15:シャルロッテとライアンのお散歩
シャルロッテは日に三度屋敷内と庭を散歩するようにしている。
朝食後に一度、三時のおやつの後に一度、そして最後は眠る前に。
屋敷内を端から端まで歩き、庭に出てぐるりと一周する。これが定番コースだ。
ブルーローゼス家は大陸一の公爵家であり屋敷も庭も広く、子供の足で、それも気になる部屋を覗いたり花を眺めたりと寄り道をしていると意外と時間が掛かる。
この散歩の目的はシャルロッテの体力作りである。
同年代の子供と比べるとシャルロッテは体力が少なく疲れやすく、医者から時間をかけて体力をつけるように言われているのだ。
「今日はお母様はおしごとですか?」
三時のおやつの後、部屋で過ごしていたシャルロッテは尋ねながら首を傾げた。
この後はフレデリカと屋敷の散歩をする予定だったのだが、どうやら彼女に来客があったらしい。伝えに来たメイドが残念そうな表情で話す。
だが次の瞬間、メイドはパッと表情を変えて「ですが」と話を続けた。
「別のお方がエスコートをしてくださいます」
「エストット?」
「エスコート、お散歩の案内のことです。奥様の事情を聞いて、ぜひ自分がと名乗り出てくださったんですよ」
メイドが嬉しそうに、そしてどこか勿体ぶるように話す。
次いで彼女が部屋の入り口を見た。シャルロッテもつられてそちらを見れば、部屋の扉がゆっくりと開かれ……。
「可愛い可愛い公爵令嬢、僕とお散歩はいかがかな?」
明るい口調と共に一人の青年が顔を覗かせた。
金糸の長い髪がふわりと揺れる。明るい色の髪と洒落た服装、そして見目の良さが合わさって彼自身が輝いているかのよう。並のモデルも裸足で逃げかねない。
彼の登場に、シャルロッテは表情を明るくさせてパタパタと駆け寄った。
「ライアンお兄様!」
「やぁシャルロッテ、今日も可愛いね。ごきげんよう」
「ごきげんようお兄様。お兄様がおさんぽにエストットしてくれますか?」
「うん。僕で良ければエストットさせてくれないかな」
ライアンが穏やかに微笑み、シャルロッテの前に立膝をついてしゃがみ込んだ。
片手をすっと差し出してくる。誘うような、求めるような彼の仕草。真っすぐに見つめてくる優しい瞳に、シャルロッテもまた彼を見つめて返し……。
そしていそいそとポシェットからチョコレートを二個取り出し、彼の手にコロンと乗せた。
赤い包み紙に包まれたチョコレートだ。
ライアンがきょとんと目を丸くさせる。
「これは?」
「ロッティのおやつです。お兄様にあげます。お腹がすいてたらおさんぽできません」
「シャルロッテは可愛いうえに優しいね。でもこの手はおやつを欲しがってた手じゃないんだ。こういう時は、僕の手に自分の手を重ねるんだよ」
「……ロッティの手?」
ライアンの話に、シャルロッテは自分の手と差し出されるライアンの手を交互に見た。
言われるままにそっと彼の手に自分の手を置く。
ライアンの手は指が細くしなやかで美しい手だ。父テオドールの手に比べると全体的に薄い。
それでもシャルロッテの手よりは比べるまでもなく大きく、ゆっくりと握られると包み込まれてしまう。肌が滑らかで少し擽ったい。
「まずは家の中を見て回るんだよね」
「はい。一番さいしょは、一番うえの、一番はしっこの、猫ちゃんの絵があるお部屋です」
「よし、それじゃあ行こうか。出発!」
ライアンが歩き出す。
シャルロッテも彼に続き「しゅっぱーつ!」と声をあげ歩き出した。
そうして屋敷の中を歩いて回る。
気になる部屋を覗いてみたり、飾られている生花の香りを嗅いでみたり。扉から扉まで何歩で到達するか数えてみたり。時には扉を順にノックして音の違いを探してみたり。
楽しく屋敷の中を歩き、シャルロッテは一室の前で足を止めた。風通しのためか扉を半分開けており、中を覗くとカーテンが優雅に揺れている。
中央には大きなベッドが一つ。それと机とワードローブとドレッサーが置かれたシンプルな部屋だ。
「このお部屋はお客さまのお部屋。となりのお部屋もお客さまのお部屋で、どっちも猫ちゃんの絵が飾ってあるんです」
「確かにどっちも同じ画家の猫の絵だね」
「下のお客さまのお部屋にも猫ちゃんやわんちゃんの絵があって、このまえお母様と、おうちの中をぜんぶ見て、猫ちゃんとわんちゃんと鳥さんのどの絵が一番多いか数えたんです。一番は猫ちゃんでした」
それでね、それでね、とシャルロッテが興奮気味に話せば、ライアンが興味深そうに頷いてくれる。
次いで彼は通路の壁に掛けられている絵を見て足を止めた。
子犬が陽だまりの中を遊んでいる絵だ。生き生きとした子犬は今この瞬間にもキャンと鳴いて駆け寄ってきそうで、見ているだけで微笑ましくなってくる。
