好きなことと大事なものと
ライヤたちは、ヒロの家で一夜を過ごした。
ヒロの妻の手料理は、大陸のそれとは大きく異なるが、素朴ながら美味に感じられるものだった。
小麦ではなく、イモの一種から採れる澱粉を練って焼いたパンや、野菜と魚を大きな葉で包んで蒸し焼きにしたものなど、ライヤから見ると珍しいものばかりだ。
アルマスがとどめを刺した熊の肉も、鍋で煮込まれて立派な料理になっている。
「アルさん、自分で仕留めた熊の肉ですよ」
ヒロが、にこにこしながら、木の椀によそった熊の煮込みを差し出した。
「熊の肉は初めて食べたけど、美味しいね。特に脂のところが」
最初は恐る恐る肉を口にしたアルマスだったが、気に入ったのか、お代わりをしている。
そんな彼の様子に、ライヤは微笑ましいものを感じた。
翌朝、一同が朝食を済ませると、イサクが言った。
「今日は休養日にして、明日の朝、次の集落へ出発する予定だ。儂は、ここで休んでいるが、君たちは好きに過ごしてくれ。ああ、連絡が付かなくなると困るので、集落からは出ないようにな」
「特にすることもありませんし、集落の中を回ってみませんか」
「うん、君と一緒なら」
ライヤが提案すると、アルマスは快く承諾した。
二人はヒロの家を出て、集落の中を歩いてみた。
ヒロは腕のいい狩人として住民たちから尊敬されているという。そんな彼の客人という訳で、住民たちはライヤたちに対しても親切だった。
家畜小屋の傍に設けられた柵の中では、大人の山羊や羊が草を食んでいるのに交じって、子山羊や子羊が駆け回っている。
「わぁ、山羊や羊の子供も、ふわふわで可愛いですね」
思わず声を上げたライヤに気付いたのか、柵の中で何か作業をしていた住民が声をかけてきた。
「この子たちが気になるのかい? もっと近くで見なよ」
「ありがとうございます!」
ライヤが柵に近付くと、好奇心旺盛な子山羊や子羊たちが寄ってきた。
順番に頭を撫でてやると、子山羊たちが可愛い鳴き声で応える。
彼らの、ふわふわした毛の感触に夢中になっていたライヤだったが、ふと傍らに立っているアルマスの存在を思い出し、我に返った。
「も、申し訳ありません……山羊や羊の子供なんて初めて見たので……」
顔を赤らめるライヤを見て、アルマスは微笑んだ。
「ライヤが嬉しそうにしているから、僕も嬉しくなっちゃったよ」
一瞬の沈黙を挟んで、彼は再び口を開いた。
「動物の子供の他に、何か好きなものはある?」
「好きなもの……ですか?」
突然の問いかけに、ライヤは戸惑った。
好きなもの、と言われても、咄嗟に思いつかなかった彼女は、少し考えてから言った。
「……子供の頃、絵本が好きでした」
「絵本?」
「ドレスを着た、お姫様の絵が綺麗で……お、おかしい、ですか?」
「おかしくなんかないよ。ライヤは、可愛いものや綺麗なものが好きなんだね。……戦うことは、好きなの?」
「戦うことですか……好き嫌いとかではなく、それが私の役目と考えています」
「役目だから、か」
ライヤの言葉を聞いていたアルマスは、小さく息をついた。
「君は、僕と一緒だと、何も好きなことができないんだね」
彼の言いたいことが読めず、ライヤは戸惑った。
「考えてみれば、国から脱出した時点で、君が僕の護衛騎士だという縛りも消滅したと思う。僕と離れれば、君は、少なくとも今よりは、もっと自由に生きられるんじゃないかな」
アルマスは、明らかに無理をしていると分かる、強張った微笑みを浮かべた。
「な、何を仰っているんですか」
「僕は、君が傍にいてくれるのが心強くて嬉しいけど、君は、そうじゃないかもしれないって、ようやく気付いたんだ」
アルマスの思わぬ言葉にライヤは衝撃を受けた。
――思い返せば、初めて会った時から、アルマス様は不器用ながらも私に対する気遣いを見せてくださっていた……でも……
「少し、勘違いをされているようですね」
ライヤは、アルマスの目を正面から見据えた。
「アルマス様の護衛に就いたのは国王陛下の御命令によるものかもしれませんが、今ここで殿下のお傍にいることを選んでいるのは、私の意思です」
アルマスが、はっと息を呑んだのが、ライヤにも分かった。
「たしかに、今の状況では、綺麗な服で着飾ったり可愛いものを愛でて暮らすのは不可能です。しかし、アルマス様をお守りすることのほうが、私にとって優先順位が高いのです」
少し躊躇ってから、ライヤは言った。
「私の前からアルマス様がいなくなったら……寂しいです。それに比べれば、少しくらい不自由があっても、どうということはありません」
「そうなんだね。君が、僕の為に嫌な思いをしているかもしれないと思ったら……余計なことを言って、気を悪くしたなら、すまない」
アルマスは、そう言って俯いた。
