21:ハンクお兄様のお部屋にて
「……お茶」
とハンクが自室で呟いたのは、ライアンが茶葉を買ってきた翌日。
彼の呟きに、ソファに座っていたシャルロッテは嬉しそうに「お茶です」と返した。
シャルロッテが座っているのは一人用の深めのソファ。シャルロッテには些か大きく座ると埋もれるの中間に近いが、すっぽりと収まる感覚が心地良く、いつの間にか定位置になっていた。
ハンクとお茶をしているのは、屋敷の散歩中に彼に誘われたからだ。
今日は雨が降っており庭に出ることが出来ず、運動量が足りないからと屋敷を二周していたところ、ハンクの部屋の前を通りがかった時に声をかけられた。そのまま彼と話をする事になり先日のお茶の話である。
「ロッティとジョシュアお兄様が眠れなくて、それで、ライアンお兄様が眠れないときに飲むお茶だよってお茶の葉っぱをくれたんです。はーぶてぃーって言ってました」
「そ、そっか、それで突然ライアン兄さんが茶葉をくれたんだ。ティートロリーに『ライアン様からです』ってメモがあって何だろうって疑問に思ってたんだ」
「ロッティ、まだ眠れないときはないですけど、でも、つぎに眠れないときはライアンお兄様のお茶を飲むんです。ハンクお兄様は眠れないときはありますか?」
「寝れないことか……。ぼ、ぼくは昼間に寝ることが多いけど、まぁ、時々は寝れないかな……」
「お昼に? ロッティもお昼寝します」
「いや、僕は昼寝じゃなく……、夜は起きてることが多いんだ。……そっちの方が作業が捗るし、それに見えやすいから」
「見えやすい?」
夜の方が見えやすいとはどういうことだろうか?
そう疑問を抱いてシャルロッテが首を傾げるも、ハンクは答えず、「作業と言えば」と話題を変えてしまった。
「ロミーの修理だけど、必要なものが揃ったからそろそろ終わりそうだよ」
「ほんとうですか!?」
ロミーの名前を聞き、そして近いうちにロミーに会えると分かり、シャルロッテの声が自然と弾む。
心なしかハンクも嬉しそうだ。もっとも、ハンクは長い前髪で目元を隠しているため表情はあまり分からないのだが。
それでも彼がシャルロッテの反応を嬉しそうに見て、そしてどことなく誇らしげにしているのが口調から伝わってくる。
「髪の毛が珍しい材料で取り寄せに時間が掛かったんだ。でもそれも届いたし、植毛の……、髪の毛を綺麗にする練習も終わった。ロミーが治ったらすぐに呼ぶから、寂しいと思うけど、もう少し待っていてくれるかな」
「ロッティ大丈夫です。ロミーも、ハンクお兄様がいるし、お人形さんがいっぱいだし、寂しくないです」
馬車の荷台で生活していた時は、シャルロッテにはロミーだけで、ロミーにもシャルロッテだけだった。他にも人が来ることはあったが、みんな直ぐに居なくなってしまうのだ。
だからずっと一緒にいた。少しでも離れると不安と寂しさでいっぱいだった。
だけど今は違う。
シャルロッテには家族がいる。それに屋敷の者達も。友人もできた。
そしてロミーにもハンクがいてくれるし、彼の部屋には見惚れるほど美しい人形の友達がたくさんある。
だから離れていても寂しさはない。それにボロボロだったロミーが治ってくれるのなら、いつまでだって待てる。
そうシャルロッテが話しつつ、部屋に飾られている人形達を眺め……、「あれ?」と呟いた。
「あのお人形、さっきまで座ってたのに」
シャルロッテの視線の先には一体の人形。ピンク色の髪と水色の瞳が綺麗な人形だ。
背筋をまっすぐにして立っている。……のだが、先程まで隣にある椅子に座っていなかっただろうか。
どうして? とシャルロッテが首を傾げた。
「お人形さん、立ったの?」
「え、それは……、えっと……、き、気のせい、じゃないかな」
「……あっちのお人形さんは猫さんのぬいぐるみ持ってます。さっきは持ってなかったのに」
また一つ疑問が増え、椅子から降りて人形のもとへと向かう。
猫のぬいぐるみを持っているのは茶色の髪の人形。短い髪型が活発な印象を与える。
