01:変わらぬシャルロッテのキラキラな毎日
不思議な音を聞き、シャルロッテはゆっくりと眠りから目を覚ました。
パタパタと指先で叩くような、トントンと突くような、それでいてサァと何かが流れるような音。
まだ意識はぼんやりとするが身を起こして布団から出る。音はどこから……、と周囲を見回しながら部屋を歩き、辿り着いたのは窓辺。
普段はこの窓から太陽の光が差し込み、開ければ心地良い風が吹き込んでピンク色のカーテンを揺らす。だが今朝は眩い光は差し込まず、シトシト、ポツポツ、と不思議な音を奏でていた。
「あめ……」
カーテンを開ければ窓は雨粒で覆われていた。眺めている間にも雨粒は絶えず窓を叩き、連なって流れ落ちていく。まるで流れる水のように。
雨粒で歪んだ窓越しでもわかるほどに外は薄暗く、空も灰色の雲が覆い尽くしている。
試しにと窓に触れればひんやりと冷たかった。
「シャルロッテ様、もう起きていらっしゃったんですね」
ノックの音がして、部屋に入ってきたのはメイドのリシェル。
シャルロッテに声をかけつつ、並ぶように窓辺に立って空を見上げた。
「昨日の夜遅くから降り始めたんです。今日は一日ずっと雨だそうですよ」
「……ロッティ、雨はきらい」
かつて生活していた馬車の荷台は、雨が降るとよく雨漏りしていた。
あちこちから冷たい雨粒が落ちてきて、荷台の隅に寄ってそれを避けていたのだ。寝ている間に雨漏りで体が濡れてしまい、酷く寒い思いをしたこともあった。
それに、雨が降ると男達はいつも機嫌が悪かった。
突然怒鳴ったり、物や馬車を蹴ったり。他の人達に暴力を振るうことも。
シャルロッテは暴力こそ振るわれなかったが、怒鳴られ、ロミーを泥濘に放り投げられることは数え切れないほどあった。
ただでさえ真っ暗な世界は、雨が降るとより真っ暗だった。
そうシャルロッテが俯きながら話せば、案じたリシェルがそっと頬を撫でてくれた。
優しい手だ。ほんのりと温かい。
その手は数度シャルロッテの頬を撫で、だが最後に一度、ツンと突いてきた。
シャルロッテがきょとんと目を丸くさせてリシェルを見上げれば、先程まで切なげに話を聞いていた彼女は今は楽し気に笑っている。
「雨が嫌いなのは昨日までですよ」
「きのう?」
「だって今日からは雨のお散歩を楽しめるんですから」
「おさんぽ……」
リシェルの話を聞き、シャルロッテはしばし言葉を止め……、だが次の瞬間にパァと音がしそうな程に表情を明るくさせた。
「ロッティの傘!」
「えぇ、シャルロッテ様の傘です。今朝届きました」
「傘! ロッティの傘!」
先程までの悲しい気持ちが一瞬にして消え去り、シャルロッテの胸が期待で高鳴る。
早く傘を見たい。早く傘をさして外に出たい。そう弾む声で、それどころか実際に弾みながら訴えれば、興奮する様も愛おしいと言いたげにリシェルが微笑んだ。
◆◆◆
今まで雨が降るとシャルロッテは屋敷に籠っていた。
庭に出ることもせず、いつもの散歩も屋敷の中だけ。
だがいつまでも籠っているわけにはいかない。そう考え、フレデリカがシャルロッテ用の傘を仕立てることを提案してくれたのだ。
とびきり可愛い傘を。
雨の日を楽しめるように。雨の日の嫌な記憶を塗り替えるために。
「雨、雨、ぬれない、ロッティのピンクの傘」
シャルロッテが歌いながら雨の中を歩く。
手にはピンク色の傘。持ち手も綺麗に飾られており、生地にはレースがあしらわれている。可愛らしい傘だ。
あの後、届いたばかりの傘を受け取り、さっそく外へ……、となったのだが、宥められて先に朝食を摂った。そうしてようやく外に出てきたのだ。
気分は高まりつい歌を口ずさんでしまう。もっとも歌と言っても音程も何も無い即席のものなのだが。
「可愛いシャルロッテに似合う可愛らしい傘ね。今日は日が出てないのにシャルロッテの周りだけ輝いて見えるわ」
「本当ですね。見てください、シャルロッテ様の姿を見るために皆集まってますよ」
リシェルが屋敷の方へと視線を向ければ、あちこちの窓に屋敷の使用人達が立っている。
誰もが微笑ましい愛おしいと言いたげに目を細め、天気が悪いというのに表情は晴れやかだ。雨の日は憂鬱だといつもぼやいているランドリールームのメイド達でさえ表情が明るい。
