16:ブルーローゼス家の隠された地下
「なーんて重い空気出したけど、地下はワインセラーでしたぁー!」
パッと両手を広げて、明るい声色と笑顔でライアンが宣言した。
場所はブルーローゼス家の地下。
明かりはあるものの少なく、そのうえ窓がないため全体的に薄暗い。ひんやりとしており、それが妙な静けさを感じさせる。
そんな地下で先程のライアンの明るい宣言である。
音楽でも鳴りそうな彼の陽気さに、シャルロッテはぱちくりと目を瞬かせ……、
「ワ、ワインセラァ……!」
と、息を呑んで周囲を窺った。
いまだ緊張で胸元をぎゅっと掴んだまま。
「あ、ごめんね、ワインセラーは別に珍しいものじゃないんだ。貴族の屋敷には結構あるから」
「メズラシイモノジャナイワインセラァ……!」
「しまった、ワインセラーが分からないのか。ごめんね冗談だよ、落ち着いて。べつに凄いところじゃないんだ」
ライアンが必死に宥めてくる。
それを受け、シャルロッテはまたも数度目を瞬かせ……、
「ロッティ、ちょっとちがいました……?」
もじもじと落ち着きなく体を揺らしだした。
勘違いしていたことが恥ずかしい。思わずどこかに隠れたくなってしまうが、ワインセラーは壁沿いに棚が並んでいるだけで身を隠せそうな場所がない。
せめてと両手で顔を覆えば、ライアンがクスクスと笑うのが聞こえてきた。次いで頭にふわりと触れるのは彼の手だろう。
「僕が冗談を言ったのが悪いんだ。シャルロッテが可愛くてついね。許してくれるかな?」
「ロッティ、怒ってないです」
「本当? 優しいロッティ、ありがとう」
くすぐるように撫でてくる彼の手の動きにシャルロッテも笑みを浮かべ、次いで周囲を見ながら彼を呼んだ。
「ライアンお兄様、ワインセラァってなんですか?」
「ワインっていうお酒を寝かせる部屋だよ。ワインは年数が経つと美味しくなるんだ」
「ワインが寝るお部屋?」
きょろきょろと周囲を見渡せば、棚には数え切れないほどの瓶が置かれている。
あの瓶に入っているのがワインなのだろう。そしてここはワインを寝かせる部屋……。
言われてみれば確かに、地下はシンと静まって薄暗い。寝るには最適だ。
そう考え、シャルロッテはパタと口元を手で覆った。
「どうしたの?」
「お話してたら、ワインが起きちゃうかもしれません」
「そっか、そうだね。それじゃあ小声で話そうか」
シャルロッテの話にライアンが楽し気に笑い、合わせるように小声で話し出した。
どんなワインが置かれているのか、父や母はどんなワインを好むのか。棚にある瓶を眺めつつワインについて教えてもらい、コルクという瓶の蓋を嗅がせてもらう。菓子とも花とも違う、鼻に纏わりつくもどことなく甘さのある不思議な香りだ。
屋敷の中でありつつも違う雰囲気にシャルロッテがきょろきょろと見回していると、ライアンが苦笑交じりに「ここに入れるのは一部の人だけだよ」と教えてくれた。
曰く、この地下に入れるのはブルーローゼス家の者か、あるいはワインの知識がある者に限られる。それ以外の給仕が入る場合はテオドールかフレデリカの許可が必要なのだという。
「ここには高価なワインや貴重なワインもあるから、厳重に管理されてるんだよ」
「ワインはすごいんですね」
「そうだね。僕はあんまり詳しくないんだけど、産地とか銘柄とかによって味が違うし、年代でも変わるから奥が深いよね。あと子供が生まれた日のワインを保管している家もあるって聞くね。成人した時やお祝いのタイミングで飲むんだって」
お洒落だね、とライアンが話す。これにはシャルロッテも頷いて返した。
その瞬間……、
「子供の生誕日のワインなら我が家も保管してるぞ」
と低い声が背後から聞こえ、ライアンとシャルロッテは二人揃えてビクリと体を跳ね上がらせた。
「ち、父上!?」
「お父様!」
背後に立っていたのはテオドール。
