14:令嬢もっちり計画
クラリスの発言に、シャルロッテは顔を上げ、こてんと首を傾げた。
「もっちり?」
「えぇ、もっちり計画ですの。私ごらんのとおり、他のご令嬢よりちょっとばかしもっちりしておりますでしょう? でも健康ですのよ。お医者様にはいつも褒められてますもの」
得意げにクラリスが胸を張る。ドヤァと音がしそうな程。その音と一緒にモチィとも音がしそうだ。
マリアンネとフランソワが「健康もっちりですわね」「素晴らしいもっちり」と彼女を褒め称えた。
「ですが殿方は細い女性を好みますのよ。スラリとした方が良いんですって。ですから私、考えましたの!」
ガタと勢いよくクラリスが立ち上がった。
拳をぎゅうと握りしめるその姿からは並々ならぬ気迫が漂い、瞳にはまるで炎のような熱い決意が宿っている。
その迫力にシャルロッテは思わず気圧されてしまった。膝に乗せていた猫のぬいぐるみをギュウと抱きしめて、ゴクリと生唾を呑んでクラリスを見つめる。
そんな熱い視線を受け、だが臆することなくクラリスが口を開いた。
「私と同年代の令嬢がみんなもっちりすれば私も普通になりますのよ! そのために各家にお菓子を配っておりますの。これぞ私の『令嬢もっちり計画』ですわ!」
高らかなクラリスの断言。己は痩せぬ、代わりに平均を上げる。それこそが正義だと言わんばかりの熱意だ。
それに続くのは「素晴らしい計画ですわ」「さすがクラリス様」というマリアンネとフランソワの賛同の言葉。パチパチと拍手までしている。
対してシャルロッテはいまだ気圧されており、「はわわ……」と思わず声にならない声をあげてしまった。
「ロ、ロッティももっちりに……?」
「えぇ、もちろんですわ。むしろ公爵家のシャルロッテさんにはもっちりのリーダーになっていただかないと」
「もっちりのリーダー……」
「今までは侯爵家のわたくしが同年代の中で一番の令嬢でしたの。ですがシャルロッテさんが公爵家に入った……、それも誰よりもカリカリで。これはもう、もっちりして頂くほかありませんわ!」
クラリスの熱意と熱弁は留まるところを知らない。むしろ留まる必要がどこにあるのかと問うような勢いである。
己の理論が正しいと信じて疑わない、疑う余地もない、確固たる自信からくるその熱意にシャルロッテは圧倒されっぱなしだ。
思わず痩せ細った己の腕と、もっちりとして肌艶のよいクラリスの腕を見比べる。ともに可愛らしいワンピースを纏っているものの、衣服から出た手足は違う。肉付き、肌の張り、それ以外も含めてクラリスのなんと立派なことか。
自分もいずれああなるのか。
あんな立派な『お嬢様』に……!
