42話 付きまとう過去
バルトロメイとの朝食を終えた私は、そこで聞いたとんでもない情報に恐れおののいていた。
(まさかこんな所までランバルド侯爵が追ってくるなんて……!)
後日訪れるというランバルド侯爵は、以前からオールドリッチ男爵の顧客として屋敷を訪れていた貴族だ。勿論その目的は、私にしか使えない能力にある。
(結婚してあの屋敷を出たら自由になれると思ったのに……どこまでついてまわるの?)
この辺境の地へと嫁いだことで、私の能力を知る中央の貴族達との関係は完全に絶たれたと思っていた。こんな遠くまでわざわざ足を運んでくるとは思わなかったのだ。それこそ目立つし、よからぬ噂を立てられかねない。
幸いな事に辺境伯であるバルトロメイは、中央の権力志向の者達とは繋がりがほとんど無く、実際に会って話をしてみればそういう輩を嫌悪するような誠実な人物だった。だからこそ安心していられたのに……。
(でも体調を理由に会わずにいてもいいって言ってくれた……私が侯爵に会いたくないのをわかっているんだわ)
けれど私と侯爵の関係がどんなものかまでは、わからなかっただろう。いかがわしい関係を疑われて、あえて会わせないようにしている可能性もある。
(いずれにしろ、もうあまり時間が無いという事ね……)
私は全てを終わらせる覚悟を決めなければならない時が、もうすぐそこまで来ている事をひしひしと感じていた。
────────────
その日の午後──
「本当に大丈夫ですか?奥様」
クロヴィスが心配げに声を掛けてくる。そこにはいつもの完璧な笑顔ではなく、少し不満そうな表情が窺えた。けれどそれは私の体を心配してのことなので、以前より怖さは感じない。
「えぇ、こないだみたいなことにならないように気を付けるから、お願い」
「……かしこまりました」
不服ながらも了承してくれたのは、乗馬の練習だ。前回落馬してしまったので、周囲からはかなり反対されたが、どうしてもとお願いして何とかもう一度やらせてもらえることになったのだ。
「しかしあまり無理はしないでくださいね。旦那様も心配されておりますので」
「気を付けるわ」
既にたっぷり寝ているので体調はすこぶるいい。むしろ動かなかったせいで、体が重いくらいだ。
クロヴィスの指示の通りに馬に跨り、暫くは慣らすようにして歩かせる。そして徐々に速度と距離を伸ばしていった。
「いい調子ですね。コツを掴むのが想像以上に早いですよ。本当にこれまで乗馬の経験が無かったのですか?」
「えぇ。男爵家では教えてはもらえなかったから」
貴族令嬢であれば、乗馬も嗜みの一つであるが、オールドリッチ男爵は私に乗馬をさせることを頑として許さなかった。
乗馬は通常のマナーとは違い必須の技術でもなく、またそれを教える事で私に逃げる手段を与えるのを恐れていたようだ。だから私は、機会があれば乗馬を習いたいと思っていた。
元々孤児院ではその辺を走り回っていたし、木登りが得意なくらい運動神経は良い方だった。荷駄を運ぶロバの背に乗せてもらったこともあるし、そういった経験がコツを掴みやすくさせているのだろう。
「お上手です。その分でしたらあっと言う間に遠乗りも出来るようになりそうですね」
「ふふ、楽しい」
私は予想よりも早く馬を乗りこなすことができそうで、内心ほっとしていた。馬に乗れるということは、それだけ行動範囲が広がるということだ。それは自由を得る為の有効な手段を一つ手に入れたことになる。
気分が良くなった私は、クロヴィスに一つの提案をしてみた。
「このまま一人で買い物に出ても大丈夫かしら?」
「……馬に乗ってですか?」
「えぇ、ダメかしら?」
「……流石にそれは旦那様がお許しにはならないでしょう。距離もありますし、何より護衛の点からいって賛成しかねます。もし非常時に馬が暴れたりなどしたら、奥様では対応できないでしょう?」
「…………確かにその通りね……」
クロヴィスが淡々と私を諭す。その言葉のどれをとっても最もな理由の為、私は何も言えなくなってしまった。
「……もう少し馬に慣れて、旦那様の許可が出たらいずれ街まで行くこともできるかもしれません。それまでは練習を頑張りましょう」
「えぇ……」
いつもよりも柔らかな声音で励ますクロヴィスに、私は頷きを返した。彼の気遣いに心がほんのりと温かくなる。けれどその約束が果たせるまで自分がここにいられるのか、それを考えると虚しさを覚えてしまう。
私はその感情を胸の奥に押し込めて、ただひたすらに今やるべきことにまい進した。




