12:シャルロッテと馬車
今日のために用意されたワンピース。大きなリボンとフリルのついたボンネットハット。それに先日仕立て終わった新しいポシェット。
おでかけ用の装いにシャルロッテはご機嫌で、期待と興奮でぴょんぴょんと飛び跳ねながら馬車へと向かっていった。
「ロッティ、おじいさまとおばあさまのためにクッキーをやきました。おじいさまのはリボンが青で、おばあさまのはピンク!」
「きっと喜んでくれるわ。新しいポシェットも見せましょうね」
「はい! ロミーもね、おそろいで、ハンクお兄様がロッティとおなじ、ボッ、ボネットトットをくれたんです」
「ボンネットハットね。お揃いでとっても可愛いわ」
フレデリカが褒めてくれる。それだけでは足りないと頭を撫でようとし……、ボンネットハットをツンと突いてきた。
母に褒められシャルロッテはより嬉しくなり、跳ねるのを止めて彼女の手を取った。きゅっと握ればフレデリカもまた握り返してくれる。
「おじいさまとおばあさまに会うの、ロッティ楽しみ」
早く会いたい! とシャルロッテが話せば、フレデリカが愛おしいと言いたげに頷いて馬車に乗るように手を引いてくれた。
シャルロッテの祖父母であり先代ブルーローゼス夫妻フレイドとアリア。
二人から王都の近くに行くと手紙が届いたのは一ヵ月前。
曰く、懇意にしている友人の家に祝い事があり訪ねるのだという。是非にとその家の者に泊まるように言われ、更に「せっかくだし孫に会ってきたらどうだ」と言われた……と。
その手紙を受け、予定を合わせ、今日とあるレストランで共に食事をする事になったのだ。
レストランまでは馬車で数十分程度。王都から少し離れた場所にある景色の良い店だという。
さすがに七人全員が一台の馬車に乗り込むには無理があり、二台で向かう事になった。先頭の一台にはフレデリカとテオドールとシャルロッテ、後続には兄達。どちらもさすが公爵家と言える立派な馬車だ。
「もしかしたら家族全員で出掛けるかもと思ってもう一台用意しておいたけど、さっそく使うことになったわね」
「あぁ、そうだな。さすがに七人は窮屈だからな」
「向こうはどんな話をしているのかしら」
「楽しくやってるだろう。最近、兄弟で話してるところをよく見かけるからな」
嬉しそうにフレデリカが話す。それに応えるテオドールもまたどことなく嬉しそうだ。
フレデリカもテオドールも、息子達と出かけることはここ数年ほとんど無かったという。例外はジョシュアだが、あくまで公爵家夫妻と子息という立場ゆえの外出。家族のお出かけとは少し違う。
だからこそ、純粋に『家族』として、なにより全員で出掛けられることが嬉しいのだろう。
フレデリカの隣、そしてテオドールの向かいに座り、シャルロッテもまた外出が嬉しいとニコニコと笑いながら二人の話を聞いていた。
おじいさまとおばあさまと会ったら何を話そうか。どんな話を聞こうか。
勉強がどこまで進んでいるかも話したいし、家庭教師の先生のことも、友人達とのことも。もちろん両親や兄達とのことも。
話したいことがいっぱいで今からワクワクしてしまう。高鳴る胸元に手を添えて押さえ、ふと、吹き抜ける風に頬を撫でられて窓の外を見た。
王都から少し離れた場所。建物だらけだった景色は次第に長閑になりつつある。
背の高い建物が減り、家屋が増え、その間隔も広がっていく。更にその奥には薄っすらと山が見えた。
吹き抜ける風は心地良く、窓からは馬車の車輪が地面を走る音が聞こえる。
あとどれほど走ったら祖父母と会うレストランに着くだろうか。そう考えると更に楽しみになる。
こんな風に馬車に乗って祖父母に会いに行ける。家族と一緒に。
馬車に……。
以前だって、馬車に乗っていたのに。どうしてこうも違うのだろう。
なんで違ったのだろう?
