31:愛され公爵令嬢の大好きな家族(1)
温かな眠りからシャルロッテはふと意識を戻した。
部屋は既に明るく、カーテンからは日の光が差し込んでくる。
まだ少し朧気な目を擦りつつ、枕元の専用ベッドで眠るロミーへと手を伸ばした。
「ロミー、おはよう」
ハンクのおかげですっかりと綺麗になったロミー。
手に取って手足を動かしても軋むことはなく、艶のある頬は幸せそうに見える。
ロミーが着ているのはシャルロッテとお揃いのパジャマだ。メイドのリシェルが用意してくれた。
「今日はハンクお兄様がくれた水色のお洋服にしましょう。髪には青のリボン」
ロミーに話しかけつつ着替えさせていると扉がノックされた。室内を窺うような控えめなノック。
返事をすればメイドのリシェルが入ってきた。朝の挨拶を交わし、今度はシャルロッテがリシェルに朝の準備を手伝ってもらう番だ。
「ロミーは水色のワンピースにしたんですね。でしたら、シャルロッテ様も水色のワンピースにしましょうか」
「はい」
お揃い、と喜べばリシェルも嬉しそうに洋服を準備してくれた。
朝の準備を終え、向かうのは朝食の場。
いつも朝はフレデリカと一緒に食べる。優しい母はシャルロッテがぐっすりと眠れるよう、そして一人で朝食を食べずに済むよう、いつも起こさずに待っていてくれるのだ。そんなフレデリカの隣に今朝はテオドールの姿もあった。
「お父様!」とシャルロッテが嬉しくなって駆け寄れば、彼も両腕を広げて待ち構えてくれた。ぱふっと抱き着くと逞しい腕が支えるように抱きしめてくれる。
「お父様、お母様、おはようございます」
「おはよう、シャルロッテ。よく眠れたか?」
穏やかに微笑みながらテオドールが尋ねてくる。
彼の問いに、シャルロッテは「はい!」と元気いっぱいに返した。
次いで声をかけてきたのはフレデリカだ。今日も優雅にはたはたと扇子で己を扇ぎ、「おはよう」と優しく声を掛けてくれる。
「今日も可愛いわね。そのお洋服はこの前買ったものね。銀色の髪に水色がとても似合ってるわ。くるっと回ってお母様に素敵なワンピース姿を見せてちょうだい」
フレデリカに促され、シャルロッテはくるりとその場で回ってみせた。
ワンピースのスカートがふわりと膨らみ、背中のリボンがひらひらと揺れる。フレデリカからは拍手が、そしてテオドールからは「似合ってる」という褒め言葉を貰えた。
なんて嬉しいのだろうか。二人は毎日いつだって、シャルロッテが何をしたって褒めてくれるが、その言葉は飽きることなくシャルロッテの胸に優しく温かく積もっていく。
嬉しくなって思わずはにかめば、ひょいと体が浮いた。
テオドールに抱えられたのだ。そのままポスンと彼の膝の上に座らされた。
「せっかくだから朝はお父様と食べよう」
「お父様と? でもロッティのイスがあります。ちゃんとイスにすわらないと、マナァじゃなくなって、すてきになれなくなっちゃいます」
マナーというものがまだよく分からないが、きちんとイスに座り、零さずに食べることがマナーの第一歩だと聞いた。
だがシャルロッテはいままで碌な環境に居らず、作法は一つとして学んでこなかった。ブルーローゼス家に来てようやくまともな食事を与えられたのだ。
おかげで食事の最中に粗相をしてしまうことが多々あり、とりわけパンはポロポロと屑を落としてしまう。先日は口に運んだつもりの人参がコロンと転がっていった。――もっとも、粗相をしても誰も叱らず、それどころかフレデリカも見守りのメイド達も「いっぱい食べて偉い」「頑張って食べる姿が愛らしい」と褒めの一辺倒である――
だからせめてきちんとイスに座らなくては。そう話せばテオドールが優しく微笑んで頭を撫でてくれた。
シャルロッテの意志を尊重して、シャルロッテ用の椅子へと運んでくれる。
「マナーを気にするなんて偉い子だ。それなら、食後はお父様の膝の上に戻ってきてくれるか?」