「ロッティももっちりします……!」
「その意気ですわ、シャルロッテさん! おいしいご飯、おいしいおやつ、適度な運動とたっぷりの睡眠。これで高貴なもっちりになりますのよ!」
「高貴なもっちり!」
「えぇ、健康で高貴なもっちりですの。シャルロッテさん、あなたを私たち『令嬢もっちり同盟』にご招待いたしますわ!」
「はい……!」
クラリスの熱意にすっかりとシャルロッテも感化されてしまった。
なぜだかお腹が空いてきた気がして、さっそくとクッキーを一枚食べれば、「その意気ですのよ!」とクラリスが褒めてくれる。マリアンネとフランソワも「ナイスもっちり」「記念すべき第一歩ですわね」と声を掛けてくれた。
なんて嬉しいのだろうか。
不思議とクラリス達と話しているとお菓子を食べる手が止まらない。食べながら「これが美味しい」「前に食べたあれは」と話していると、美味しいお菓子がより美味しく感じられる。
シャルロッテの世界がまた一つキラキラと眩く、今回は美味しそうに輝きだした。
◆◆◆
「それで、ロッティもいっぱい食べてもっちりするんです」
「今日の夕飯は完食したらしいな。幼いうちから体をしっかりと作っておくのは良い事だ」
「クラリスさんがお菓子をおくってくれるって言ってました。『健康的においしくお太りあそばせ』って。ロッティもなにかお返ししたいって言ったら、お母様がお花をお返ししましょうって」
「花?」
「はい。季節とお花の言葉をかんがえて選ぶんです。『しゅくじょのたしなみ』って言ってました。しゅくじょもたしなみも分かりませんが、ロッティもお花に詳しくなりたいです」
「そうか。体を作るのも良いが、知識を得るのも良い事だ」
シャルロッテの話にテオドールが目を細めて笑った。
時刻は既に夜、場所は彼の私室。
普段からシャルロッテは就寝前に屋敷を一周散歩するようにしており、今夜は偶然その最中に帰宅したテオドールと遭遇した。
騎士隊の仕事は日中夜問わずあり、帰宅が遅くなるのは珍しくない。深夜や明け方、それどころか丸一日、むしろ二日三日掛かりになることもざらだ。妻のフレデリカでさえ、数日タイミングが合わず顔を合わせられないこともあるという。
そんな中で父に会えたことをシャルロッテが喜んでいると、せっかくだしとお茶に誘われて今に至る。
どうやら今日の茶会がどうだったか気になっていたようで、シャルロッテが楽しかったと興奮気味に話せば彼も自分の事のように嬉しそうに笑って話を聞いてくれた。
「ロッティもクラリスさんみたいな素敵なもっちりに……、ふわ」
話しの最中、喋ろうとしていた言葉が欠伸に変わってしまった。
慌てて口を押さえて「ごめんなさい」と謝るも、テオドールは怒るどころか柔らかく微笑んで頭を撫でてくれた。
「もう寝る時間だな。お茶に付き合ってくれてありがとう。今誰か呼ぶから、自室につれていってもらいなさい」
穏やかな声色でテオドールが促してくる。
それに対してシャルロッテはコクリと頷き……、だがふと思い立ってテオドールの服の裾をツイと引っ張った。
彼が不思議そうにこちらを向く。「どうした?」と尋ねてくる声は愛でるように優しい。
「お父様、いそがしいですか……?」
「いや、あとは報告書の確認をするだけだが。何かあったか?」
「……お父様にベッドまで連れて行って欲しいです。寝る前のお話も……、ダメですか?」
「俺が?」
「クラリスさんが、お父様に寝る前のお話をしてもらうって言ってて、ロッティが『いいな』って言ったら『お願いしてみたら』って。マリアンネさんとフランソワさんもときどきお父様に絵本を読んでもらうんです。でもお父様は忙しいかもってロッティが言ったら、さきに忙しいか聞いてみたらって」
それで、それで、とシャルロッテが訴える。
「で、でも、お父様がお仕事があるなら大丈夫です。ロッティ、ひとりでお部屋に行きます」
一緒に部屋に行って欲しい。できれば眠るまでお話をしてほしい。
だけどもしも父の仕事の邪魔になってしまったら、我が儘だと思われたら……。そんな不安が次第に湧き上がり、シャルロッテは今度は何度も「だいじょうぶです」「ひとりでお部屋にもどれます」と繰り返した。
