03:小さな公爵令嬢、王城へ
シャルロッテに国からの招集が掛かった。
公爵家令嬢としてではない。人身売買を生業にする集団から保護された一人としてだ。
あの晩に共に助け出された者達や、その後の調査で保護された者達も呼ばれているという。
主な目的は現状の確認、健康管理、今後についての相談、そして今まで自分を捕らえていた者達についての情報提供。
もちろん無理強いはしない。当人達の状態を優先し、応じられる者にだけである。
「辛い記憶を思い出させることになるから本当は連れて行きたくないんだが、俺の権限でシャルロッテだけ招集から外すというのもな……」
渋い声色で話すのはテオドール。
シャルロッテの負担になることは避けたい。あの日々のことを思い出させたくない。
だが父親としてそう思う反面、今回の件を指揮する騎士隊長としては一人でも多くから情報を集めたいと思っている。それと同時に、保護した者に頼らねばならない不甲斐なさもある。
だが一つでも情報が増えれば一人でも多く救えるかもしれない、それもまた事実だ。
そんなジレンマが顔に出ており、今のテオドールの表情は随分と険しい。
見兼ねたフレデリカが己を扇いでいた扇子をパンと音立てて閉じた。その音で考え込んでいたテオドールがはっと我に返る。
「怖い顔をしないでちょうだい。シャルロッテが怯えるわ」
まったくと言いたげなフレデリカの言葉。
それを聞いてようやく自分が険しい顔をしていたと気付いたのか、テオドールが己の眉間を押さえる。だがまだ表情は渋い。
そんな両親のやりとりを、シャルロッテはテオドールの膝の上で聞いていた。朝食の後の一時、父の膝の上でのお茶タイムだ。
「ロッティ、お父様のこと怖くありません」
「そうか、優しい子だな」
「お外にでるのも怖くないです。このまえお母様とライアンお兄様とおでかけしました。それに、その前はマリアンネさんのお茶会にもいきました」
二人の会話から、自分がどこかに行かなければならないことは分かった。
母の部屋でも父の部屋でも無さそうだ。庭でもない。むしろもっと遠く、この家の外。
シャルロッテがブルーローゼス家に来て数ヵ月が経ち、新たな公爵家令嬢として世間に公表され、最近は少しずつ屋敷の外にも出るようになった。
クラリスの家であるトレルフォン侯爵家にも招待され、マリアンネの家のお茶会にも出た。市街地を見て回ったり公園に遊びにも行った。
シャルロッテの世界を少しずつ広げていこう。そう家族や使用人達が働きかけてくれているのだ。
だから外に出ることは怖くない。
でも……、
「でも、ひとりでおでかけは……、ちょっと怖いです。まいごになっちゃうかも……。このお家に帰ってこられなかったら……」
弱々しい声で不安を吐露すれば、背後から逞しい腕が伸びてきてぎゅうと体を抱きしめてくれた。
テオドールの腕だ。彼の逞しい腕が、シャルロッテよりも一回りどころか二回り、それ以上に大きな体が、包むように抱きしめてくれている。
「俺が一緒についていくから大丈夫だ」
「お父様が?」
「あぁ、それにグレイヴも騎士として任務についているから近くにいる。そばにいるから安心しなさい。皆で帰ってこよう」
「お父様とグレイヴお兄様がいっしょ……。それならロッティはおでかけ大丈夫です!」
不安げな表情から一転して明るい表情で元気よく答えれば、テオドールとフレデリカが柔らかく微笑んだ。
◆◆◆
そうして招集の日。馬車に揺られて向かったのは王城。
ここに来るのは救出された晩以来だ。あの時も大きな建物だと思ったが、日中、明るい場所で見るとよりその大きさが分かる。
そんな王城の中へと進み、一人の女性を見つけ、シャルロッテは「あっ!」と声をあげた。
「リボンのおねえさん!」
通路の先でこちらを待つように立っていたのは、メイド服を纏う一人の女性。
シャルロッテが救出されて王城に来た時、体を洗ってくれた女性だ。
彼女もシャルロッテの事を覚えてくれていたようで、こちらを見るとパッと表情を明るくさせた。……のだが、次の瞬間にはたと我に返り、恭しく頭を下げてしまった。深く、顔も見えないほどに。
そうして告げられる、
「お待ちしておりました。本日は私がご案内させて頂きます」
という畏まった言葉。
駆け寄ったシャルロッテはきょとんと目を丸くさせてしまった。
「……おねえさん?」
前に会った時と態度が違い、シャルロッテは困惑して彼女と、こちらに歩いてくるテオドールを交互に見た。
前に優しくしてくれた女性だ。見間違えるわけがない。だけどあの時と様子が違う。
どうしてか分からない、どうしたらいいのか分からない。
思わず「お父様……」とか細く呟けば、不安を察したのかテオドールが頭を撫でてくれた。次いで女性に対して顔を上げるよう促す。
「すまないが娘には以前のように接してくれないだろうか」
「で、ですが、公爵家のお方に……」
「娘は貴女に会うのを楽しみにしていたんだ。なぁ、シャルロッテ」
テオドールに促され、シャルロッテは「はい!」と元気よく答え、クルリと後ろを向いた。
頭に飾ってある水色のリボンを彼女に見せるためだ。銀色の髪に飾られた、水色の可愛らしいリボン。
「おねえさんがくれたリボン。あのね、今日はロミーもいっしょでね、おそろいで、お洋服もリボンとおなじ色にしました。色をあわせるのがお洒落だよってライアンお兄様がおしえてくれて、それで、ライアンお兄様とお洋服をえらんだんです」
溢れ出しそうな伝えたいことをなんとか説明し、ポシェットからロミーを取り出した。綺麗になった髪に映える水色のリボン。
あの晩、温かなお湯で体を洗ってもらい、髪を乾かして貰った。その際につけて貰った水色のリボンだ。「お人形とお揃いね」と、あの時まだボロボロだったロミーにもリボンをくれた。
見て! とシャルロッテが告げれば、女性は嬉しそうに表情を和らげてくれた。
「シャルロッテ様にお贈りしたのは安物の髪飾りです。人形のリボンに至っては、ただの飾り紐で……。それなのに立派な返礼品を頂いてしまって」
「娘が初めて貰った贈り物だ。それに感謝と敬意を示すのは当然のこと。だからどうか、娘には以前と変わらぬ対応をしてもらいたい」
「ありがとうございます。……それなら、シャルロッテちゃん、……で、いいでしょうか」
恐る恐る女性が呼んでくる。立場上敬語は崩せないが、それでもせめて呼び名はと。
先程の恭しい態度ではなく、シャルロッテを見つめて優しく微笑みながら。口調も敬語ではあるが穏やかだ。もう一度確認するように「シャルロッテちゃん」と呼んでくる。
親し気な声色で名前を呼ばれ、シャルロッテはパッと表情を明るくさせた。
名前を呼んで貰えた。
あの時はまだ無かった名前を。
「おねえさん!」
「私の名前はミア。今日は私がシャルロッテちゃんを案内しますね」
「ミアお姉さんがロッティをエストッ……、エスコット?」
シャルロッテが問えば『エスコート』と察したミアが微笑んで首肯した。
「はい。今日は私がシャルロッテちゃんをエスコートします」
ミアが片手を差し出してくる。
シャルロッテがその手をきゅっと握れば、彼女もまた嬉しそうに微笑んでくれた。