「はい!」
マナーのために断ったとはいえ、父の膝の上に座れるなら座りたい。
そうシャルロッテが笑顔で話せば、テオドールもフレデリカも愛おしそうに目を細めて笑った。
◆◆◆
両親と食事を摂り、その後は部屋で少し休み、次は家の中の散歩。
まだ時計は読めないがそろそろかとシャルロッテが準備をしていると、コンコンコンと扉をノックされた。
入ってきたのはメイドのリシェル。それと……、
「可愛い可愛い公爵令嬢。素敵な公爵子息のエスコートはいかがかな?」
と明るい声色のライアン。
彼の登場にシャルロッテはパッと表情を明るくさせ「エストット!」と声をあげた。
「今日のおさんぽはライアンお兄様のエストットですか?」
「母上が明日開かれる茶会の準備をしていてね、忙しそうだから代わりに僕が行く事になったんだ。今日は猫の絵を見て回って柄を調べるんだっけ?」
「はい。しろい猫ちゃんと、はいいろの猫ちゃんと、くろい猫ちゃんと、色がいっぱいの猫ちゃんを数えるんです」
「よし、それじゃあ一緒に数えて回ろう。どの猫が多いか分かったら母上に教えてあげないとね」
さっそくと片手を差し出して出発を促すライアンに、シャルロッテも元気よく応えて彼の手を取った。
「しゅっぱーつ!」とご機嫌で声を上げれば、メイドのリシェルが嬉しそうに微笑んで見送ってくれた。
「それで客室を見てまわっていたのか。確かに絵は気にしたことなかったな」
感心したと言いたげにジョシュアが話す。
彼の言葉に、シャルロッテは「おうちには絵がいっぱいです」と話し、ライアンが「僕も気にしてなかったなぁ」と同意する。
ライアンと二人で屋敷を見て回り猫の柄を調べていたところ、偶然ジョシュアが立ち寄り「何をしてるんだ?」と尋ねてきたのだ。
事情を説明したところ彼は興味深そうに猫の絵を眺め、ついでに隣の部屋の絵も眺め、先程の発言である。
一緒に歩きながら話すあたり、きっと散歩に付き合ってくれるのだろう。シャルロッテも嬉しくなり、ロミーをポシェットにしまい、片方の手でジョシュアと手を繋いだ。
右手はライアンと、左手はジョシュアと。なんて嬉しいのだろうか。
「気になって母上に聞いてみたんだけど、おじい様から父上に代替わりする時に全部替えたらしいよ。その前は風景画を飾ってたんだけど、おばあ様が気にいってて全部持っていっちゃったんだって。ねぇ、シャルロッテ。一緒に話を聞いたんだよね」
「はい。猫ちゃんとわんちゃんと鳥さんの絵はぜんぶお母様のお友達が描いた絵です」
「母上の友人? ……そういえば、以前に趣味で絵を描いている知り合いがいると話していた気がするな。その方の絵だったのか」
また新たな事実を知り、ジョシュアが通路の壁に飾ってあった絵を眺めた。
ジョシュアは勤勉で博識である。その知識は多岐にわたり、同年代の子息達の中で彼の右に出る者はいないとされている。時には学者や専門家とすらも対等に話し合い、一回り上の者さえジョシュアの知識を頼りにするほどなのだという。
メイドからいかに彼が優れているかを聞いたシャルロッテはあまりの凄さに「はわわ……」と感嘆の声を漏らてしまったほど。
だがそんな彼でも、屋敷に飾られている絵については知らなかったようだ。
挙げ句に、自分の執務室に飾ってある絵は誰のものなのかを気になり始めている。
「シャルロッテとのお散歩は今まで気付かなかった事に気付けるから楽しいよ。この前は庭に植えてる花をどう選んでるのか気になって、庭師から教えてもらったんだ。ジョシュア兄さん、花の種類って気にしたことある?」
「花か……。それも気にしていなかったな。シャルロッテとの散歩は学ぶことが多そうだ。時間があればまた私も同行して良いだろうか?」
「はい! ロッティ、ジョシュアお兄様にもエストットしてほしいです!」