シャルロッテが勢いよくパフッと抱き着けば大きな手が頭を撫でてくれた。
「父上、驚かさないでくださいよ……。でも今日は騎士隊の仕事のはずでは? なぜワインセラーに?」
「書類を取りに戻ってきたんだ。それでちょうど庭を通った時にお前達の姿が見えてな」
軽く声でも掛けようかと思い近付いたところ、二人の会話が聞こえてきた。
妙に仰々しい、ブルーローゼス家の地下についての話……。
重苦しい口調のライアンと、彼の話を緊張した面持ちで聞くシャルロッテ。二人の間に流れる空気は緊迫しており、とうてい口を挟めるものではなかった。
「だが地下にあるのはワインセラーだけだろう。それで、気になって後を付いてきたんだ」
「そ、そうだったんですね……。すみません、ちょっと冗談のつもりだったんですが、まさか父上まで巻き込んでいたなんて」
「いや気にするな。むしろお前の演技力に感心したぐらいだ。それで、生誕日のワインだが……」
話しつつ、テオドールがワインセラーの一角へと向かった。
立派な棚が並ぶ中の、とりわけ造りのしっかりとした棚。大事なワインが保管されているのだと一目で分かる。
そこにある瓶を二本手に取り、テオドールが再びシャルロッテ達のところへと戻ってきた。
「これはライアンが生まれた日のワインだ」
「本当だ。ちゃんと取ってあるんですね」
「随分と熟したからそろそろ飲んでも良い頃合いだろう。次の祝い事の時に開けても良いかもしれないな」
「祝い事かぁ。ジョシュア兄さんなら当主継承だろうし、グレイヴなら騎士隊での昇進かな。でも僕は何があるかっていうと……。結婚? 独立? どっちも深く考えてこなかったけど、改めて考えるとなんか焦るなぁ」
「こういうのは急ぐものじゃない。その時まで寝かせておけば良い」
穏やかな声色でテオドールが話し、手元のワインを見つめた。まるで愛しい我が子の成長をそこに見るかのような優しい瞳だ。
まだピンとこないというライアンの考えは大陸一の公爵家子息としては些か緩すぎる。だがテオドールにとってはその緩さも息子の魅力なのだろう。
対してライアンは気恥ずかしさが勝るのか、苦笑しつつ「渋くなっても文句は言わないでくださいね」と返した。照れ隠しなのは言うまでもなく、それも分かっているのだろうテオドールが「渋いワインに合う料理を考えておくか」と冗談に乗った。
そんな二人のやりとりを、シャルロッテは何とも言えない気持ちで眺めていた。
生まれた日のワイン。
ワインというのはよく分からないが、きっと美味しいお酒なのだろう。
それを大事に保管して大切な日に飲む。なんて素敵なことか。
現にテオドールは嬉しそうに話し、それを聞くライアンも照れ臭そうにしてはいるものの嬉しさが隠しきれていない。
いいなぁ。
と、シャルロッテは心の中で呟いた。
だがすぐさま「でも」と心の中で自分の気持ちを否定するのは、シャルロッテには生まれた日のワインを望みようがないからだ。
いつ生まれたか分からない、誰が親かも分からない。何も分からないが、そんな状態でワインなどあるわけがないことは分かる。
だからこそ羨ましいという気持ちをぐっと堪えて静かに話を聞いていると、ふとテオドールが視線を向けてきた。穏やかに微笑んだまま優しい声でシャルロッテを呼んでくる。
「こっちはシャルロッテのワインだ。ほら、綺麗だろう」
「……ロッティのワイン?」
テオドールが片方のワインを差し出してくるが、シャルロッテはわけが分からずコテンと首を傾げるしかなかった。
確かに彼の言う通り、見せてくる瓶は美しい。瓶自体にも花の細工がされており、ラベルもそれに合わせて華やかな書体で文字が綴られている。書かれている文字が読めずに首を傾げたまま見つめていると、テオドールが苦笑と共にシャルロッテの名前とワインの製造日だと教えてくれた。
