12:ハンクお兄様の秘密の部屋
カーテンを開ければ外の光が入り込み、ハンクの部屋が一気に明るくなる。
それと同時に室内の全貌が明らかになり、シャルロッテは思わず「わぁ……」と感嘆の声を漏らしてしまった。
最初に見えていた人形の他にも室内のあちこちに人形が飾られている。本棚の一角、背の低い棚の上、それに人形用のガラスのキャビネットまで。その数は二十を超えており、まだ数を多く数えられないシャルロッテにとってはまさに『いっぱい』だ。
人形用の服も靴も綺麗に並べられており、他にも髪飾りや帽子、鞄、それどころか綺麗に整えられた人形用のウィッグまである。
棚を覗くと人形用の目玉が色ごとに並べられており、これには一瞬シャルロッテもぎょっとしてしまった。
他にも、顔が描かれていない人形の頭や首から下だけの体。手や足だけのパーツ。
これらは少し不気味だが、ハンクにとっては大事なものなのだろうきちんと整理されている。
「ハンクお兄様はお人形をつくっているんですか?」
とは、部屋の中を一通り見させてもらい、ようやくお茶となってからのシャルロッテの質問。
もっともお茶といってもハンクの部屋にテーブルセットは無く、あるのは彼の作業机と椅子、それと布置きと化していたソファだけ。
ハンクは作業机の椅子に座り、シャルロッテは片付けて貰ったソファに座る。二人でお茶というには不思議な配置である。
だが今のシャルロッテには家具の配置など気にならない。なにせこの部屋はそれよりもっと興味を誘うもので溢れているのだ。
興奮はいまだ続いており、瞳は今日一番輝いている。それでも一応の落ち着きは取り戻し、コクリと紅茶を飲むとほっと息を吐いた。
そんなシャルロッテに対して、ハンクは一度自室を見回したのち「僕は……」とぼそりと話し出した。
「つ、作ってるというか……。ぼ、僕はメインはメイクかな。洋服はある程度なら作れるけど本格的なものになると買ったり頼んだりしてるし、く、靴や帽子みたいな小物はそもそも作れないから。家具もいつか作ってみたいけど、まだそこまで手が回せてないし。それに髪は植毛は出来るけどウィッグは買ってるし、大元のヘッドやボディも買い付けてるから、作ってるとまで断言はできないと思う」
ボソボソとした声量ながらもハンクが一気に話す。
彼らしくない捲し立てるような勢い。これにはシャルロッテも圧倒されてしまい「はわ……」と声を出すのが精いっぱいだ。
これほど饒舌なハンクは見た事がない。そもそも滅多に部屋から出てこないので喋っているところを見ること自体が少ないのだが。
だからこそ饒舌に話す兄の姿にシャルロッテが目をぱちくりとさせていると、気付いたハンクがはっと我に返った。
「ご、ごめん、その、一気に喋って驚かせたね……。こんな風に話すことってあんまりないから……」
「お兄様は……、お人形さんをちょっとだけつくってるの……?」
ハンクの説明はよく分からなかった。早口だったし、知らない言葉がいっぱい出てきたからだ。
それでもなんとなく彼の言わんとしていることを察して問えば、ハンクが頷いて返してくれた。
「全部一人で作ってるわけじゃないんだ。ぼ、僕には、そんなことは出来ないから……。たくさんの人が関わっていて、たくさんの人にお願いして、人形を作る。僕はその中の一人なんだ」
話しつつ、ハンクが壁に飾られている人形達をゆっくりと見回した。
髪留めで留めていたからか長い前髪の一房に癖がついており、その隙間から彼の瞳がちらりと覗く。紺色の瞳。真っすぐに人形へと向けられている。
『一人では作れない』『たくさんの中の一人』そう言いつつも、彼の表情には卑下する色はなく、むしろその中の一人である事を誇っているように見える。
この話と彼の表情にシャルロッテも自然と表情を和らげた。
兄の事を知れたのが嬉しい。兄が好きなことを話してくれたことが嬉しい。より一層ハンクのことが好きになってくる。
次いでシャルロッテはふと自分の膝の上に視線を落とした。
そこにちょこんと座っているのは一体の人形。
周りの美しい人形と膝の上の人形を見比べる。
「お兄様……、ロミーのこと治せますか?」
「ロミー?」
「この子。ロッティのロミー」
膝に乗せていた人形のロミーを手に取る。
人形のロミー。荷台での暗い生活の中、いつも一緒にいた。一緒に寝て、一緒に食べて、悲しい時はぎゅっと抱きしめて……。
「ロミーもね、ロッティといっしょでお名前がなくてね、お母様といっしょに考えたの」
ブルーローゼス家に来て自分が『シャルロッテ』と名前を貰った翌日、フレデリカと共に『ロミー』と名前をつけた。
シャルロッテが呼びやすいように、可愛い響きになるように、あれこれとたくさん考えてつけた名前だ。
それを話せばハンクが穏やかな声色で「良い名前だね」と褒めてくれた。
「でも、ロミーは傷がいっぱいでね……」
「傷……。確かに、前に見た時に傷がついてたね」
「顔にも目にも傷があってね、腕もいつもパキってしちゃうの……」
大事な人形だ。シャルロッテはいつもロミーを抱きしめて大事に扱ってきた。
だがあちこち汚れて壊れており、とりわけ美しい人形達が飾られた部屋の中では破損が目につく。痛々しさに悲しくなってしまうほど。
