08:小さな公爵令嬢のはじめてのクッキー作り
「ロッティ、クッキーをやいてみたいです!」
そうシャルロッテが意気込みながら告げたのは長閑な昼過ぎ。場所はブルーローゼス家の調理場。
告げられたのはブルーローゼス家の調理を担う料理人達で、突然のこの申し出に誰もが驚き目を丸くさせた。
そんな中、代表するようにシャルロッテを呼んだのは料理長。
「シャルロッテ様、クッキーとは……、あのクッキーですか?」
「はい。サクサクしておいしいクッキーです。ロッティ、クッキーをやきたいです」
「クッキーが食べたいのでしたらすぐにご用意いたしますよ」
「ロッティがやきます! このあいだ、クラリスさんがクッキーをやいてくれたんです!」
先日、トレルフォン家でのお茶会に呼ばれた。
といっても小規模なお茶会だ。トレルフォン家と懇意にしている家の夫人と子息令嬢のみが呼ばれる、長閑で楽しく、穏やかな茶会。
シャルロッテの同年代は主催であるクラリスと、マリアンネとフランソワ。いつものもっちり同盟である。
そんな子供達のテーブルに置かれたクッキー。それをクラリスが焼いたのだという。
『私のクッキーはまだまだですわ。もっともっちり……、いえ、さっくりと焼けるようになりませんと』
そうクラリス本人は言っていたが、彼女が焼いてくれたクッキーはとても美味しいものだった。
甘さと香ばしさがちょうどよく、サクサクと食感も小気味よい。紅茶の茶葉が入ったものはとりわけ香りがよく、チョコチップが入ったものもまた絶品。
どれも美味しいクッキーだ。そしてなによりシャルロッテを感動させたのは『クラリスが焼いた』ということ。それどころか、マリアンネとフランソワもクラリスを真似てクッキーを焼いたことがあるというではないか。
思わず『ロッティもやきます!』と宣言すれば、彼女達はコロコロもちもちと笑いながら応援してくれた。
それらを説明すれば、料理長がなるほどと頷いた。
「トレルフォン家のクラリス様ですか。あの家ならばご令嬢がクッキーを焼くのも納得ですね。では、我々と一緒に焼きましょうか」
「はい!」
シャルロッテが意気込んで返事をすれば、厨房に居た誰もが愛おしいと目尻を下げた。
クッキーを焼くと気合いを入れるシャルロッテのなんと可愛らしいことか。用意してもらった子供用のエプロンを纏う姿も可愛ければ、まずはと手を洗う姿も可愛い。どんな形のクッキーを焼こうか料理長と相談する姿も、相談の内容も、言わずもがな。
そしてなにより可愛らしいのが……、
「憧れのお姉さん達と同じことをしたいんでしょうね。なんて可愛らしい」
さっそくと準備をしていた一人がほぅと吐息交じりに話せば、誰もが同感だと頷いた。
◆◆◆
さっそくシャルロッテのクッキー作りが始まった。
といってもまだ分量を計ることもできず、材料の準備は殆ど調理場の者達任せである。
それどころか、混ぜることもこねることも小さな手では上手くできない。
「シャルロッテ様、このボウルに入ってる粉をこちらに移してください」
「こっちのボウル……」
「お上手ですよ。次はカップに入っている牛乳をここに流し込んでください。その後は交代で混ぜましょう」
「牛乳! まぜるのはこうたいですか?」
「えぇ、そうです。そうしたら次は生地を練ります。これも交代です。二人でやるとより美味しくなるんですよ」
「より美味しく……! ロッティ、がんばります!」
シャルロッテが気合いを入れれば、手伝ってくれる料理長も、それどころか厨房の誰もが微笑まし気に見守り応援してくれた。
「あの小さなおててのなんて可愛らしいこと……!」
「見ろよ、あんな小さな手で生地をこねてらっしゃる。あんな可愛い手が焼くクッキー……、これは一流パティシエのクッキーより勝る一品になるに違いない」
「ほら見て、ちゃんとこねてるのになぜか額と鼻の先に粉がついてるわ。なんて可愛いのかしら」