ライアンとの散歩はお喋りをしながらでとても楽しく、フレデリカとの散歩は穏やかで心地良い。時折グレイヴも「兄だからな!」と散歩に付き合ってくれるが、彼は屋敷にどんな客が来るのかこの部屋は何のための部屋なのかと屋敷のことを教えてくれる。
誰と一緒でも散歩は充実した時間だ。同じ屋敷を歩いているというのに飽きることはなく、いつだって新鮮な気持ちで楽しめる。そして知れば知るほどブルーローゼス家のことが好きになる。
ジョシュアとならどんな散歩になるだろうか。想像するだけでワクワクする。
◆◆◆
ライアンとジョシュアとの散歩を終え、昼食を摂り、自室に戻ってお昼寝。
兄二人に挟まれての散歩、その後のフレデリカとの美味しい昼食。心もお腹も満たされてぐっすりと眠ることができた。
そうして昼寝から覚め、その後は勉強の時間。
先日シャルロッテの家庭教師が決まり、ついに本格的な勉強が開始されたのだ。
「さぁシャルロッテ様、今日も頑張りましょうね」
「はい!」
家庭教師の言葉に、シャルロッテは勉強机にちょこんと座り、気合いたっぷりにペンを握った。
家庭教師が提案してくれたのは、絵本を読みながらの文字の読み書き。
無理せず、負担にならず、楽しみながら学べるように……、とフレデリカ達と考えてくれたのだという。
それも家庭教師もフレデリカも「ゆっくりで良いから無理をしないで」と言ってくれており、時には勉強はほんの少しで殆どお喋りをして終わる日もある。
家庭教師は老年の優しい女性で、たとえ間違えてもけっして怒らず「頑張っていて偉いですね」と褒めてくれる。シャルロッテもすっかり彼女の事が大好きになり、大好きな彼女に応えるために更に頑張れるのだ。
そんな勉強の時間を終え、家庭教師を見送り、その後は三時のお茶。
シャルロッテが部屋に向かうと、そこにはハンクとグレイヴの姿があった。
普段三時のお茶はフレデリカと過ごすのだが、残念ながら彼女は外出しており、その代わりにと来てくれたらしい。
「今日は騎士隊の訓練が無いから外を走っていたんだ。そうしたら一室のカーテンが開いて、ちょうどハンク兄さんと目が合った」
シャルロッテを含め、子供達の部屋も、テオドールとフレデリカの部屋も全て二階から上にある。
だがハンクの部屋のみ一階に設けられている。これは『三部屋続きに改造をしたい』という希望を優先したからだ。それも屋敷の奥というのが彼らしい。
そんなハンクの部屋。普段は三部屋続きでカーテンが閉め切られているのだが、偶然グレイヴが窓の前を通り過ぎた瞬間にカーテンが開かれたという。
「カーテンが開いただけでもビックリしたが、そこにハンク兄さんが居てさらにビックリしたな」
「……た、確かにタイミングが悪かったのは認めるけど、あの部屋は僕の部屋だから、僕がいて当然なんだけど」
「普段閉めっぱなしだからあんまり兄さんの部屋っていう感覚が無かったんだ。それで、話していたら母上が来て、シャルロッテがこれからお茶をするって教えてくださったんだ。そういえば、兄さんはなんであのタイミングでカーテンを開けたんだ?」
「これから寝ようと思ってたんだけど……、風が少し強いみたいで、ちょっと気になったんだ」
「これから寝る……?」
この時間に? とグレイヴが怪訝な表情を浮かべてハンクを見た。
対してハンクは何とも気まずそうな表情で露骨に他所を向いている。挙げ句に、ケーキを食べているシャルロッテの頭を撫でだした。
「シャルロッテ、ケーキは美味しい?」
「はい。このケーキはせんせがもってきてくれたんです」
「せんせ……? あぁ、先生のことか。凄く美味しいね、今度お礼を言っておいてくれるかな」
「はい!」
大好きな先生が持ってきてくれた美味しいケーキ。それを大好きな兄達も喜んでくれる。これ以上嬉しいことはない。
シャルロッテが弾んだ声で返せば、ハンクが微笑みながらハンカチで頬についたクリームを拭ってくれた。




