17:お化けとお菓子
「はろ……、うぃん?」
シャルロッテが不思議そうにコテンと首を傾げたのは、長閑な昼下がり。
ブルーローゼス家の庭園は冬の気配を感じるこの季節もまた美しく、少し冷たくなった風が淹れたての紅茶をより美味しく感じさせる。
そんな庭園で開かれたお茶会。呼ばれたのはトレルフォン夫人とその娘クラリス、そしてブルーローゼス家が懇意にしている二家。最初に開かれた茶会と変わらぬ顔ぶれである。
夫人達は大人用のテーブルに、子供達はそれより背の低い子供用のテーブルに。こちらもいつもと同じ配置。
既に三度目を迎える茶会だけあり、最初こそ緊張していたシャルロッテも気負うことなく友人達との一時を楽しんでいた。
その中で話題に上がった『はろうぃん』という単語、そしてトレルフォン家で開かれるハロウィンパーティーの招待状。
初めて聞く単語と初めて見る招待状に、シャルロッテが首を傾げて今に至る。
「はろうぃんって何ですか?」
「あら、シャルロッテさんはご存じじゃないんですね。ハロウィンとは、……なんか、こう、お化けとかの格好をするお祭りですのよ」
「お化け……、ロッティ、怖いのはきらいです」
「でもお菓子が貰えますのよ」
「……お化けのお祭りで、お菓子?」
ますます分からない。と、シャルロッテは右に傾げていた首を今度は左に傾げてみた。
お化けは怖い。お化けの格好をするのもきっと怖い。だけどお菓子は美味しい。それらがどうしても頭の中で繋がらない。
だがクラリスも詳しくは分からないらしい。同席しているマリアンネとフランソワも同様で、シャルロッテが何故かと尋ねても彼女達も不思議そうにするだけだ。
「確かにどうしてかしら?」「不思議ですわね」と顔を見合わせている。
そんな疑問だらけの中、真剣な表情で悩んでいたクラリスがしばし黙り込み……、
「私たちが可愛いから、としか考えられませんわね」
と、真剣な声色で結論をくだした。
「かわいい?」
「えぇ、そうですわ。私達はとても可愛い。そんな可愛い私達がふだんとは違う装いをする……。この可愛さにお菓子が発生してもおかしくありませんわ!」
これぞ真実と言わんばかりにクラリスが力強く断言した。豪華な金色の縦ロールがそれに合わせて優雅に揺れる。
なんという説得力だろうか。
彼女のお嬢様ぶりに憧れているシャルロッテは、この力強い断言にも感銘を受けてしまった。堂々と断言するクラリスが輝いて見え、彼女の言葉が疑問を華麗に吹き消していく。
「ロッティも、お化けの格好をしたらお菓子がもらえますか?」
「もちろんですわ。でもお化けの格好だけじゃお菓子はもらえませんの。合言葉が必要ですのよ」
「あいことば?」
「トリック・オア・トリートですの。お菓子をくださらないと悪戯しますわよ、と言うとお菓子がもらえますの」
「トリ……、トット?」
初めて聞く言葉を繰り返してみる。
聞いたことがない言葉だ。これを言えばお菓子を貰えるらしい。だけど……。
「ロッティ、みんなにいたずらなんてしたくないです」
「大丈夫ですわ。みんなお菓子を用意してくれてますし、これはただの合言葉。実際には悪戯はしませんの」
だから安心していいとクラリスが話す。コロコロと、否、もちもちと上品に笑いながら。
この話にシャルロッテはほっと安堵した。
良かった。お菓子は欲しいが悪戯をして周りを困らせたくないし、お菓子をくれないならと脅すような真似などもってのほか。
だがたんなる合言葉だというのなら大丈夫だろう。
そう安堵したのだが、クラリスが「ですが」と話を続けた。困ったようにふぅと溜息を吐きながら。
