05:こころのいととせんせ
王城に戻ればテオドールとミアが待っていてくれた。
だがテオドールは急な用事が入ってしまったらしく、顔を見せに来てくれたもののすぐに戻らないといけないらしい。
別れ際の彼の、
「すぐに仕事を終えて戻ってくるからな。城にはいるから、何かあったら、いや、無くてもいい、いつだってお父様を呼びなさい」
という言葉には娘への愛と、娘と離れたくないという未練がましさがこれでもかと込められている。
そんなテオドールを見送り、次いでグレイヴも一度騎士隊の方に戻らないといけないと話し出した。
こちらもまた「すぐに戻ってくる。いつだって呼んでいいからな。妹が兄を呼ぶのは当然だからな」という名残惜しそうな言葉を残して去っていく。
そうして残されたのは、シャルロッテとミア。
「ロッティ、次のお話ししにいきます」
「えぇ、参りましょう。次はシャルロッテちゃんの従兄弟の先生ですよ」
「いととのせんせ?」
それはなぁに? とシャルロッテが首を傾げた。
いとと、もとい従兄弟とは何だろう。『シャルロッテちゃんの』とミアが言っているあたり、自分に関係しているのは分かるが……。
今度は逆側に首を傾げてみるもやはり分からない。
そんなシャルロッテの仕草が面白かったのか、ミアがクスクスと優しく笑みを零し、「行きましょう」と手を差し伸べてきた。
「いととのせんせのところ?」
「はい。素敵な先生ですよ」
ミアに促され、シャルロッテは彼女の手を取り、案内されるままに歩き出した。
向かったのは王城の一室。
扉を開けて室内に入れば、待っていたのは一人の女性。
年は二十代前半ぐらいか。艶のある黒色の髪が白衣によく映え、銀縁の眼鏡が知的な印象を与える女性だ。
「やぁシャルロッテ、はじめまして」
「シャル……、シャルロッテ・ブル……、ブルゥロロゼスです。ごきげんよう」
少し噛みつつ――今回は失敗だ――、それでもカーテシーで挨拶をすれば、女性は拍手を送ってくれた。
「はじめまして、いととのせんせ」
「いとと? あぁ、従兄弟のことか。はじめまして、私はレスカ・ラングリッジ。きみのお母様の妹の娘だよ」
「……お母様の?」
シャルロッテの頭に母フレデリカの姿が浮かぶ。
生憎とずらせない予定があり今日の同行が叶わず、出かける際に「無理はしないでね。悲しくなったらすぐに周りに言いなさい。辛かったら帰ってきてもいいし、呼んでくれればお母様が迎えに行くからね」と何度も言ってくれた。
そんな母フレデリカの……、妹の、娘?
「お母様の……、妹……?」
「そうだよ。フレデリカ伯母様の妹が私の母」
「お母様の妹が、せんせのお母様で……。だから、せんせはロッティの妹!?」
シャルロッテがはっと息を呑む。
そういうことか! とまるで衝撃を受けたかのような閃きだ。
もっとも、閃いたシャルロッテに対してレスカは微笑んだままで、ミアも同様、可愛いと言いたげに笑みを浮かべている。
「残念だけど妹じゃないよ。シャルロッテの従兄弟」
「いとと……、いととでせんせ?」
「そう。難しいなら好きに呼んでいいよ。周りからはレスカ先生って呼ばれてるね。たまに助手が『レスカ・ラングリッジ伯爵家令嬢大先生』って呼ぶけど、これは怒ってるときだ」
笑いながらレスカが話し、「さて」と改めるようにシャルロッテに向き直った。
じっと見つめてくる紫色の瞳。シャルロッテが「お母様と同じ色」と呟けば、母親譲りなのだと教えてくれた。
「私はお医者さんなんだ。可愛い従兄弟のロッティ、きみのことを少し診させてもらってもいいかな?」
「いいけど……、ロッティ、どこも痛くないです。このあいだ転んじゃって、お膝が赤くなって、でも治りました」
「膝が治ったのはよかったね。でも、私が見るのは膝じゃなくてここだよ」
穏やかに微笑み、レスカが己の胸元をトントンと軽く叩いた。
それを見て、シャルロッテも彼女を真似て自分の胸元をトントンと叩いてみた。痛くはないし、今は特にドキドキもしていない。
ここを診るとは? と疑問を抱きながら胸元を押さえ、その手を少し上にずらしたり、下にずらしたりし……、
「ロッティ、お腹いたくないです」
「お腹じゃないよ」
「……でも、ちょっとお腹すきました。ちょっとだけ」
先程チョコレートを食べたことでもっと食べたくなってしまった。えへへ、と照れ臭さで笑いながら話せば、レスカも楽し気に笑ってくれた。