両手でぬいぐるみを抱えているが、このぬいぐるみは先程まで人形の足元にあったはず。ちらと見かけた時「ロッティのぬいぐるみとおそろい」と嬉しく思ったのを覚えている。
つい数十分前のことだ。見間違えでも気のせいでもない。
どうして? 動いたの? とシャルロッテが部屋の人形達を確認していく。
一度疑問を抱けばあれもこれも違和感を覚える。この人形はさっきティーカップを持っていなかったか、この人形達は座る場所が入れ替わっていないか……。
疑問が次から次へと湧き上がる。
猫のぬいぐるみを抱える人形をじっと見つめ、「動いたの?」と首を傾げつつ問えば……、
目の前の人形が、まるでシャルロッテを真似るように、カクンと首を傾げさせた。
「お人形さんがうごいた!!」
「ま、待ってシャルロッテ! 静かに!」
思ずシャルロッテが声をあげれば、ハンクが声をあげて制止してきた。
「ハンクお兄様が大きな声出した!」
「そこを同等に驚かれるとショックなんだけど……。いや、そうじゃなくて、落ち着いてシャルロッテ」
「お人形さんが、でもハンクお兄様がっ……、お兄様が……、うごいて、お人形さんが……!」
あわあわと慌てながらシャルロッテは人形とハンクを交互に見た。
もはや何にどう驚いて良いのか分からず、それでも驚愕が勝り……。
「ハンクお兄様が動いた!」
と結論付けて驚いた。
「だいぶ混乱してる……。お、落ち着いて、シャルロッテ。あんまり大きな声を出さないで。あと僕は普段から動くから。ほら、いったん椅子に座ろう」
「いすも動いた!!」
「いや、これは僕が動かしたんだ。落ち着いて、椅子は勝手には動かないよ。だから椅子に座ろう」
おいで、とハンクに促され、どうしていいのか分からずにいたシャルロッテも素直に従うことにした。
だが胸中はまだちっとも落ち着いていない。ドキドキするし、それに人形がどうして動いたのか疑問でいっぱい。もしかしたら他の人形も動くかもしれない、ロミーも……、と考えれば期待も湧き上がる。驚きと疑問と期待で胸がいっぱいどころか溢れ出しそうだ。
促されて一応は椅子に座ったが、すぐさま立ち上がり、人形を一つ一つ眺めて「動きますか?」と尋ねて回りたいぐらいである。
「お兄様、あのね、お人形さんがね、首をね。ロッティが見てたら、首をこてんってしたの。ロッティが首をこうやって見てたらね、お人形さんもいっしょにしてくれたの」
「……うん、そうだね。僕も見てたよ。……ほ、本当は隠しておきたかったんだけど」
仕方ない、と言いたげにハンクが溜息を吐いた。
次いで彼は「シャルロッテ」と落ち着いた声色でシャルロッテの名前を呼んできた。
落ち着いた優しい声。普段はボソボソと口の中で音を発するような彼にしては珍しい、はっきりとした口調。
真剣なお話。とシャルロッテは感じ取り、あれこれと話したいのをグッと堪えてハンクを見つめた。
本当は彼の目を見たいのだが、生憎と紫色の前髪が隠してしまっている。
それでもハンクは前髪越しに、髪の隙間から、真っすぐにシャルロッテを見つめているはずだ。だから、とシャルロッテも応えるようにハンクの目がある場所をじっと見つめた。
「ちゃんと説明するけど、これから話すことは出来れば皆には言わないで欲しいんだ」
「ないしょですか?」
「そう。内緒にしてほしい。良いかな」
「ロッティ、だれにも言いません」
人形が動くなんて素敵な話、いますぐに皆に教えに行きたい。だがハンクの声は迫るような圧こそないものの真剣味を帯びている。
それほど大事な話なのだろう。シャルロッテはじっと彼を見つめ、はっきりと返事をすると同時に頷いた。
それを見てハンクが小さく息を吐いた。安堵と決意が半々といった吐息。
次いで彼は椅子に座ると、「どこから話そうかな……」と、再び普段通りの控えめな声色に戻って独り言ちた。
そうして僅かに間を開けた後、
「シャルロッテは、精霊って信じる?」
ハンクが静かな声色で尋ねてきた。