顏も体も傷だらけで、髪も梳かしているがボロボロ。
洋服はメイド達が用意してくれているので綺麗だが、その中にある体は欠けやヒビが数え切れないほどある。包帯代わりに白い布を巻いてこれ以上の破損は防いでいるが、このままでは治らないことはシャルロッテでも分かる。
「足もうごかなくて、ぎゅってしてるだけで、と、とれちゃって……。顔も目もね、いたそうなの」
シャルロッテが話しながら差し出せば、ハンクがそっとロミーを手に取った。
「見せてもらうね」という言葉も声も、ロミーを両手で優しく持ち上げる手つきも、なにもかもが優しい。
「これは……」
「ロッティね、いつもロミーと一緒にいたの。それでね、取らないでって言ったのにみんなロミーのこと取ってね、やめてって言っても引っぱったり投げたりしたの」
下劣な男達はシャルロッテの体を傷つけることはしなかった。だがそれは情や優しさ等ではなく、たんに商品として高く売るための浅ましい打算だ。
ゆえに彼等はシャルロッテの持つ人形に目をつけ、投げたり地面に叩きつけたりと乱暴に扱い嫌がる様を見て楽しんでいた。
結果ロミーの体はボロボロだ。腕や足がすぐに取れてしまい、泣きながら必死で付け直したのも一度や二度ではない。
目の前でロミーを傷つけられた苦しさ、やめてと訴えても手を伸ばしても敵わなかった無力さ。ロミーが傷付けられるたびに自分も傷付いたように胸が痛かった。
当時のことを思い出し、シャルロッテは俯いてスンと鼻を啜った。
鼻の奥がツンと痛み、じわりと目に涙が浮かぶ。泣くまいと目を擦ったのにポロポロと涙が落ちてきた。喉がしゃっくりをあげる。
「シャルロッテ……」
「お兄様、ロミーのこと治してあげられますか?」
「だ、大丈夫だよ。僕に任せて。ロミーのことは僕が絶対に治してあげるから」
「……ほんとう?」
涙を拭い鼻を啜りながら問えば、ハンクがじっとシャルロッテを見つめてきた。
長い前髪の合間から彼の紺色の瞳が覗いている。真剣味を帯びた瞳。まっすぐにシャルロッテを見つめてくる。
そのうえはっきりと「約束する」と告げてきた。普段の口の中で言葉を発しているような小さな声とは違う、力強ささえ感じさせる断言。
シャルロッテもまた彼をじっと見つめ、コクリと一度頷いて返した。
「ロミー、元気になってね」
ロミーに告げれば、ハンクがロミーの頭を優しく撫で、次いでシャルロッテへと手を伸ばすと涙で濡れる頬をそっと拭ってくれた。
◆◆◆
しばらく他愛もない話をし、ティートロリーを片付けに来たメイドにシャルロッテを託す。
興奮して話したうえに泣いて疲れたのかシャルロッテはうとうとと船をこぎ出しており、メイドに「お部屋で寝ましょう」と促されるとカクンと首を垂れるように頷いていた。メイドに手を引かれて去っていったが、自室まで歩いて行けるかどうか……。
そんなシャルロッテを見送り、ハンクは自室へと戻った。
作業机の上には先程預かったばかりの人形ロミー。
綺麗な布の上に横たわる彼女は人形らしい美しさがあるが、やはり破損が目立つ。
長い年月を経たうえでの経年劣化ではない。持ち歩き遊び愛されたゆえの破損でもない。ただただ乱暴に扱われた末の破損。
それが分かり、ハンクは己の胸の内に静かな怒りが湧きあがるのを感じた。
この人形を傷つけられるたび、シャルロッテは己のことのように悲しんだのだろう。
敵わないと分かっていても止めて、必死に訴え、壊れていく人形を治す術もなく抱きしめていたのだ。
その光景は想像するだけで堪えきれない怒りが湧き、ギリと歯ぎしりをした。
だが次の瞬間にはっと我に返り怒りを収めたのは、カタと室内に小さな音がしたからだ。その音が続き、窓を開けていない部屋の中にふわりと涼しい風が吹く。……まるでハンクの怒りを鎮めるかのように。
「そ、そうだね。僕がここで怒っても何もならないね……。いまはロミーを直してあげないと」
ふぅと深く息を吐き、ハンクは己を落ち着かせるためあえてゆっくりと椅子に座った。
ロミーを持ち上げて慎重に手足を動かし、細部はルーペで覗いて確認していく。まるで患者を診る医者のように、宝石を扱う鑑定士のように。丁寧に。これ以上傷付かないように。
「顔はメイクで直せるし、アイの傷も塗料で隠せそうだ。できるだけ元の顔立ちを残して傷を補修する感じで……。髪は使える部分だけ残して植毛かな。あんまり経験ないけど、練習すれば平気なはず。体は……、さすがにボディは丸ごと取り替えないといけないか。見た事ないボディだけど、どこで手に入れれば良いんだろう……。でも既製品との互換性がありそうだから似た体型の同色を探すのも有りかな」
ぶつぶつと呟きつつロミーを眺め、ゆっくりと机の上に戻した。まるで眠りを促すように布の上に横たえさせる。
次いで机に置いていた髪留めを手に取り、慣れた手つきで前髪を纏め上げた。普段は隠されていた紺色の瞳が力強さを宿して光る。
「ロミー、きみは今までシャルロッテを、僕らの妹を支えてくれた。直すのは兄の務めだ。きみを完璧に直してみせる」
声量こそ小さいもののハンクの言葉には雄々しい力強さがある。
彼の周りで、数十の人形達がカタカタと揺れだした。




