えただけでも嬉しくてドキドキしてしまう。そのうえ、メイドが目の前に広げて見せてくれたワンピースはシャルロッテが今まで見たどの洋服よりも綺麗で可愛らしいのだ。
シャルロッテの視界がキラキラと輝いた。いや、昨夜からずっと輝きっぱなしだ。
◆◆◆
ワンピースは胸元に大きな赤いリボンがついた可愛らしい一着だった。そのうえ髪にも赤いリボンを飾ってもらう。
更に夜中にメイド達が人形用のワンピースとリボンを縫ってくれており、シャルロッテも人形も新しいワンピースとお揃いのリボンである。
それらを纏い食事の部屋へと向かう。
扉からひょこと顔を出して中を覗けば、そこにはテオドールとフレデリカの姿があった。
「……お、おと……、おか……、あの」
そろりと部屋に入り、恐る恐る二人に声を掛ける。
『お父様、お母様』と二人を呼ぼうとしたが、何故だか呼んで良いのか分からなくなってしまったのだ。
昨夜のことは夢じゃなかった。目が覚めた時のふわふわの暖かい布団、今着ている可愛いワンピース、そして髪に飾ってもらったリボン。これらが証拠だ。
それでも二人を父と母と呼ぶのはなんだか臆してしまい、シャルロッテは彼等に近付きつつも言い出せずもじもじと体を小さく揺らした。
「お、お父様、お母様……、あの、お父様とお母様って呼んでいいですか?」
大きな不安が胸を占めるがほんの少しだけ勇気を出し、二人を呼んで改めるように許可を求めた。
テオドールとフレデリカが一瞬驚いたように目を丸くさせる。だが二人とも柔らかく微笑むとそっとシャルロッテへと手を伸ばしてきた。
フレデリカの細くしなやかな手が頭を撫でてくれる。テオドールの大きな手は頬を擽るように撫でてくれた。
「おはようシャルロッテ。よく眠れたか? お父様の御膝においで」
「シャルロッテ、おはよう。その服とても似合っているわ。お母様が選んだのよ、素敵でしょ」
二人が朝の挨拶と共にシャルロッテの名前を呼んでくる。自らを『お父様』『お母様』と呼びながら……。
その言葉にシャルロッテはパッと表情を明るくさせた。テオドールに抱き上げられて彼の膝に座り、頭を撫でてくる母の手に自ら顔を寄せる。
「お父様、お母様、おはようございます」
改めて朝の挨拶を告げれば、二人が嬉しそうに笑ってくれた。
そうして運ばれてきた朝食は、シャルロッテが今まで食べたものの中で一番美味しいものだった。
ハムとチーズが挟まったパンと温かく優しい味のスープ。デザートにはフルーツまで。
まだフォークが上手く使えないシャルロッテのために食べやすいものを用意してくれたらしい。フレデリカが「すぐにナイフとフォークを使えるようになるわ」と微笑みながら、シャルロッテの頬についたパンの欠片を細長い指で摘まむ。
「どうかしら、シャルロッテ。美味しい?」
「こんなにおいしいのはじめて!」
シャルロッテが嬉しそうに答えれば、フレデリカが満足そうに笑った。部屋の一角で紅茶の準備をしていたメイド達まで表情を和らげ「後で厨房に伝えましょう」と話し合っている。
だがシャルロッテが「青いところのないパン」と話すと、誰もが不思議そうな表情を浮かべた。
「青いところ?」
「パンの青いところはお腹が痛くなるから食べちゃダメです」
「そう……。これから食べるパンはどれも青いところはないから、安心して食べて良いのよ」
フレデリカがそっとシャルロッテの頭を撫でる。……切なげに目を細めながら。
だがシャルロッテは彼女の悲しみには気付かず、ぱふとパンにかぶりついた。パンはふわふわと柔らかく、中に入っているチーズとハムの味が口に広がる。「おいしい」と呟いて今度はスープへと手を伸ばした。
コクリとスープを飲めば美味しさと温かさが喉を伝ってお腹へと落ちていく。野菜は柔らかく、「赤いのおいしい」と話せば人参というのだと教えてくれた。
「昨夜は移動中に補給物資しか食べさせていなかったから、これが最初の食事になるな。さすがに補給物資はカビてはいないが、味は……。次の会議の議題は救出者への食事の質向上にするか」
ふむ、とテオドールが考え込む。
頭上から聞こえてくる真面目な声に、シャルロッテはパンを食べながら彼を見上げ……、
「父上!」
と聞こえてきた声にビクリと肩を震わせた。
扉が開き、入ってきたのは一人の青年。
金色の髪に紫色の瞳。精悍な印象を受ける青年だ。
彼は厳しい表情で部屋に入ってくるなりテオドールとフレデリカの前に立った。テオドールの膝の上に座るシャルロッテの前でもある。
「あらジョシュア、おはよう。朝から元気ね」
「母上、犯罪集団から保護した少女を娘に迎え入れたというのは本当ですか? なぜ昨夜のうちに話をしてくださらなかったんですか」
「面倒くさいからよ」
「面倒……。それが息子に対する態度ですか。そもそもなぜ我が家に迎え入れるのですか。救出者の一時的保護と支援というのなら分かりますが、娘にするなんて」
「落ち着きなさい、ジョシュア」
ジョシュアと呼ばれた青年の話をフレデリカがぴしゃりと遮る。
