島の集落にて
何度か休憩を挟みつつ、ライヤたち一行は、日が暮れる前にヒロの集落へ到着することができた。
人の住居である小さな家々の周囲には、何かの作物を栽培している畑があったり、家畜小屋や柵が設けられていて、一見すると農村のようだ。
物珍しさで集落を見回していたライヤに、ヒロが言った。
「昔は主に狩りや野生の植物を採って生活していたんですが、この辺りでは、大陸から農業や家畜を育てる文化も取り入れているんです。収穫したものを街の市場で売れば、現金が手に入りますし」
「大陸から渡ってくる人が増えて、環境が変化しているんですね」
「そうです。品種改良した作物は旨いし、家畜を育てていれば、狩りに頼るだけだった時代よりも食べ物を安定して手に入れられます。現金があれば、自分たちで作れないものを街で買うこともできる……俺は、暮らしやすくなる為の変化は良いことだと思っています」
ライヤは、ヒロの言葉に、もっともだと頷いた。
「奥地の集落では昔ながらの生活をしていて、現金が意味を持たないんだがね。何か欲しいものがあれば、物々交換さ。香辛料や砂糖、煙草などが喜ばれるから、準備してあるよ」
イサクが、そう言うと片目をつぶってみせた。
外から来る者が珍しいのか、ライヤたちの姿を認めた住民が、集落の入口へと集まってくる。
住民たちはイサクと顔馴染みになっているらしく、集落に入った一行を警戒する様子も見せずに迎え入れた。
「そういえば、獲ってきた熊は、どこに置けばいいかな?」
アルマスが、ヒロに問いかけた。
「じゃあ、とりあえず、その辺りに出してもらえますか。皆で分けますので」
ヒロに指定された場所に向かって、アルマスが呪文を詠唱すると、虚空に開いた黒い穴から、獲ってきた熊が姿を現した。
その様を見ていた住民たちの間から、驚きの声が漏れる。
「ああ、この島の人たちは魔法を嫌っているんだっけ。不味かったかな」
はっとしたように、アルマスが呟いた。
「街に近い集落では、それ程でもないので大丈夫ですよ。自分たちが使うことは、ありませんけどね」
ヒロの言葉に、アルマスは、安堵した表情を見せた。
そうこうしているうちに、住民たちが手分けして、熊を解体し始めた。
「アル……様、住民の方たちも嬉しそうです。熊を持ってきて良かったですね」
「自分がしたことで喜んでもらえると、嬉しいね」
ライヤとアルマスは、互いに微笑み合った。
熊ほどの大きな獲物は滅多に手に入らないのだろう。住民たちは喜びを隠そうともせず、賑やかに話しながら手を動かしている。
「人が通る道の近くに出るとは……我々も出かける時は注意しなければ」
「縄張り争いに負けて、餌場を失った熊が、食べ物の匂いに釣られたのかもしれないな」
「ヒロ、これは仕留めた者のものだ」
住民の一人が、熊の腹の中から取り出した胆嚢を差し出した。
「いや、こいつを仕留めたのは、この人……アルさんだ。だから、胆嚢は、彼のものだ」
ヒロが言うと、住民は目を丸くした。
「そんな細い身体で熊と戦うなんて凄いねぇ」
「いや、魔法でとどめを刺しただけだし、僕一人では無理だったと思う……」
血の滴る胆嚢を差し出されたアルマスは、若干顔を引きつらせている。
「そのまま渡されても困るでしょう。俺が乾燥などの処理をして、後でお渡ししますよ」
アルマスの様子を見たヒロが、助け舟を出した。
「熊の胆嚢は薬として高価で取引されるそうですから、仕留めた者に所有権が生じるのでしょう」
「そういうことか」
ライヤの言葉に、アルマスも納得したようだ。
「あら、あなた、服の背中が破れているじゃないの」
三十歳前後に見える一人の女が、ヒロに駆け寄った。
「ああ、この熊に引っかかれてな」
「えっ! 怪我は無いの?」
「怪我はしたけど、この人の治癒魔法で治してもらったんだ」
ヒロが、そう言ってウィルバーを見た。
「まあ! うちの人を助けていただいて、ありがとうございます!」