「なかには悪戯をしても良いと仰る方もいますのよ。それどころか、私たちが何をするのか楽しみにしていますの」
「いたずらを楽しみにですか?」
「えぇ、そうですの。お菓子を用意しているのに、わざと私たちに悪戯をさせようとしますのよ。そういう方々には私たちも容赦いたしませんわ……!」
クラリスが眉間に皺をよせ、「きっちり悪戯しますのよ」と断言した。
彼女の話に、安堵したばかりのシャルロッテは一転して不安を覚えてしまった。優しいクラリスが悪戯だなんて……。
それどころか同席しているマリアンネとフランソワまでもが厳しい顔をしているではないか。
いったいどんな悪戯をするのか……。
シャルロッテがゴクリと生唾を飲んで続く話を待てば、クラリスがゆっくりと両の手を上げた。
「わざと悪戯をさせるような方はくすぐってやりますのよ!」
両手の指をわしゃわしゃと動かし、クラリスが悪戯っぽい笑みを浮かべた。
マリアンネとフランソワまでもが彼女を真似てわしゃわしゃと指を動かす。見ているだけでくすぐったくなる指の動かし方ではないか。
シャルロッテは思わずぱちと目を瞬かせ、それでも彼女達を真似て自分も指をわしゃわしゃと動かしてみた。
「くすぐるんですか?」
「お菓子を用意しているのにくれない方は、お腹や背中をこしょこしょとくすぐってやりますのよ」
指をわしゃわしゃと動かしながらのクラリスの話に、シャルロッテは自分の体を擽られた時のことを思い出した。
まずよく擽ってくるのはフレデリカだ。
彼女は扇子の房でシャルロッテの鼻先を擽ってくる。さわさわと。時には鼻先だけではなく頬や額も。そのたびに花の香りが舞う。
フレデリカの他に擽ってくるのはライアンだ。
彼はシャルロッテがぱふと抱き着くと優しく背中を撫でてくれる。……のだが、時折、撫でるのではなくつんつんと突いてくる。
どちらもくすぐったく、シャルロッテはいつもキャァと声をあげて身を捩っていた。それでも房や手は追いかけてくる。
だがけっして拒絶で身を捩っているわけではない。くすぐったいが、そのくすぐったさも追いかけられるのも、シャルロッテには楽しくて堪らないのだ。
それをするのかと問えば、クラリス達がうんと首肯した。
またもシャルロッテがほっと安堵する。
「ロッティ、くすぐるのならできます」
「それともう一つ、大好きな家族にだけする特別な悪戯がありますのよ」
「とくべつないたずら?」
「それは……」
言いかけ、クラリスがはっと息を呑んだ。
次いで視線を向けるのは隣にあるテーブル。母達が座っているテーブルだ。
別のテーブルについているとはいえ、耳を澄ませばこちらの声は届いてしまう。とりわけ今母達はにこやかにこちらを見ているのだ、きっと会話も聞いているのだろう。
これでは駄目だとクラリスがシャルロッテに体を近付け、耳に顔を寄せてきた。
「これは大人には内緒ですのよ。もし大好きな家族にトリックオアトリートと言ってもお菓子をくれなかったら、その時は……」
◆◆◆
「あら、内緒話かしら」
とは、娘達のやりとりを見守っていたフレデリカ。
先程まではこちらにも聞こえてくる声量で話していたというのに、家族に対しての悪戯の話だけは耳打ちして伝えてしまった。
一体何をするつもりなのか。
大好きな家族にする特別な悪戯とは何か?
フレデリカが疑問を抱く。普段なにがあろうと動じない彼女にしては珍しい表情だ。
だが不思議そうにしているのはフレデリカだけ。トレルフォン夫人を始めとする三人の母達は知っているようで穏やかに微笑んでいる。
「フレデリカ様も、ぜひ娘に悪戯をされてみてくださいな」
とは、クラリスの母トレルフォン夫人。
彼女の言葉に、二人の夫人達も楽しそうに頷いていた。




