39話 侍女の怒り(バルト視点)
「……と言う風に奥様はおっしゃっておりましたが、旦那様?」
「……あ、あぁ……」
今の俺は、自分の母親と言っても可笑しくない年齢の侍女、イザベルに剣呑な目を向けられ凄まれている。執務室で遅くまで仕事をしていた所、イザベルが突然ものすごい形相で急襲してきたのだ。
「まさかここまで奥様が思いつめておられるとは思っておりませんでしたが……どういうことなのかお伺いしてもよろしいでしょうか?」
「う……それは……」
執務机を乗り越えんばかりの勢いで迫ってくる恰幅の良いイザベルに、俺は顔を引きつらせながらのけぞった。彼女は俺の言い訳など聞く間も無く、次々と責め立てる言葉を畳みかけてくる。
「私もまぁ暫くは隠居しておりましたから、奥様の輿入れの事情についてはあまり詳しくは存じ上げませんでしたが、まさか旦那様があのようなオイタをしているとは思いもしませんでしたよ?」
「いや……それがな……」
「結婚式の日は、お仕事の為に先に戻られたと聞いておりましたが、まさか花嫁を置き去りにしてくる事が、旦那様のお仕事だったとは信じられませんわ」
「……」
イザベルは、あれこれとマリアンに聞いたのだろう。結婚式当日にあまりに早く一人で戻った俺に、イザベルはどうしたのかと聞いてきて、俺はとっさに仕事があると言い訳したのだ。何故なら善良なイザベルが、真実を知ったら怒られるのが目に見えていたからだ。
「それについては、本当に申し訳なく思って……」
「そ・れ・に!いつまで奥様に素顔を隠していらっしゃるのですか?奥様は仮面をつけた貴方様に怯えてお過ごしですのよ?」
「そ、そうなのか?」
「えぇ!教会では置き去りにされたから、館に来ても入れてもらえずそのまま放り出されるのではと思われておりましたよ!部屋が用意されていて驚いたとも!」
「!!」
「そんな事情がおありだったので、部屋の前の護衛や、やたらと見張ってくるクロヴィスの存在に、部屋に監禁されるのではとも思ったそうで!」
「!!!!」
「でも奥様は『領主様は、私をお嫌いだから仕方ないの……』だなんて健気にもおっしゃって……そんな風にあの可哀そうな奥様に言わせているのですよ!旦那様!貴方様ご自身が!!」
「っ~~~~~~」
俺は次々と突きつけられる言葉のナイフに、最早瀕死状態だった。イザベルはそもそも俺の母の侍女であった為、俺に対して容赦がない。母が早くに亡くなってからは、彼女が母親代わりのようなものだったので、何か悪さをすれば当然のように怒られていた。
だが彼女から聞いた言葉の数々は、俺が心のどこかで感じていた罪悪感の原因を見事に明らかにしていた。そしてそれは想像以上に深い傷をマリアンに与えているのだと思い知らされた。
愕然と項垂れる俺を尻目に、イザベルはまだ叱り足りないのか憤然と話を続ける。
「旦那様が情けないものだから、折角心を開いた騎士のルティに対しても、もう会う事は無いでしょうしね!」
「な、なぜ?!」
俺はとんでもない言葉をイザベルから聞いて、堪らず聞き返した。すると一層厳しさを増したイザベルから、そんなこともわからないのかと睨まれる。
「マリアン様は、旦那様──つまりはこのアルデリア領の領主であるバルトロメイ様の奥様ですよ?そんな身分のお方が、ルティとかいう一介の騎士に心を寄せて、会いたいなどと言うと本気でお思いですか?あのマリアン様が!」
「いや……それは……」
俺はイザベルの言葉に、喜びと共に酷い焦燥を覚えた。
「……奥様がどのように噂されているのか、僅かですが聞きましたわ。けれどあの方が本当にそんなふしだらな方に、私は思えません。とても純粋で、気遣いのできる素敵な方ですわ」