女は、ウィルバーに向かって何度も頭を下げた。
「いえ、大したことではありませんよ」
そう言いつつ、ウィルバーも嬉しそうな顔をしている。
「その人、ヒロさんの奥さんかい?」
「はい、私の妻です」
グイドに尋ねられたヒロが、少し照れ臭そうに答えた。
「いい奥さんみたいだな。大事にしなよ」
「もちろんです」
二人が笑い合っているのを眺めていたライヤは、グイドの笑顔に、普段の、どこか皮肉なものとは異なる、柔らかな雰囲気を感じた。
一行は、ヒロの家へと招かれた。
夕食の準備ができるまで待っていてくれと、ライヤたちは、家族が過ごす部屋とは別に作られた、客用の部屋に案内された。
板張りの床には卓子のようなものは置かれているものの、椅子はなく、代わりに、厚めの敷物が敷いてある。
「はぁ……脚どころか身体中が棒みたいだ」
各々が敷物の上に腰を下ろすと、アルマスが呟いた。
「アルくんは、ちと運動が足りんようだな。なに、若いから毎日歩いていれば鍛えられるさ。本を読んで覚えるだけが、学問ではないからね」
そう言って、イサクが快活に笑った。
ふと、ライヤは、部屋の出入り口から小さな男の子が顔を出しているのに気付いた。
ヒロと、その妻によく似た顔立ちから、彼らの子供と思われる。
「おや、ケコアじゃないか。こっちにおいで」
イサクが声をかけると、ケコアと呼ばれた男の子は小走りに彼へ近付いて、その膝に遠慮なく腰掛けた。
「この子は、ヒロたちの息子だよ。はは、ずいぶんと重くなったなぁ。幾つになったんだっけ?」
イサクに聞かれたケコアは、右手を広げて見せた。
「五歳、と言いたいのかな」
ウィルバーの言葉に、ケコアは頷いた。
幼子の可愛らしい仕草に微笑むライヤを、突然ケコアが指差して言った。
「アイナ! アイナみたい!」
「そうか、そうか……アイナというのは、この島の伝説に登場する美しい女神の名さ。ライヤくんが、アイナのように綺麗だと言っているんだね」
イサクの解説を聞いて、ライヤは赤面した。そんな彼女を見たケコアは、にこにこと笑っている。
「チビのくせに、なかなかの女たらしじゃないか。アル、うかうかしてると負けちまうぞ」
「ええ……??」
隣に座っているグイドに肘で脇腹を突かれ、アルマスは目を白黒させた。
と、ケコアが立ち上がり、ライヤの手を取った。
「こっち、きて」
そう言うケコアに軽く手を引かれたライヤは、彼に付いていくことにした。
ケコアは客間の隣の部屋へライヤを引っ張っていった。
部屋の隅に置かれた、大きな籠の中には、一頭の白い犬が寝そべっている。
その周りでは、やはり白い子犬が三頭、じゃれあっていた。
――小さくて白くて、ふわふわしてて……見ていると胸の奥がうずうずしてくる……
「これを見て欲しかったの?」
ライヤが聞くと、ケコアは満足そうに頷いた。
「へぇ、生まれて一月経つかどうかってところだな」
いつの間にか、ライヤの後ろに来ていたグイドが呟いた。
アルマスとウィルバー、イサクの姿もある。
「その母犬は利口で勇敢な猟犬です。熊を相手にしても恐れず立ち向かっていきます。今は仔を生んだばかりなので、狩りには連れていけませんが」
ヒロの声に、一同は振り返った。
「あの、子犬に触っても構いませんか?」
ライヤが言うと、ヒロは籠の中から一頭の子犬を持ち上げ、彼女に渡した。
「今は小さくても、成長すれば立派な猟犬になりますよ」
両手に収まるほどの大きさしかない子犬の、ふわふわした毛並みと温もり、そして甘えるような鳴き声に、ライヤは心が蕩けそうな気がした。
「大人になった犬は、よく見ますが、子犬を見たり触ったりする機会は無くて……」
「今まで気付かなかったけど、ライヤは、動物が好きなんだね」
アルマスが、ライヤの肩に手を置いて微笑んだ。
「今まで見たことがないくらい、優しい顔をしてるもの」
「そ、そう……でしょうか」
今、自分が、どんな顔をしているのかと考えたライヤは、何とはなしに恥ずかしくなった。