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06話 深夜の晩餐での失態


──キィ──



 夜も深まった領主館の廊下に、扉の軋む音がやけに響く。



「……どうしよう……どこへ行けばいいのかさっぱりわからないわ……」



 目が覚めた私はすっかり途方に暮れていた。とりあえず廊下へ出たはいいが、どこに行けばいいのかわからない。


 館に到着した時は、あまりに疲れていたせいでここまでの道のりや説明を一切聞いていなかった。領主館はとても広く、また部屋数も多い。どこが誰の部屋かもわからず、行っていい場所かどうかさえわからなかった。



「夜も遅いし、人がいないのも仕方ないわね……」



 私がこの館の中で知っている使用人は、あの美しいクロヴィスという青年だけだ。だが、彼が普段どこに控えているのかも聞いていないし、夜遅くまでいるかどうかもわからない。



「う~ん……とりあえず適当に歩いて、誰かに会ったら聞いてみようかな」



 私はそう心に決めると、長い廊下を歩き出す。自分の部屋の場所だけは忘れないように、道順を覚えながら行こうと決め、ほんの数歩進んだその時──



「どうかされましたか?奥様」


「っ──」



 突然後ろから声を掛けられ、私は思わず悲鳴を上げそうになった。つい先ほどまで音も気配も何も感じなかったのに、振り返ればそこにはあのクロヴィスが、妖艶な笑みを浮かべて立っていた。



「部屋に備え付けのベルを鳴らしていただければ、すぐに向かいましたのに。このような時間に何か御用でも?」



 そう言って、恭しい態度と笑顔を崩さないクロヴィス。しかしどこかその笑みは鋭さを感じるもので、私は思わず半歩後ずさった。



「……その、さっきは疲れてしまっててあまり説明を聞いてなかったから……それで、こんな時間になってしまって申し訳ないけれど、領主様に挨拶をしなければと思って……」



 私の返答に、クロヴィスは僅かに目を見開いた。だがすぐにその表情の変化も、いつもの妖艶な笑みの奥に消えていく。



「そうですか。夕食時にお声がけをさせていただいたのですが、既にお休みになられていたようですので、そのままにさせていただきました。なので今日はもう旦那様のお時間は取れないかと」



 やはり随分と寝てしまっていたようだ。申し訳なさを感じつつ、私は次の予定を取り付けてもらうようお願いする事にした。



「それは申し訳なかったわ……明日また改めてご挨拶させていただきたいと伝えてもらえるかしら?」


「承知いたしました。後程、旦那様に伝えておきます。それから夕食は召し上がられますか?お部屋までお持ちいたしますが」


「……いただくわ。あと申し訳ないけれど、もう一度簡単でいいので知っておくべき事柄の説明をお願いできるかしら」


「かしこまりました。夕食をお持ちしましたら、その時にご説明差し上げます。では準備してまいりますので、お部屋にてお待ちください」


「……えぇ」



 私の要望をすべて聞き終えると、クロヴィスは一際妖艶な笑みをこちらへと向けた。それはとっとと部屋に戻れという意思表示のようで、私はその笑顔の圧力に耐えられず、仕方がないので来た道を戻る事にした。


 正直クロヴィスと話すのは、どこか緊張してしまう。終始笑顔で物腰の柔らかな青年なのだが、どことなく圧力を感じてしまうのだ。


 何となく気になって、ふと振り返るとクロヴィスはまだこちらをじっと見ていた。私はその視線が怖くなり、急いで部屋の扉を開けると、慌てて中に戻った。


 そわそわと落ち着かない時を過ごしながら部屋で待っていると、やがて扉を叩く音がした。



「クロヴィスです。お食事のご用意ができました。入ってもよろしいでしょうか」


「えぇ、どうぞ」



 私が返事をすると、すぐに扉が開けられ、食事のワゴンを押しながら美貌の青年が入ってくる。私は緊張と共に、彼が食事の支度をするのを見守った。



「メインは白身魚のムニエルで、香味野菜のソースがかかってます。こちらは、きのこと根菜のクリームスープで、ハーブサラダには、果物ベースのドレッシングがかかってます」



 クロヴィスが説明しながら並べてくれた料理は、どれも美味しそうで食欲がそそられる。意外な事に、歓迎されていないと思っていた館での食事は、とても豪華な物だった。納屋に放り込まれるのではという考えは、杞憂に終わりそうだ。



「美味しそうだわ。いただきます」


「どうぞ。ワインもございますがいかがなさいますか?」


「……今は大丈夫」


「かしこまりました」



 勧められたお酒は断った。良くない夢を見る時は、お酒の力を借りる事の多い私だけど、流石に嫁ぎ先に来た初日までお世話になるのは気が引けた。



「ん……美味しい……」



 早速料理を口に運べば、思わずその美味しさに感嘆の声が漏れてしまう。ハッとして側に立つ青年を見上げれば、思いのほか柔らかな眼差しと視線がぶつかった。



「それはようございました。料理人も喜びます」


「……えぇ、とても美味しいわ。ここの料理人は素晴らしい腕前ね」



 事実、あまりの美味しさに手が止まらなくなる。心なしか、私の食事を見守るクロヴィスの態度もどこか柔軟に思える。いつもの圧の強い笑顔ではなく、ごく自然な微笑み。その事に私は酷く安堵していた。


 実はこうやって従者に見守られながら食べるのは、あまり得意ではないのだ。どうしても嫌な思い出が脳裏をチラついて気分が悪くなる。


 そんな事を考えていた時、クロヴィスがふと気が付いたように声を掛けてきた。



「スープはお気に召しませんでしたか?」


「っ──」



──ガシャン──



「あっ……!」



 クロヴィスの言葉に過剰に反応してしまった私は、スープ皿に手を引っかけてしまい、中身を少し零してしまった。



「大丈夫ですか?!奥様!」


「ご、ごめんなさい……」


「すぐに片づけますので、どうぞそのままで」



 クロヴィスは、私に怪我がない事を確認すると、すぐに零れた皿を片付けて布巾で汚れを拭き取った。


 しかしそんなクロヴィスの冷静な対応に反して、私はとんでもない事をしてしまったと恐怖におののいていた。耳の奥に、あの男の持つ鞭の音が聞こえてくる気がして、ガタガタと体が震えだす。



「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい」


「──奥様?」



 明らかに私の様子がおかしい事に気が付き、クロヴィスが食器を片付ける手を止めて、こちらを見た。そしていつもの柔和な笑みを歪め、こちらへと手を伸ばす。その姿は記憶の中のあの男と重なって見えた。



「ぅっ──」


「奥様っ!?」



 恐怖に耐え切れなくなった私は、椅子を倒すほどの勢いで席を立ち、浴室へと駆けこんだ。そして倒れ込むように跪くと、浴槽へと胃の中のものをぶちまける。



「うぇっ……げほっ……ぅぅ……」



 吐く物が何もなくなっても気分の悪さは収まらない。折角の料理を台無しにしてしまった事への罪悪感と、とんでもない失態を犯してしまったという後悔とで、私はすっかり混乱してしまっていた。



(あぁ──ここはまだあの屋敷の中なのだわ……)



 ぐるぐると目の前の世界が歪み、私を押しつぶそうと迫ってくる。激しい頭痛と眩暈に襲われ、視界が反転して私はその場に倒れこんだ。


 視界の端には、慌てて駆け込んできた銀髪の美丈夫の姿。けれど既にそれが誰だか私には思い出せない。



「大丈夫ですか?!奥様!」



 悲鳴のようなその声を聴きながら、私はそのまま意識を手放したのだった──


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