「あぁ……」
「マリアン様ご自身は、恥ずかしいからと誤魔化してはおりましたが、ルティという騎士にはもう会わないとおっしゃってました。それが冷酷な夫に対する礼節でないと、貞節な妻の証でないとどうして言えますか?ましてやその騎士が当の冷たい夫の偽りの姿だというのに!!」
「……言葉もない……俺が間違っていた……」
俺は完全にイザベルの正論の前に屈した。俺は何度もマリアンに対しての態度を改めようと思い、ルティとして接する事で僅かでもそれが出来たつもりになっていた。しかしそれは所詮偽りの姿だ。バルトロメイとして真実の姿を仮面を付けずに晒したわけではない。そしてその上で謝罪をしなければ、何の意味もないのだと思い知らされた。
「このままでは、永遠に奥様の心を失ってしまわれますよ?早く全てをお伝えしてください。旦那様……貴方様はもう奥様の事を大切に思われているのでしょう?」
「…………あぁ……」
「それをお伝えしないでどうされます!天国の大奥様にも叱られますよ!」
イザベルが亡くなった母を引き合いに出してぴしゃりと叱った。彼女は本当に俺にどうにかして欲しい時は、そう言って諭すのだ。それは彼女なりの愛情の表れだろう。
俺は情けなく下がった眉を引き締めながら、イザベルに向き直った。
「…………本当に俺は情けないな……必ず伝えると誓う。真実をちゃんと」
「えぇ!そうしてください!今すぐにでも!」
鼻息を荒くしたイザベルだが、流石に今すぐにという言葉に俺は頷けなかった。
「すぐ……伝えるのは少し難しいかもしれない」
「何故です?どこに躊躇う理由が?」
じっとりと怒りを滲ませた目線を向けるイザベルに、俺は内心たじろぎながらもその理由を述べた。決して真実を伝えるのに怖気づいたわけではない。マリアンの事を心配しての正当な理由だ。
「……ランバルド侯爵の件が気になっていてな。侯爵の件が片付くまで彼女の心を乱すのは得策でないと思うのだ」
「まぁ……確か今度お見えになる方ですわね?その方はどういった御方で?」
イザベルは俺の口から出た人物の名に、怪訝そうな顔を見せた。
「オールドリッチ男爵と繋がりのある人物のようだが……館に来る理由も、マリアンに会う為のようだ」
「まぁ!まさか恋敵!!?」
イザベルが目を飛び出さんばかりに見開いて叫ぶ。
俺は、イザベルの中でランバルド侯爵があっさりと恋敵に変換された事に、怒りよりも拍子抜けした想いだった。俺自身、それが一番の懸念事項だったわけだが、他人の口から聞くとあまりしっくりこない気がする。
マリアンの実像を知った後で、彼女が恋人を大勢作るような人物には思えなかったし、ましてやあの口づけの時の、たどたどしい初心な感じは……とそこまで来て、思わず自分の淫らな思考に眉を顰める。誠実に対応すると誓った側から、俺は愚かな欲望を抱いているのだから救えない。だから咳払いを一つして誤魔化すように話を続けた。
「ただの恋敵ならばまだましかもな……そうでない場合、マリアンにとってもしかしたら思わしくない状況になる可能性がある」
「それは……どうすればいいのでしょう?」
イザベルは心底心配だという表情で問うてきた。彼女自身、マリアンの事を気に入っているのだろう。この館の女主人として、既に認めているのだ。
「まずランバルド侯爵の来訪をマリアンに知らせる。そしてできるだけどういう関係なのか予め聞いておかなければならない。そうでなければ対策もできないからな」
「わかりましたわ。私も出来る限り協力させてもらいます」
そう言って朗らかな笑みを浮かべるイザベルの瞳は、決意の炎に燃えていた。俺は心強い協力者を得て、これからの事を話し合う事にした。