「いえ、お気遣いいただけるのは嬉しいです」
ライヤが言うと、アルマスは少し安堵した表情を見せた。
そろそろ昼時が近付いているということで、二人はヒロの家へ戻ることにした。
ライヤたちと、ほぼ同時に、グイドとウィルバーも戻ってきた。
「二人も、集落を見て回っていたのか?」
「私は、住民たちの家を何軒か回っていたんだ」
ライヤの問いかけに、ウィルバーが答えた。
「ヒロ殿の傷を私が治療したことが知れ渡っていて、農作業などで怪我をした人たちにも治癒魔法をかけて欲しいと言われてね」
「無料で?」
グイドが、ウィルバーの顔を覗き込んだ。
「もちろんさ。この集落で世話になっている訳だし、私としては、大したことではないからね」
ウィルバーは、屈託なく笑いながら言った。
「まったく、人のいいことで。そういや、アルと嬢ちゃん、何か深刻そうに話してたみたいだが、解決したのか? 余計な口出しはしないほうがいいと思って、声をかけなかったけどさ」
「えっ……ああ、大したことではない」
グイドの思わぬ方向からの問いかけに、ライヤは一瞬焦ったものの、曖昧に笑って何とかやりすごした。
「……ちょっと気になる情報を聞いたんだが」
急に、グイドが真顔になった。
「少し前に、やはり、この集落を経由して森の奥へ向かった冒険者の一行が何組かいたらしいんだが、まだ戻ってこないと気にしている住民がいてな」
「帰りは、たまたま、この集落に寄らなかっただけでは? もしかしたら、遭難してしまったとか……」
アルマスが、首を傾げて言った。
「一組くらいなら、そうかもしれない。しかし、どうも柄の悪い連中がうろついてるらしいって話もあって、それと考え合わせると……」
「もしかして、遺跡で何か金目の物を見付けて出てきた冒険者を襲う者がいる……ということかな?」
言って、ウィルバーが眉根を寄せた。
「その可能性は大きいぜ。どこの世界でも、美味しいところだけ持っていこうとする下衆野郎は存在するからな。一番油断がならないのは、野生動物より人間ってことだ」
グイドが肩を竦めた。
「我々は、その為の護衛でもあるということか。気を引き締めなければいけないな」
ライヤは、アルマスの横顔を見上げて、頷いた。
翌日、ライヤたちはヒロの集落を発った。
広大な森の中、二つほど別の集落を経由し、いよいよイサクが目的地とする遺跡に最も近い集落へ、彼らは近付いた。
「なぁ、休憩させてもらった集落で食糧庫が荒らされていたって話があったよな」
森を歩きながら、グイドが口を開いた。
「あまり考えたくないが、例の『ならず者』たちが、俺たちと同じ経路で移動してるんじゃないか?」
「動物の仕業の可能性もあるが……」
グイドの言葉を聞いて、イサクは何か考えているようだった。
「もし、人間の仕業としても、食糧庫の被害から考えれば相手は大した人数ではないでしょう。返り討ちにしてやりますよ」
ライヤは、不安を振り払うように言った。
「そうだね、ライヤは、何人もの野盗たちを軽くあしらっていたからね。でも、何かあったら、僕も頑張るよ」
「それは頼もしいな」
アルマスの言葉に、イサクが微笑んだ。
「そろそろ集落が見えてきますよ。もう少し、頑張ってください」
先頭に立って歩いているヒロが、一行を振り返って言った。
その時、ライヤは自分たちを見つめる何者かの視線を感じた。
ヒロも狩人としての勘が働いたのか、足を止め、ライヤたちにも止まるように身振りで伝えた。
「誰かいるのか!」
周囲を見回しながら、ヒロが言うと、周囲の藪が葉擦れの音と共に動き、島の住民と分かる服装の若い男が現れた。
その手に握られた弓には矢が番えられていたが、彼はヒロの顔を見ると手を下ろし、攻撃の意思がないことを表した。
ヒロと男は、ライヤには分からない言葉で何やら話している。
「失礼した。大陸から来た奴らが悪さするから、お前たちも同じと思った。すまない」
男が、少し拙い共通語でライヤたちに詫びてきた。
彼が藪に向かって声をかけると、手籠を持った若い女たちが三人ほど出てきた。彼女たちは一様に不安げな様子を見せていたものの、若い男が話しかけると、わずかだが、その表情が和らいだ。
「彼は、集落から出て果実を集める女たちの護衛をしていたのです。皆さんに敵対するつもりはありませんから、大丈夫です」
ヒロが、ライヤたちに説明した。
「もしかして、グイドくんが言っていたことが現実になってしまったのかね」
イサクが、渋い顔で言った。
――冒険者同士だけならともかく、住民にまで迷惑をかけるとは……
ライヤは、住民たちを脅かしているらしい「ならず者」たちに憤りを覚えた。
「まずは、集落へ行きましょう」
ヒロに促され、ライヤたちは集落への道を急いだ。