「言われてみれば、うちって動物の絵が多いね。僕が子供の頃からあった気がするけど母上の趣味かな? 父上の趣味……、だったら意外だけど面白いかも。今度一緒に調べてみようか」
「はい!」
ライアンの誘いにシャルロッテが頷いて返した。
ブルーローゼス家について知れるのも嬉しいが、またこうやってライアンと共に過ごせることがなにより嬉しい。
「生まれてからずっとこの家で生活していたから知らない事なんてないと思ってたけど、こうやって考えると意外とあるもんだね。僕は洋服は好きだけど絵はそこまでだから疑問にも思わなかった」
「わからないことがあればロッティが一緒にしらべます」
「本当? 嬉しいなぁ。シャルロッテと一緒だと今まで以上に家のことが好きになるよ。それじゃあ他の『分からないこと』を探しに行こうか」
「はい! しゅっぱーつ!」
再び出発だとシャルロッテが気合いを入れれば、今度はライアンがつられたようで、彼も楽しそうに「出発!」と掛け声をあげてくれた。
屋敷の中を見て回り、次いで庭に出る。
ブルーローゼス家の庭といえば国内どころか国外にも有名で、初めて訪問した者は「ぜひ一目」と案内を求めるほどだ。
そんな庭に出て、花を眺め、飛ぶ鳥を見上げ、吹き抜けた風が鳴らす葉擦れの音や微かに聞こえてくる音を楽しむ。
「ロッティ、こんなに素敵なものがいっぱいあるなんて知りませんでした」
産まれてから馬車の荷台で過ごし、聞こえるのは車輪の音と男達の下卑た笑い声、そして捕まった者達の悲鳴と啜り泣き。荷台の外に出されるのは大体が夜中で、暗い世界で酒に酔った男達の姿を見るだけだった。
それが世界の全てなのだと思っていたが、まさかこんなに素晴らしい景色と音で溢れていたなんて。
そうシャルロッテが嬉しそうに話せば、ライアンが僅かに目を細めた。シャルロッテの小さな手を優しく両手で包み「そうだね」と穏やかな声色で告げてくる。
「世界にはもっと素敵なものがあるんだ。これからたくさん素敵なものを見て、素敵な音を聞けるよ」
「はい!」
ライアンの言葉に、シャルロッテは期待を胸に笑顔で返した。
世界はなんて素敵なもので溢れているのだろうか。
もちろん、今こうやって手を繋いで歩いてくれる兄も素敵でキラキラと輝いて見える。
そうして庭をぐるりと見て回れば、散歩も終わりだ。
「ライアンお兄様、今日はエス……、エスト? エストーコありがとうございました」
感謝の言葉と共にペコリと頭を下げる。
それに対してライアンが「ずっと惜しいねぇ。エスコート、だよ」と苦笑しつつ訂正し、愛でるように頭を撫でてきた。
だがふと声色を変え「これで終わり?」と尋ねてきた。不思議そうな表情と口調。頭を撫でられて照れていたシャルロッテも疑問を抱き、首を傾げて彼を見上げた。
「ライアンお兄様、どうしました?」
「いつも散歩はこのコースで、庭を見たら終わりなの?」
「はい。お馬さんの人がいるときはお馬さんを見に行きます。でも今日はお馬さんのひとはお仕事って言ってました」
「お馬さんのひと……、御者のことかな。でもそうか……、地下にはまだ行っていないんだね」
「ちか?」
『地下』というのは建物の下にある部屋のことだ。それは知っている。
だがブルーローゼス家の屋敷に地下なんてあっただろうか?
この家に来てすぐ、グレイヴが屋敷の中を案内してくれた。その後にも何度もフレデリカが屋敷の中を案内してくれたし、今も毎日散歩をして屋敷の中を見て回っている。
だが『地下』があるとは一度も聞いていない。もちろん行った事もない。
そうシャルロッテが不思議そうに話せば、ライアンは真剣な表情で「そっか……」と呟いた。いつも陽気な彼らしからぬ低い声に、シャルロッテも自然と緊張感を抱いてしまう。
「ち、ちかに、何があるんですか……?」
「シャルロッテにはまだ早いかな。いや、でもブルーローゼス家の者として一度は行っておくべきかもしれない……。シャルロッテ、地下に行く覚悟はあるかい?」
真剣味を帯びたライアンの問い。
地下に何があるのか分からず、だが『何か』があるのだと空気から察し、シャルロッテは早まる鼓動をおさめるために胸元をぎゅっと掴んだ。
この家に、まだ足を踏み入れていない地下に、いったい何があるのか……。
「ちかに……、ちかに行きたいです! このお家のことをちゃんと知りたいです……!」
シャルロッテが声高に告げれば、その覚悟を受け取ったと言わんばかりにライアンがゆっくりと頷いた。
「それじゃあ案内するよ。ブルーローゼス家の地下、許された者しか足を踏み込めない場所に……」
行こう、とライアンが促してくる。その足取りには今までの軽さはなく、むしろ決意の重みを感じさせる。
シャルロッテは胸元を掴んだ手に更に力を入れ、覚悟を決めて一歩踏み出した。