次いで己の鞄から取り出したのは可愛い袋に入ったクッキー。それを差し出してくれる。
お礼と共に受け取って一枚食べれば、レスカが「私はね」と話しながらそっとシャルロッテに手を伸ばしてきた。
彼女の細い指がシャルロッテの胸元を指差す。
「私が診るのはシャルロッテの心だよ」
「……ロッティの心?」
「嬉しい、楽しい、そういう気持ちもあれば、悲しい、怖い、辛い、そんな気持ちもある。シャルロッテの心が悲しいとか怖いって気持ちでいっぱいになってどうして良いか分からなくなったら、その時は私を呼んで」
「ロッティの心を、レスカせんせが治してくれますか?」
「完全に治すことは難しいけど、どうして悲しいのか、どうしたら怖くなくなるか、そういうことを一緒にお話しして治していくんだよ」
レスカの口調は淡々としているものの、優しさが根底にあるのが分かる。
その喋り方の雰囲気はどことなくフレデリカを彷彿とさせる。はっきりと喋るものの愛を感じさせる、静かで包み込むような優しさだ。
「それじゃあ、少し私とお話しようか。まずはそうだね、シャルロッテのお兄様達の事を聞こうかな」
「レスカせんせはロッティのいととで、ロッティのお兄様達はレスカせんせの…………、弟?」
「お兄様達も私の従兄弟だよ。今日はグレイヴも来ているんだよね。彼には会ったかな」
「はい! さっき、グレイヴお兄様がお兄様のせんぱいのところに連れて行ってくれて、ロッティごあいさつしました。お父様とグレイヴお兄様と同じ服のひとがいっぱいいて、みんなきしで、それで」
話したいことがわっと湧き上がり、シャルロッテが興奮気味に話し出す。
それを聞くレスカは嬉しそうで、うんうんと頷きながら話の先を促してくれた。
◆◆◆
「今度はおうちに遊びに行くよ。またお話して遊ぼう」
「はい! レスカせんせが来てくれたら、ロッティ、お庭を案内します。それとロッティのお部屋も!」
「楽しみだ」
嬉しそうにレスカが手を振ってくる。
シャルロッテもまた片手を振って返し、もう片方の手はミアと繋ぎながら部屋を出ていった。
そうして扉が閉まれば、賑やかだった部屋がシンと静まり、レスカが用紙に書き込むペンの音だけが続く。
そんな静けさを破ったのは扉のノック音。入ってきたのはテオドール。
真剣な表情をした彼は凛々しさを通り越して威圧感さえ纏っており、年若い女性ならば臆しかねない雰囲気を漂わせている。
そうでなくとも公爵家当主であり騎士隊長なのだ。年若くなくとも緊張し、誰であれ立ち上がり深く一礼する人物である。
……もっとも、レスカは「これはこれは、お久しぶりです、伯父様」と椅子に座ったままの軽い挨拶だけで済ませてしまったのだが。
「大掛かりなことに巻き込んですまなかったな」
「いえ、むしろ呼んで頂き感謝してますよ。どうにもこの分野はまだ理解者が少なくて、特に上の連中は頭が固くて認めない者もいる」
「確かにな。今回の件も、身体の医者の招集はすぐに可決されたが、精神面の医者の必要性には疑問の声があがっていた」
「疑問の声ね、容易に想像つきますね」
困ったものだ、とレスカが肩を竦めた。
その仕草も口調も愚痴の内容も、なんとも若手の医者らしい。
伯爵家令嬢ながらに医学の道に進み医者になった彼女は、貴族令嬢の中でも珍しい部類に入るだろう。中には令嬢らしからぬと批判する者もいるが、テオドールからしたら立派な姪である。
そんな彼女にテオドールが苦笑を浮かべ、対面の椅子に腰を降ろした。
「急にシャルロッテを娘に迎えることになって、夫妻はさぞ驚いただろう」
「そりゃあ驚いたなんてもんじゃありません、ラングリッジ……家はいまだにこの話題で持ちきりですよ。父上も母上も、いつ会わせてくれるのかって連絡を待ち望んでますからね。今日なんて、シャルロッテに会うと私が言ったら家族中から『抜け駆け』の大ブーイングで」
酷い言われようだとレスカが訴えるが、その内容からはシャルロッテを歓迎していることが分かる。
テオドールが小さく安堵し、同時に、気になるからといって無理に駆けつけずに待っていてくれる親族に心の中で感謝を抱いた。
そうして一度テオドールが深く息を吐き……、
「それで、シャルロッテの状態はどうだ」
と、真剣な表情で本題に移った。




