05話 やって来た悪女(バルト目線)
イストニア王国の辺境の地アルデリア。そこの領主館である通称アルデラン城の一室で、一人の男が、精悍なその顔を歪め、大きなため息を吐いていた。
男の名は、バルトロメイ・イラーセク。このアルデリア領を治める辺境伯である。
「もう部屋に案内したのか?」
「はい。館の案内をと思いましたが、すぐに部屋に向かいたいと言われましたので。色々ご説明をするつもりでしたが、部屋に着くなりあっという間に追い出されましたよ」
「……そうか」
俺は、一人でこの館にやって来た花嫁の様子を、従僕のクロヴィスからの報告で聞いていた。俺自身で会いに行くつもりはない。何せ花嫁であるマリアン・オールドリッチとの結婚は、非常に不本意なものであったからだ。
花嫁の父親であるオールドリッチ男爵は、辺境伯である俺と比べれば、爵位はかなり低い。だが、金に物を言わせてあちこちに土地を持っており、最近このアルデリア領の隣の土地を買い上げ、そこを治めるようになったかなりのやり手だ。
だが何も新興の成金貴族だからという理由で、俺は彼を嫌っているわけではない。オールドリッチ男爵は隣の土地を治め出すと、あろうことかこのアルデリア領へ向かう街道に関所を設けると通達してきたのだ。
辺境伯として国境線を守っている我が領にとって、国の中心へと続く街道交通は言わば生命線だ。そこに余計な関を設けられて物資の調達が滞れば、それこそ国防に差し障る。男爵にそう抗議したものの、中央の高位の貴族と懇意にしているのか、別のところから圧力がかかってしまい、どうにもならないところまで追い詰められてしまった。
交渉を重ねたものの、結局男爵の娘であるマリアンを娶るという形でしか、この問題を解決できなかった。しかも結婚の支度金と称して、多くの金銭まで要求されたのだからたまったものではない。
「一応花嫁という形で娶ったのだから、関所の話は無効だ。だが、今度は娘を使って更に余計な要求を上乗せしてこないとも限らない。十分に警戒を怠るなよ」
「勿論です。お付きの侍女も、ベテランのイライザをつけますし、他の者達には、極力接触しないようにと伝えてあります」
「そうか……だが、あのマリアン・オールドリッチだ」
「……えぇ、そうですねぇ……」
俺が、この結婚に不満を持っているのは、何も父親のオールドリッチ男爵の事だけではない。彼女自身が非常に評判の悪い女なのだ。
マリアン・オールドリッチと言えば、王都の社交界では知らぬ者はいないほどの悪女。誰とでも寝るような女で、男に金銭や宝石をねだり、立ち居振る舞いも優雅に見せてはいるが、品性に欠けているのが一目瞭然だ。
俺自身、何度か彼女を王都の夜会で見かけたことがあった。その姿は淑女とは程遠く、ごてごてとした派手な衣装に、けばけばしいほどの濃い化粧は下品そのものだった。そして鼻がねじ曲がりそうなほどの酷い香水の匂いを漂わせては、男と二人きりで休憩室に消えていくのが常であった。つまり彼女は、欲に塗れた最低の女なのだ。
「それにしても、随分あっさりと部屋に向かったんだな?お前が追い出されたって?」
俺は、花嫁を出迎えに行ったクロヴィスが、すぐに報告の為に執務室にやって来たことに驚いていた。
不本意な結婚をする羽目になり、俺は怒りのままに教会を飛び出し花嫁を置き去りにした。新婚の夫の態度としては最悪だろう。普通なら怒り狂って詰め寄られてもおかしくはない。ましてや評判の悪い彼女の事だ。絶対そうなると思っていたのに──
「えぇ、随分疲れた様子だったので、一人になりたかったのかもしれませんが……あまりにも素気ないものですから、逆にこちらが面食らいましたよ。聞いていた噂とは随分違う感じでしたので」
そう言ってクロヴィスは、美しいその顔を僅かに歪めた。
クロヴィスは男の俺が見ても、かなり美しい顔をしている。艶やかな銀色の髪と、アメジストの瞳。甘く整った顔立ちは、微笑めば妖艶な色香を漂わせ、この男の中身を知らない者であれば、あっという間にその美貌に惑わされてしまうだろう。だからこそクロヴィスを、花嫁の出迎えに向かわせたのだが……。
「もしかしたらマリアン・オールドリッチは、若い男は好みじゃなかったかもしれませんね。どうします?もっと歳のいった使用人をけしかけてみましょうか?」
美貌の男が、悪戯っぽい妖艶な笑みを浮かべて軽口を叩いた。いや、この男の事だから案外本気かもしれない。
「やめておけ。お前以外の使用人では、彼女の誘惑に負けてしまうだろう。家の者達を、あの女の毒牙にかけるわけにはいかない」
実際のところ、あの女がこの館でどのように動くかはわからない。油断のならない人物だからこそ、クロヴィスの美貌で惹きつけておきたかったのだが……。
そんな事をつらつら考えていると、こちらの内心を読み取ったのだろう。クロヴィスが更に悪い笑みを浮かべて口を開いた。
「まぁそうですねぇ……それよりも、旦那様ご自身が誘惑してみるのが早いのでは?従僕程度は歯牙にもかけない主義かもしれないですし」
「……よしてくれ。あんな節操のない女など勘弁願いたい……」
「ふふ……まぁ、この婚姻が続くようでしたら、いずれは素顔を見せなければならない時が来るでしょうし。そこは考えておいてもいいかもしれませんよ?」
「……そうなる前に絶対に追い出してやる……!」
俺はクロヴィスの言葉にへそを曲げながら、机の上に置かれた物に視線を落とした。そこにあるのは陶器のようにつるりとした質感の白い仮面だ。俺が結婚式の際につけていたもので、評判の悪い花嫁に素顔を晒さないようにする為の物だった。
自分言うのもなんだが、俺はそれなりに整った容姿をしている。妖艶な美貌を持つクロヴィスとは、また違った魅力だというのが周囲の評価なのだが、辺境伯という身分も上乗せされて、羽虫のようにたかってくる女がうじゃうじゃいるのだ。
そういう鬱陶しさを避ける為に仮面を着けて夜会に参加する事も多かったから、俺の素顔を知っている令嬢はここ最近ではほとんどいないだろう。そんな事情があったので、結婚については非常に消極的だったわけなのだが、今はその結婚相手の方こそが厄介になってしまった。
下手に俺の容姿が、マリアンの好みに合ってしまうと都合が悪いので、俺は彼女の前でも仮面を着け続けることにした。何故なら、彼女とは早々に離婚するつもりでいるからだ。
関所の取り決めについては、結婚した時点で今後一切関所を設けないという約定をオールドリッチ男爵との間に取り付けてある。契約書の中身に穴が無いように、法務官にも事前に確認してもらい、それは彼女との婚姻証明書にサインした時点で有効になった。
そしてその契約書は、離婚については言及していない。だから今この場でマリアン・オールドリッチと離婚しても、関所を設けないという契約は有効のままなのだ。
だが流石にこちらからの要請ですぐにでも離婚となれば、いくら辺境伯とは言え外聞がよろしくない。それにオールドリッチ男爵が、こちらの有責をネタにして更なる要求をしてくる恐れがあった。
だからこそ俺は、マリアンの前では仮面をつけ接触を減らし、なるべく向こうから離婚したくなるようにするつもりでいるのだ。
「なるべく穏便に、そしてさっさと彼女には出て行ってもらおう」
俺のその言葉に、クロヴィスも今度は真摯に頷くのだった。