番外編01:あの日のこと――フレデリカ――
本編01話直後、シャルロッテが救助された時のお話です。
「なるほど、それでテオドールが女の子を連れてくるのね」
話は理解したと言いたげにフレデリカが溜息交じりに告げれば、報告を終えた騎士がこちらもまた溜息交じりに頷いた。
場所はブルーローゼス家屋敷。
今夜はテオドールが任務に、それも人身売買の集団を捕縛するという重要な任務に就いているため、夜であっても屋敷内には人が多く残っている。
普段であればこの時間帯はラフな服装をしているフレデリカも相応の衣服を纏い、屋敷を仕切り、まるで日中のようではないか。
すべては有事の際のためだ。
テオドールに何かあったならすぐに動けるように、公爵家として振る舞えるように。
彼がヘマをするとは誰も思っていないが、それでも万全の態勢を整えておかねばならない。
だけどまさか、保護した幼い少女を娘にするとは……。
「さすがに予想外の有事だわ」
まったくと言いたげにフレデリカが話せば、共に話を聞いていた使用人達も困惑しだす。
彼等からしたら、突然主人が増えるようなものだ。それも幼い少女。男児しかいない今のブルーローゼス家において初の女児である。
どうすれば良いのか、どう迎えて良いのか、そもそも迎えて良いのか……。
誰もがみな落ち着きなく顔を見合わせ、小声で囁き合う。「こんな話、聞いたことある?」「あるわけない」と。
それほどまでに異例の事態なのだ。
「テオドールはもう決めたのね」
「はい。その少女を娘だと話し、自分のことも『お父様』だと話しかけています。……あれは何を言っても考えを改めない顔です」
「容易に想像つくわね」
まったく、とフレデリカが呆れ交じりに扇子でハタハタと己を扇いだ。
テオドールは決断力に長けた男だ。
かといって自分の判断力を過信することはなく、必要な時にはフレデリカに相談してくる。時には息子達の話も聞き、専門家の指示を仰ぐことも。周りの意見をきちんと聞ける男だ。
そんなテオドールだが、極稀に、こういった突発的な決断をすることがある。
その際の彼の表情といったら。さも以前からこうであったと言いたげな、当然のことを当然のように進めたと言いたげな、無理強いするでもない平然とした表情をするのだ。
「あの状態のテオドールに何を言っても無駄よ。それに、馬鹿な判断をする男じゃないわ。だから私達は変わらず帰りを待ちましょう」
あっさりと結論付け、次いでフレデリカは指示を待つ屋敷の者達へと向き直った。
「話は聞いていた通りよ。我がブルーローゼス家に娘が来る。騒然とするのは仕方ないとして、せめて明日にしましょう。今夜は娘を静かに落ち着いて迎え入れてあげないと。……でも、困ったわね」
どうしましょう、とフレデリカが小さく呟いた。
眉尻を下げた困惑の表情。扇子で己の口元を隠す仕草からも躊躇いの色が窺える。
いかにブルーローゼス公爵家夫人といえども、さすがにこの事態には困惑するのか。
そう伝達に来た部下が考え「胸中お察しいたします」とフレデリカを宥めた。
「本当、こんな急に、それも夜に。これじゃあ肌に優しい可愛らしいパジャマも、ベッドに並べるぬいぐるみも用意できないわ。寝る前に読んであげる絵本だって無いのに」
「……え?」
「それにカーテンとラグとベッドのシーツも優しい色合いにしてあげないと。せめて昼間だったら間に合ったのに。まったくテオドールってば」
「えっと……、それは急ぐことなのでしょうか」
「急ぐことよ」
フレデリカがはっきりと断言すれば、背後で話を聞いていた者達が数人深く頷いた。みな真剣な表情だ。
そんな数人の内の一人が「奥様」とフレデリカに声をかけた。
「私、大きなシャツを一枚持っております。部屋着にと思って買ったのですが、サイズが合わずしまっていたもので一度しか袖を通しておりません。あのシャツなら、小さな子がパジャマ代わりに着れるかもしれません。それに色も柔らかなピンク色です」
「ピンクのシャツ……。良いわね。それを持ってきてくれるかしら」
「はい。今すぐ」
提案したメイドが一礼し、すぐさま自室へと戻っていく。
それを見届け、また一人メイドがフレデリカを呼んだ。
「ぬいぐるみなら持っております。他にも持っている者もおりますので、ベッドに並べる分はご用意できるかと。絵本も、集めるのが趣味の者が数人居りますので、借りられないか聞いてまいります」
「お願いね」
「奥様、カーテンやシーツは無理でも、枕カバーなら淡いオレンジ色のものをすぐにご用意できます。端にレースがあしらわれたものです」
「淡いオレンジ色にレース、良いわね。どこを子供部屋にするか決めておくから、準備しておいて」
「温かな飲み物を用意しておいた方が良いかもしれませんね。厨房に掛け合ってきます」
一人また一人と提案し、フレデリカの承諾を得ると仕事をこなすべく去っていく。
テオドールが幼い少女を娘にすると決めた。そしてそれをフレデリカが受け入れた。ならば自分達がすべきは、新たにこの屋敷にくる公爵令嬢に仕え、彼女に快適な生活を提供することだ。
フレデリカがさすが公爵家夫人といえるなら、彼等もまたさすが公爵家に仕える者たちである。すでにその表情や言動に迷いはなく、各々が出来得る行動をしようと動き出す。
「子供部屋にはどの部屋がいいかしら。日当たりが良くて、庭を眺められる部屋にしないと」
ふむとフレデリカが考え込めば、残っていた使い達が部屋の候補をあげだした。
この展開の速さに伝達の騎士だけはついていけず、唖然とするしかない。
「さすがブルーローゼス公爵家……」
これほどの家ならば、幼い少女一人家族に受け入れても問題はなさそうだ。
あの幼い少女もこの家ならばきっと幸せになれるだろう。大陸一の公爵家の令嬢になるのだから、これからの人生は明るいはず。
そう考えれば唖然とする気持ちより安堵が勝り、伝達の騎士は敬意を込めて深く一度頭を下げた。
フレデリカがそれを受けてコロコロと笑う。その顔はすっかりと母親のものだ。
◆◆◆
「大事な娘には最高の部屋を用意してあげないといけないものね」
当時のことをフレデリカが語り、隣に座るシャルロッテの鼻を扇子の房でふわふわと擽った。
「ロッティのお部屋」
「えぇ、可愛い愛娘のお部屋。これからも素敵なもので増やしていきましょうね」
「はい」
フレデリカの話にシャルロッテが元気よく返す。
それを聞き、「シャルロッテが来た日かぁ」と呟いたのはライアン。
麗しい紺色の目を細め、過去を思い出すように遠くを眺め……、
「僕達が知らされたの、昼だったよね」
と、懐かしそうに、そしてどこか哀愁を漂わせて、過去を振り返った。
ライアンのこの言葉に、兄弟三人が揃えて頷き、あの日の自分達の事を語り出した。