「これはシャルロッテが我が家に来た日のワインだ」
「ロッティがおうちに?」
「俺と初めて出会って、一緒にこの家に帰ってきた、あの日だ。覚えてるだろう?」
問われ、シャルロッテはもちろんだと深く頷いて返した。
暗くて硬くて怖くて悲しいばかりだったシャルロッテの世界が、一転してキラキラと輝きだした日。
あの日からシャルロッテの世界は眩くて優しくて温かいものばかりになった。薄暗い地下室に居る今もそれは変わらず、たとえ部屋が暗くても見るものすべてが輝いて見える。
そんな始まりの日を忘れるわけがない。
初めてテオドールに抱き上げられた時の安堵感も、初めてフレデリカに寝かしつけられた時の溶けるような心地良さも、なにもかも鮮明に思い出せる。
そうシャルロッテがつたない言葉ながらに必死に話せば、テオドールが満足そうに微笑んで頬を撫でてくれた。
「シャルロッテの誕生日は不明だ。この先も判明する可能性は極めて低いだろう。だからいっそ、家に来たあの日を誕生日にしようとフレデリカと決めたんだ」
話すテオドールの声に決定事項を強いる圧は無く、さりとて決めて良いのかと迷う弱さも無い。
まるで当たり前のことを告げるように落ち着いている。
彼の話に、シャルロッテは元より輝いていた世界がまた輝きを増したのを感じた。目の前に立つテオドールが、嬉しそうに微笑んで話を聞くライアンが、そしてテオドールの手にあるワインが、キラキラと眩しい。
「ロッティの誕生日、ロッティのワイン!」
喜びのあまり、シャルロッテは声をあげて跳ね上がった。このまま屋敷中に知らせて回りたいぐらいだ。もちろん跳ねながら。
もっとも、すぐさまはっと我に返って口を塞いだ。「大きな声をだしたらワインさんがおきちゃう」とひそひそと話せば、テオドールとライアンの笑みがより強まった。
「シャルロッテが大きくなったら祝い事の日に皆で飲もう」
「公爵家令嬢のお祝いかぁ。貴族の令嬢ならやっぱり結婚」
「それは駄目だ、娘はやれん」
「わぁ、食い気味の即答……」
そんな会話をテオドールとライアンが交わす。テオドールは確固たる意志を感じさせる表情で、対してライアンは若干引き気味に。
二人のやりとりに、飛び跳ねたい気持ちを押さえていたシャルロッテは今度はコテンと首を傾げた。
「けっこん? けっこんって何ですか? ロッティはけっこんするんですか?」
「しなくて良いからな」
「と、とりあえずシャルロッテの結婚については置いておきましょう、父上。そろそろ仕事に戻られた方が良いんじゃありませんか?」
慌てた様子でライアンが話題を変えれば、テオドールも上着の内ポケットから懐中時計を取り出し同意を示した。
今は仕事の最中で、家には書類を取りに戻ってきただけなのだ。聞けばこの後も予定は詰まっており、騎士隊に戻り次第すぐに会議に出席するのだという。
公爵家の仕事の半分はジョシュアに任せているとはいえ、騎士隊長としての務めも同時進行しなければならない。テオドールほど多忙な者は滅多にいないだろう、そうメイド長達が誇らしげに話していたのをシャルロッテは思い出した。
「ロッティ、お父様をおみおくりしたいです」
シャルロッテがテオドールの手をぎゅっと握る。
自分が案内するのだと引っ張れば、テオドールがつられるようにゆっくりと歩き出した。
もちろんライアンも一緒だ。シャルロッテが「ライアンお兄様も」と促せば、彼も頷いて歩き出す。さすがにテオドールの手を握りはしないが。
「愛しい息子と娘に見送られるなら残りの仕事も頑張れそうだ」
話すテオドールの声は随分と嬉しそうだ。
シャルロッテも嬉しくなり、見ればライアンも穏やかに微笑んで後を付いてくる。
「ワインさん、おやすみなさい」
最後に一度、ワインセラーで眠るワインたちに声をかけ、シャルロッテは地下へと続く扉をパタンと閉めた。