誰もがうっとりとシャルロッテの奮闘を見守る。
そんな温かい眼差しを注がれつつ、シャルロッテは周囲の力を借りてクッキー作りを進めていた。
生地の準備を終え、次は型抜きだ。丸や三角のようなシンプルな型もあれば花や猫の型もある。見ているだけで楽しくなりそうだ。
どれにしようかと目移りしていたところ、料理長が真剣な声色でシャルロッテを呼んできた
「シャルロッテ様、型抜きには一つだけ気を付けなければならないことがあります。考え無しに型抜きをしてしまうと、後々に争いが起こるかもしれません」
重々しい口調で料理長が話す。
先程までは楽し気だったのに途端に纏う空気が変わり、シャルロッテは気圧され思わずゴクリと生唾を飲んだ。
型抜きに気を付けなければならないこととは何か……。それを怠ると争いが起こるとは……。
「ロッティ、ちゃんと気を付けます。ど、どうすればいいですか?」
「いいですか、シャルロッテ様。ハートです、ハートのクッキーの枚数にだけは気を付けてください。誰に何枚ハートのクッキーを送るかによって平和に終わるか、争いが始まるかが決まります」
「ハートのクッキー……!」
そんな! とシャルロッテが慄き、手にしていたハートの型抜きを見た。
まさかこの形がそれほど重要だったなんて……。思わず怖くなりそっとハートの型抜きをテーブルに置く。それだけでは足りず、指でちょんちょんと突いて自分から遠ざけた。
「大丈夫ですよ。枚数をきちんと管理すれば争いは起こりません」
「ほ、本当ですか?」
「えぇ。ですがハートのクッキーとはそれほど重要なもの、大好きで特別な方にしか送ってはいけません」
「はい! ロッティ、今日のクッキーのハートは、お父様とお母様と、お兄様達にあげます!」
今日の分のハートのクッキーは家族にだけ。そう話せば、料理長がそれが良いと微笑んで頷いてくれた。
そうして型抜きを終え、クッキー生地はオーブンへ。シャルロッテは厨房にあるテーブルへ。
みんなと紅茶を飲みながら待つが、ただ待つだけではない。時折クッキーの様子を窺い「おいしくなぁれ」と声を掛けるのだ。この声掛けも美味しく焼くコツだと教えてもらった。
それを何度か繰り返せば、テーブルには大皿に盛られたクッキーの山。
近付くだけで甘い香りがふわりと漂い、試しにと一枚口に入れればサクリとした食感と香ばしさと程よい甘さが口の中に広がった。更に焼きたての温かさがそれらをより引き立てる。
パァとシャルロッテの瞳が輝いた。焼きたてのクッキーとはなんて美味しいのだろうか。
「うまく焼けたみたいですね。では、次は配るために分けていきましょう」
「はい! あのね、リシェルにクッキーをやきたいっていったら、キレイなふくろをもってきてくれたんです」
これ!見て! とシャルロッテが興奮気味に話し、手元に置いておいた袋を見せた。
クッキーを焼いてみたいと思い立ちリシェルに相談したところ、彼女は二つ返事で協力を申し出てくれた。更に、家族には内緒で焼いて配りたいというシャルロッテの希望にも応えて、可愛らしい袋を用意してきてくれたのだ。
この袋にいれてクッキーを配る。家族と、いつもケーキやお菓子を持ってきてくれる家庭教師の先生に。それとリシェルにも。――リシェルには「家族にだけ」と伝えておいたが、きっと驚くだろう――。
「みなさん喜びますよ。では、慎重にクッキーを分けましょう。ハートのクッキーは重要ですからね」
料理長が真剣な表情で告げてくる。周囲で見守る料理人達も「最後の頑張りですよ」「可愛いおててで分けましょう」と応援してくれている。
彼等からの応援を受け、シャルロッテは気合いを新たにさっそくとクッキーの山へと手を伸ばした。
実はクッキーを焼くのを手伝ってくれた皆にも振る舞おうと考えているのだが、もちろんこれも内緒だ。
喜んでくれると嬉しいな……。そう考えると、まだ分けている最中だというのに小さく笑みがこぼれた。




