第36話:5階層には“エクストラボス”がいる
「うっ………グスッ………師匠、ごめんなさい。私がついてきたのに足を引っ張っちゃって………。」
その震える声と一緒に涙がこぼれ落ち、ミラの頬をつたい、やがて唇に流れ落ちる。
なんとか安全な階段の踊り場に彼女を移動させた俺は、その場で座り込むミラの背に手を置いていた。
まだ顔色は悪い。意識を取り戻した直後に、こうして泣き出してしまったのだ。泣き声の奥にあるのは、痛みでもなく、恐怖でもない、責任感だとすぐに分かる。ミラは自分だけ、自分が付いてきたことで足を引っ張ったと思い込んでいるのだろう。
「気にするな。あれに関しては完全なイレギュラーだ。それに守れなかった俺にも責任はある。そんなに自分を責めるな。」
どれだけ冷静を装っても、俺の心の奥底ではミラを付いてこさせてしまったこのに対する罪悪感が募る。だが、彼女の前でそれを吐き出すわけにはいかない。
俺は戦う立場であり、導く立場、そしてミラの涙を拭うことは、俺の役目だ。
「う、うん………グスッ………。」
短い返事の後、ミラの肩は小さく上下し、次第に呼吸が落ち着いていった。安心したのか、彼女は目を閉じ、そのまま眠りに落ちていく。
いくら安全地帯に近いとはいえ、ダンジョンで警戒せず眠るのは命に関わる。本来なら怒らなければならない………だが、今のミラには休息が必要だろう。俺も近くで守っているし、大目に見てやるべきだ。俺はそう判断する。
そして俺の足元にキラリと輝く“それ”を見つめる。
「………進化した魔石。」
俺はポツリと呟き、先ほどの戦いを思い返す。爆発四散したミノタウロスの体から現れたのは、見覚えのある赤色の魔石だった。
俺の杖に埋め込まれている魔石と同じ色。それも、ただの赤ではなく、濃く澄んだ輝きを放つ“進化した魔石”。
だが、そこには大きな違和感があった。たかがミノタウロスごときが、この魔石を所持していること自体がおかしい。
この前討伐した黒龍ですら、持っていたのは赤色に近づいた程度の淡い石だった。さらにフェンが仕留めた古代龍でさえ、真紅には至らなかった。
それなのに、よりにもよって中堅クラスの魔物であるミノタウロスから完全に赤色で染め上げられた真紅の魔石が出てくるとは……。
「これは一体どういうことなんだ………?」
ダンジョンの異変か。あるいは、俺たちがここに足を踏み入れたことによる変化か。
もし後者だとしたら、責任の一端は俺たちにある。考えたくはないが、可能性は排除できない。
「………明日からは隠密魔術を使って最下層まで進み、ダンジョンを止めた方がいいかもしれないな。」
結論を出すように小声で呟く。
もし俺たちの存在がイレギュラーを誘発しているなら、隠密魔術で存在感を消すのが得策だ。他の誰にも、魔獣にもバレないために。
そう考えながらも、俺の胸の奥には不安が残る。
俺は周囲に守護結界を張り巡らせ、背中を壁に預ける。杖に手を添え、浅い眠りに身を沈めた。
───10数時間後
瞼を開けると、ダンジョンに微かに光る魔草の発する光俺のが視界に差し込んだ。時間の感覚は曖昧だが、少なくとも半日ほどは経っているようだ。
隣ではミラが目を擦りながら起き上がり、弱々しいながらも笑顔を見せてきた。その表情に、ようやく少し救われた気がした。
俺たちは予定通り、隠密魔術を纏いながらダンジョンの階層を進んでいく。
透明な膜のような魔術が体を包み、俺たちの存在感を希薄にする。呼吸の音すら抑えられるこの術は、集中力を要するが効果は絶大だ。
その証拠に、昨日のようなイレギュラーは一度も起きなかった。魔物は俺たちを見ても気づかず、まるで空気のように通り過ぎていく。
「やはり……俺たちが原因なのか?」
歩みを進めながら、俺は考えを整理する。可能性は二つに絞られた。
一つは、俺たちの侵入がダンジョンに変質をもたらしたという説。
もう一つは、人間がダンジョンに入ると魔物が活性化するよう仕組んだ“黒幕”が存在するという説だ。
後者ならば相当に厄介だ。単なる自然の変化ではなく、人為的な陰謀。敵は見えない場所から糸を引いている。
もしそうなら、俺たちはただの挑戦者ではなく“狙われた駒”ということになる。
「その真相を知るには……やはりお母さんの言っていた商業ギルドの人間に会わなきゃな。」
胸中で呟き、歩を速める。答えを求める気持ちが背中を押していた。
やがて、俺とミラは5階層へと到達する。
階段を下りた瞬間、空気が変わったのを肌で感じた。冷たい風が頬を撫で、微かに鉄の匂いが漂う。緊張感が一層濃くなる。
「エクストラボス………。」
呟いた言葉は、自然と息を詰まらせる響きを帯びていた。
通常ならばボス部屋は階層の奥深くに存在する。しかし、目の前にはすぐさま巨大な扉が立ちはだかっていた。
これは特別な存在──通常のボスを上回る“エクストラボス”がこの先にいるという証拠だ。
ミラが小さく息を呑む。その肩の震えは無理もない。彼女にとっては、まだ未知の恐怖そのものだからだ。
俺は彼女を守ると決めている以上、動揺を彼女に悟らせるわけにはいかない。
「気を引き締めていこう。今は俺一人じゃない。お前もいる。」
そう言って、彼女の頭に軽く手を置いた。ミラは不安そうに目を伏せながらも、ぎゅっと拳を握りしめ、小さく頷いた。
その仕草だけで十分だった。彼女は確かに戦う覚悟を持っている。
俺は一歩前に出て、重厚な扉に手をかける。冷たい鉄の感触が掌に伝わり、心臓の鼓動を速める。
深呼吸を一度だけ。自分を落ち着け、そして………。
───ギイィィィ……。
鉄と鉄が擦れ合う低い音が広間に響く。ゆっくりと、しかし確実に扉は開いていく。
その先に待つのは、俺たちの力を試すための“何か”。
もし、あのミノタウロス以上の化け物だった場合……。
「この命を守ることが最優先、だな。」
呟きは冷たい空気に溶けていった。だがその言葉は、俺自身に向けた誓いでもあった。
ミラを守り抜くこと。たとえこの身が砕けても。
そして、俺は静かに扉の先へと足を踏み入れた。
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