そんな視線にシャルロッテは気付かず、ご機嫌で雨の庭を楽しんでいた。
花も葉っぱも普段よりも艶やか。土の匂いがする。ひんやりとした風は興奮した体を程よく冷ましてくれる。
馬車の荷台で生活していた頃、外の景色を眺める機会は殆ど無かった。雨の日だと猶更だ。シャルロッテも濡れるのが嫌で荷台の外に出たいとは思いもしなかった。外に出たところで良いことなんて何もない、そう考えていた。
だけど今は違う。
雨に濡れた草木も、普段より色濃く見える花壇の土も。日の光のない鈍色の空もぬかるんで歩きにくい地面すらも、なにもかもが新鮮で輝かしい。
テオドールに助けられてからずっと輝いている世界は、雨が降ろうと変わらず輝き続けているのだ。
「あらシャルロッテ、庭師が呼んでるわ」
そうフレデリカに告げられて一角を見れば、庭師が手招きをしている。
いったいどうしたのかと近付けば、そっと差し出してくる彼の手の中にいるのは……、一匹のカエル。
「カエルさん……。ロッティ、絵本でみたことあります」
初めて見るカエルは、猫や兎のような小動物とも馬のような立派な動物とも違う。なんて不思議なのだろうか。
シャルロッテがじっと見つめているとぴょんぴょんと跳ねて花壇の中に入ってしまった。
「絵本でもカエルさんは雨の日におでかけしてました。カエルさんがいるのは雨の日だけですか?」
「そうですね。雨の日によく出てきますよ」
「カエルさんは雨が好き。ロッティも雨が好きです。カエルさんといっしょ!」
シャルロッテがご機嫌で話し、傘を持つ手を掲げ……、
斜めになった傘から降り注いだ雨粒を頭から受けた。
……。…………。
シン、と周囲が静かになり、シトシトと雨音だけが続く。
「…………?」
雨に濡れるのを防いでくれる傘に頭から濡らされ、シャルロッテは不思議そうに空と傘を交互に見た。
「これは傘をさす練習が必要ね」
一部始終を見ていたフレデリカがコロコロと笑えば、屋敷の中で見守っていた使用人達がタオルと着替えと温かい紅茶をと準備に取り掛かった。
◆◆◆
「そうか、傘が届いたのか」
「はい。ロッティのピンクの傘で、それで、傘でお庭に出たらカエルさんがいて、見てたらぴょんってはねてお花の中にはいっていっちゃったんです。ロッティ、カエルさんはじめて見ました」
それでそれで、とシャルロッテが興奮気味に話すのは、夕食の場。
話を聞くテオドールは嬉しそうで、シャルロッテが何を話しても目を細めて愛おしそうに頷いてくれる。
そんなやりとりに「可愛かったね」と加わったのはライアン。同意を求められてハンクも頷いて返した。
「二人も見てたのか」
「そりゃあ可愛い妹の初めての雨のお散歩ですからね。朝一に傘が届いたって聞いて、これは散歩に出ると踏んで待ってたんです」
「ぼ、ぼくも……、きっとシャルロッテは庭に出ると思って、待っていたんです」
ライアンもハンクも、散歩中のシャルロッテに声を掛けてくれた。
ライアンは自分用の傘をさして庭に出て、ハンクは自室の窓から。どちらも傘をさすシャルロッテの姿を可愛らしいと褒めてくれた。
その話に加わったのはジョシュアとグレイヴ。ジョシュアは公爵家としての仕事が、グレイヴは騎士隊の仕事があり、どちらも早朝から出かけていたのだ。
「私達も見たかったな」
「母上は仕方ないとして、ライアン兄さんとハンク兄さんだけ見るのはずるい。抜け駆けだ」
ジョシュアとグレイヴが不満そうに訴える。
これに対してライアンは「運だよ、運」と得意げに答え、ハンクも声にこそ出さないが小さく頷いて同意している。
兄弟喧嘩とまではいかないが、片や得意げに、片や不服そうに、兄弟が二対二に分断されてしまった。
シャルロッテがどうしたらいいのかと慌てていると、そっと手が伸びてきて優しく頭を撫でてくれた。
「ほら、シャルロッテが困っているからそこまでにしなさい」
息子達を宥めるフレデリカの声は随分と嬉しそうで、兄弟達の仲違いすらも嬉しいと言いたげである。
「次は皆に見せてあげましょう。雨が降るのが楽しみね」
穏やかに微笑むフレデリカに問われ、シャルロッテは元気よく「はい!」と答えた。




