32話 再会の謝罪と思わぬ約束(バルト視点)
その日の午前は、俺は仕事に追われていた。先日から溜まっている仕事をこなし、マリアンの乗馬練習にはクロヴィスを行かせた。
本当は自分で行くつもりだったが、流石にクロヴィスに仕事をしろと釘をさされたのだ。それとアイツ自身、マリアンともう少し接してみたいとも言っていたので、それを許した。
午前中にかなり集中してこなしたので、午後にはある程度のめどがついていた。だがすぐに午後の予定が狂う事態を、クロヴィスがもたらしてきた。
「真面目にお仕事をされていた旦那様に、ご褒美がございますよ」
「……なんだ」
嫌味なほどの美貌をにやけさせながらクロヴィスが、そんな事を言う。コイツの事だからご褒美だなんて、碌なモンじゃないだろう。しかしそれは予想を裏切るものだった。
「奥様が先ほど、可愛らしいメイド姿でお部屋を抜け出したようです」
「っ──!!」
俺はすぐさま立ち上がり、執務室の入口へと走る。部屋の扉を乱暴に開閉する俺の背中に、クロヴィスの笑い声と共に更なる情報がもたらされた。
「北東の方へ行かれましたよ。どなたか騎士に会うつもりなんでしょうねぇ」
「わかった!あとは頼む!」
「えぇ、ご武運を」
俺はクロヴィスの情報を元に、騎士の詰め所へと向かった。北東の方角で思い当たる場所と言えばそこだ。先日ヴィヴィアンに案内した際に通った道順を思い出し、そこへと向かう。
そして俺は目的の人物を見つけた。
「ヴィヴィアン!」
「っ──」
俺がその名を呼べば、驚いたように肩をビクリと揺らし、ヴィヴィアンの歩みが止まる。俺は彼女を追いこして回り込むと、少し離れた場所で彼女の正面に立った。
「……ヴィヴィアン……こないだは、その……本当に悪かった……すぐに謝ろうと思っていたんだが……」
突然やってきた謝罪の機会に、うまく言葉が出て来ない。けれどそれ以上何と言えばいいか分からなかった。
彼女には本当の事を伝えていないし、彼女も俺に真実を伝えてはいない。そんな状態で、ヴィヴィアンにちゃんとした謝罪の気持ちが届いたのか気になったが、彼女は俯いていてその表情はわからなかった。
けれどこれ以上彼女を怯えさせるわけにも行かないので、近づくことができない。その身体に触れて、涙を流しているのならそれを拭いたいと思うのに、俺は今の自分と彼女との距離がもどかしくて仕方がなかった。
どう言葉を続けようかと悩んでいると、やがてヴィヴィアンが口を開いた。
「ルティ様……私の方こそ……逃げ出してしまってごめんなさい」
不甲斐ない俺の謝罪に、彼女の方から謝られてしまった。
(そんな事はない……俺の方こそ君に申し訳ない事をしたのに……)
口の中に苦い思いが広がっていく気がする。けれどそれを言葉にする前に、彼女が顔を上げた。
鮮やかな色彩を放つその翡翠色の瞳が、一瞬の揺らめきを見せる。けれどそれはすぐに掻き消えて、はっきりとした意志を持った声が、彼女の口から放たれた。
「あの、大丈夫です。私……気にしてませんから」
「っ──」
その言葉に、俺の心はまるで刃で抉られたかのように反応してしまう。ルティはただの騎士だ。彼女の夫でも恋人でもない。その自覚があるはずなのに、彼女の拒絶がとてつもない絶望をもたらすように思えたのだ。
震えそうになる手を握りしめ、何とか堪える。そして動揺を悟られないようにと声を掛けようとしたのだが、それは彼女に遮られてしまった。
「今お時間大丈夫ですか?ちょっと聞きたい事があって……」
「……あぁ……大丈夫だ」
ヴィヴィアンから聞きたい事があると言われて、とりあえず俺は彼女との会話が続いたことに安堵していた。
「それで聞きたい事とは何だ?」
「あの、騎士であるルティ様ならご存じかと思ったのですけれど、隣国の事なんです……ここ最近戦があったりとか、今後起きる可能性があるのかどうかが知りたくて……」
「……戦か……最近はそこまで大きなものはないな。確かに隣国との衝突は絶えないが、すぐに大きな戦になるというわけでもない。それに俺の……領主様の軍は精鋭ぞろいだから、心配する事はないさ」
ヴィヴィアンの意外な質問に、俺は正直に答えた。隣国との関係は微妙な所であるが、それでもすぐに戦が始まるというわけでもない。常に隣国の情勢は監視しているので、何かあればすぐに情報が入ってくる。
「そうですか……」
だが俺の返答を聞いた彼女の顔色は、優れないものだった。他領からこの国境沿いに嫁いできた彼女からすれば、戦のある無しは心配の種の一つだろう。だがそれ以上に、何か理由がありそうだった。
「どうしてそんな事を聞く?何か気がかりでもあるのだろうか?」
「……弟が……」
「え──?すまない、よく聞こえなかった。もう一度頼む」
俯きながら答えた彼女の言葉はあまりに小さくて、俺は聞き返した。しかし顔を上げた彼女は首を横に振って言った。
「……やっぱり大丈夫です。うまく説明できそうになくて……」
「だが……このままだと、むしろ俺の方が気になってしまう」
返答をくれないヴィヴィアンに、俺は続きを話してくれるように促した。すると俺の言葉がおかしかったのか、それまで硬かった彼女の表情に、僅かに笑みが浮かんだ。それがあまりに嬉しくて、俺はつい続く彼女の言葉に対してとんでもないことを言ってしまった。
「……あの、前線の砦ってどんなところですか?隣国には行けそうにないけれど、そこからなら隣国が良く見えるって聞いて、一度見てみたいなと思ってて……」
「なら連れて行ってやろう」
「え──?」
「俺が砦に連れて行ってやる」