一瞬浮かんだ疑問に、シャルロッテの背をぞわりと怖気が走った。
「……っ」
心臓がドクリと脈打ち、胸元に添えていた手にぎゅうと力を込める。洋服が皺になることも気にせず強く掴むが、その下にある心臓はまだドクリドクリと脈打っている。普段の鼓動とは違う、走った後の激しい鼓動とも違う、低く響くような気持ちの悪い鼓動。
じわじわと項に汗が浮かぶ。頭の中に車輪の音が響き、それで埋め尽くされる。他の音が一切聞こえない。
お父様が喋っているのに、
お母様が喋っているのに、
車輪の音しか聞こえない。
まるで世界にそれしか無いように。……あの日々のように。
カタカタと一定の間隔で伝わるこの振動と音は、まるであの荷台に居た時のようではないか。
「……あっ、……いや」
「シャルロッテ、どうしたの?」
「いや……、やだ!! やだぁ!! いやぁぁ!!」
「シャルロッテ!」
途端に悲鳴をあげたシャルロッテに、テオドールもフレデリカも驚いて名を呼ぶ。
だがシャルロッテの耳に彼等の声は届かず、頭の中はぐるぐると回り続けて車輪の音ばかりが響きわたる。その音を声をあげて拒否するので精一杯だ。いやだ、やめて、いや!! と叫んで頭を振って、ボンネットハットがずれるのも構わずに頭をおさえる。
フレデリカが抱きしめて落ち着かせようとしても今のシャルロッテにはそれが伝わらず、ただ悲鳴じみた声をあげるだけだ。
「いやぁぁぁ! やだ! やだっ!! もう無いの! もうちがうの!!」
「シャルロッテ、落ち着きなさい。大丈夫よ、ほら、お父様もお母様もいるから」
「馬車を止めてくれ!」
テオドールが御者に指示を出せば、馬車が停止した。
続いていた振動と音が止む。だがシャルロッテの頭の中にはまだ延々と途切れることなく響き渡っており、それを必死に声をあげて掻き消した。
嫌だ、やめて、もう違うの。
もう無いの。あんな暗い世界はもう無いの!!
「やだ! 無いの、もう無いの!!」
「シャルロッテ、大丈夫よ。ほらお母様と一緒に外に出ましょう」
「もう無いの!! やだぁ!!」
叫び喚き必死になにかを振り払おうとするシャルロッテを、フレデリカとテオドールが抱きしめて止める。
そのままシャルロッテは半ば無理やり、抱き上げられたまま馬車の外へと出ていった。
「シャルロッテ……」
馬車の外には、すでに異変を感じ取った兄達が待っていてくれた。
誰もが声を詰まらせ息を飲み、辛うじて出した掠れた声で妹の名を口にする。それほどまでにシャルロッテの様子は酷いのだ。
顔色は青ざめており、だというのに目元だけは泣き腫らして赤い。ボンネットハットは振りほどかれており、まるで暴れたかのよう。普段は愛らしく話し名前を呼んでくれる声は、今だけは悲痛な叫びでなにかを拒絶している。
フレデリカにしがみつき泣き喚く様は必死さすら感じられ、それを抱きしめるフレデリカの顔にも緊張感が宿っている。
何かがあった。
シャルロッテに、シャルロッテの心に、なにか恐ろしいことが……。
だがそれをここで尋ねればシャルロッテを怯えさせてしまう。そう誰もが考えて口を噤んだ。
長閑だったはずの景色に、幼い子供の拒否の声だけがしばらく続いた。
◆◆◆
「伯母上と伯父上は! シャルロッテは!」
ブルーローゼス家に駆けつけるや夫妻を呼んだのはシャルロッテの従兄弟であるレスカ。
だが夫妻の出迎えは無く、代わりにリシェルとメイド長が対応した。もっとも、恭しく頭を下げこそするものの挨拶はおざなりだ。今はそんな時ではない。
「シャルロッテ様はご自分の部屋に。旦那様も奥様も、ジョシュア様達も揃っております」
「シャルロッテの状態は」
「今は泣きやんでおりますが、誰か一人でも退室すると不安そうにして、追い縋ろうとするんです……」
思い出すだけで辛いとリシェルが肩を落とした。堪えきれずに目元を拭う。
あの後、シャルロッテを馬車に乗せることは出来ず、そして誰一人欠けることもできず、徒歩でブルーローゼス家へと戻ってきた。
幸いだったのは出発してそう距離を走っていなかったことだ。それと、御者が気をきかせ、一人はこの事態を祖父母に伝えるべく、もう一人はブルーローゼス家への伝言とレスカの呼び出しに走ってくれたこと。
そうして屋敷に戻ってくる頃にはシャルロッテも幾分落ち着きを取り戻していた。もっとも、フレデリカにしがみつき、全員がいるかを都度確認してようやく、といったところだが。
「レスカ様、シャルロッテ様は……」
「馬車に乗ってる最中ってことは、外の景色か、馬車の揺れに過去のことを思い出したか……」
「ですが、馬車には何度も乗っていますし、今日の道を通ったこともあります」
「それでも何かの拍子に思い出してしまうんだよ。……そうだ、もしあれば用意してほしいものがあるんだけど」
レスカの頼みごとに、リシェルが涙で潤んだ瞳を丸くさせた。
なぜそんなものが今必要なのか。そう疑問を抱いた顔だ。
だがレスカが必要というなら言及するまいと考えたのか、頭を下げると「すぐにお持ちします」と一言残して足早に去っていった。