だが次の瞬間ひょいと抱き上げられて目をぱちくりと瞬かせた。
視界が一気に高くなり、間近にあるのは優しく微笑むテオドールの顔。美しい紺色の瞳が真っすぐに見つめてくる。
「愛しい娘からの頼みを断るわけがないだろう。さぁ行こうか」
穏やかな声色で告げ、ゆっくりとテオドールが歩き出した。
彼の逞しい腕はしっかりとシャルロッテを抱えており、振動はあまりない。
それでもシャルロッテはテオドールの首元にぎゅうと抱き着いた。温かくてなんて心地良いのだろうか。
◆◆◆
シャルロッテを寝かしつけて部屋を出たテオドールは、自分でも分かるほどに機嫌が良かった。
眠る直前の娘のなんと愛らしいことか。眠たげな目元はまるで子猫のようで、微睡んだ声色で「おとうさま」と呼ばれれば愛おしさが募る。
絵本を読み聞かせるとすぐに寝息を立ててしまい、軽く頬を撫でれば心地よさそうに笑む。額にキスをすれば銀糸の前髪がふわりと肌に触れて、前髪の柔らかさすらも愛らしい。
愛娘シャルロッテ。
あの日、あの晩、荷台の縁に座り見上げてくる彼女を娘に迎えると即決したが、己の決断に間違いはなかった。
「あら、今夜はテオドールが寝かしつけたのね」
声を掛けられて振り返れば、フレデリカがこちらに歩いてくる。
曰く、そろそろシャルロッテを寝かそうとテオドールの部屋を訪ねたが誰も居らず、もしやと思いシャルロッテの部屋に来たのだという。
「俺の部屋で話をしていたんだが、途中で眠そうにしていたから連れてきた。絵本を読んでやったんだがすぐに寝てしまったな」
「午前中は随分と緊張していたし、午後はお茶会で楽しんでたからきっと疲れていたのね」
「あぁ、だが同年代と接するのは良い経験になったようだ。寝るまで側にいてほしいと言ってきたからな」
まだ遠慮があるのか、生い立ちゆえか、もしくは性格か。シャルロッテはあまり自己主張する娘ではない。
自ら物事を強請ることはせず、何か欲しいか何かしたいかと尋ねてもふるふると首を横に振ってしまう。
生まれてから馬車の荷台で生活していたため経験・知識ともに浅いのも理由の一つだろう。欲を抱く以前に、世界に何があるかを知らないのだ。
だが親としては要望や我が儘の一つや二つ言って欲しいのが本音である。
否、一つや二つどころではない。何十何百だって希望を言ってほしい。大陸一どころか世界に名を馳せる公爵家だ、全て叶えてやれる。
「あの子はいままで辛い環境で耐えてきたんだ。多少どころか国一番の我が儘に育っても釣りが出る」
「お城が欲しいと言い出したら玩具のお城じゃなく本当に一件建ててしまいそうね」
「城か……。すぐに城は難しくても、別荘の一つぐらいなら建ててやれるな。まず別荘を建ててから城を建てればいい」
不可能ではない、とテオドールが断言すればフレデリカが苦笑と共に肩を竦めた。
「シャルロッテのためのお城建築はまた後日考えましょう。明日も騎士隊の仕事でしょう? もう休んだほうがいいわ」
「そうだな。……だが土地は早めに押さえておいた方が良いかもしれない」
「冗談だったのに変に焚きつけちゃったわね。お城の話なんてしたらシャルロッテが驚くわよ、あの子を困らせないであげて」
フレデリカの脳裏で、シャルロッテが「おしろ? べっそう?」と目を丸くさせる。
きっと幼い彼女はこの話に驚愕するだろう。もしかしたら理解が追い付かず「はわわ……」と細い声をあげてしまうかもしれない。
それは可哀想だとフレデリカに忠告されればさすがにテオドールも落ち着きを取り戻し、先走っていたことを誤魔化すようにコホンと咳払いをした。もっとも、相手は長年連れ添った妻フレデリカだ。きっと誤魔化しもバレているだろう。
「ま、まぁ、城も別荘も、シャルロッテが望んだ時に叶えてやればいいか」
「そうよ。今はお城より、明日の朝にまた挨拶をしてあげた方が喜ぶわ」
穏やかに微笑みながらフレデリカが寝室へと促す。
テオドールもそれに微笑んで返し、最後に一度、シャルロッテが眠る部屋の扉を見つめ、「おやすみ愛しい娘」と囁くように告げて歩き出した。