次いで彼女はテーブルに置いてあった扇子を手に取り、はたはたと己を扇ぎ始めた。その仕草からは余裕が漂っている。
「今回の件、国内はおろか近隣諸国、それどころか海を越えた先からも注目されているわ。それはもちろん犯罪者達を捕縛した後も変わらない。捕らえた者達をどうするのか、保護した者達のその後をどうするのか。今後の対応は統率するテオドールの、そして我がブルーローゼス家の、ひいては我が国の評価にも関わるわ」
「それはもちろん把握しております」
「それなら、シャルロッテを迎え入れることでブルーローゼス家がどう評価されるかは分かるでしょう」
はっきりとしたフレデリカの言葉にジョシュアが黙り込む。
何かを考え込み……、そうして「なるほど」と呟いた。
「身寄りのない少女を娘として迎え入れることで、今回の件、捕縛以降も責任を負う覚悟があると示せますね」
「そうよ。それに我が家の格と器を誇示することも出来るわ。両陛下も今回の話を支持すると仰っているし、良いこと尽くめでしょう?」
「そういうお考えでしたか。さすが母上と父上。若輩者の私では考えが至りませんでした」
感心したと言いたげにジョシュアが一息吐いた。……のだが、次の瞬間には一転して眉根を寄せた怪訝なものへと変えてしまった。
「それで」という言葉は先程までの感心の声色に比べて些か冷めている。両親を見る目もじっとりとしている。
「その理由は私達息子を放って一晩で考えたものですか」
「あら失礼な言い草ね。息子を言い包める理由なんて一晩どころか朝食のついでで十分よ。ねぇ、テオドール」
ジョシュアの言及は鋭い。だがフレデリカは臆することも動じることもせずコロコロと笑い飛ばすだけだ。
次いでフレデリカがテオドールへと話を振れば、シャルロッテを膝の上に載せていた彼は妻からの問いかけに一度頷いて返し、改めるようにジョシュアへと視線をやった。
こちらもまた真剣な表情だ。テオドールが何を言うのか不安になり、シャルロッテは縋るような思いで彼の服をきゅうと掴んだ。
そうしてテオドールがゆっくりと口を開き……、
「そもそも、シャルロッテは俺の娘だからな」
と、静かに、落ち着いた声色で、だがはっきりと、まるで当然のことを語るように断言した。
「父上に関しては、もはや私を言い包める気もないのですね」
「娘を娘として育てることになぜ息子を言い包める必要がある」
「……そうですね、かしこまりました。余計な口出しをしてしまい申し訳ありません」
両親の強引さにジョシュアが溜息を吐いた。
そんな彼をフレデリカが呼んだ。ジョシュアが何かと問うも答えず、その代わりに視線をチラと横に逸らす。そちらを見ろと。自分の隣、テオドールの膝の上、彼の腕にしがみついて座るシャルロッテを見ろと……。
突然現れた青年、捲し立てる口調。そして難しい話。
言葉こそ理解しきれないが自分がここに居る事をジョシュアに否定されていると感じ、シャルロッテはすっかりと怯えていた。
鼻の奥がツンと痛み、視界が揺らぐ。泣いては困らせてしまうと我慢をしているがじわりじわりと目の縁に涙が溜まってしまう。隠すように目元を擦ればポタリと涙が落ち、慌ててそれを隠して泣き顔を見せないようにと俯いた。
それを見て、ジョシュアが息を呑んだ。
「可愛い妹を怯えさせて、兄としてお詫びの言葉は無いのかしら。ねぇシャルロッテ? 酷い話よね」
フレデリカが持っていた扇子の房でシャルロッテの耳を擽る。ふわふわと、さわさわと。
房が揺れるたびに花の香りがして、くすぐったさにシャルロッテはふるりと身体を震わせた。身を捩るも房が追いかけてきて鼻先を擽ってくる。まるで顔を上げろと言いたげに、頬を、鼻を、額を、下から上へと。
促されるように俯いていた顔をそろりと上げてジョシュアを見上げれば、部屋に入ってきた時こそ厳しい顔をしていた彼が、今は眉尻を下げて困惑しているではないか。
そんな彼を見て、シャルロッテはそっとテオドールの膝から降りると恐る恐る彼に近付いた。
テオドールもだが息子のジョシュアも背が高い。見上げるようにして彼を見つめて、「あの……」と話しかけた。
「おうちにきてごめんなさい……」
「い、いや、私の方こそ驚かせてすまない。別にきみに対して怒っていたわけじゃないんだ」
「……それなら、ロッティはここに居てもいいですか? むすめじゃなくても、いもうとじゃなくてもいいから……。帰るおうちがなくて……」
共に保護された者達は「これで家族の元に帰れる」「故郷に帰れる」と喜んでいた。騎士達も彼等にそう話していた。
だがシャルロッテは違う。家族も居なければ帰る故郷も無い。
テオドールに迎え入れられてようやく家を得た。だがジョシュアが駄目だと言うのなら、シャルロッテは出ていかねばならない。
だけどそれならどこに行けばいい?
暗くて冷たい馬車の荷台にはもう戻りたくない。
だから、どうか、この温かくて眩い場所に……。
そう心の中で願うとシャルロッテの視界がまたじわりと滲んだ。
服の裾をぎゅっと掴んで震える声で「ここにいたいの」と呟いた。




