30話 虚構の真実(バルト視点)
「お待たせいたしました、ご領主様」
銀行の控室で待っていると、暫くして支配人のマクスウェルと、妻のマリアンが戻って来た。マクスウェルの表情を見るに、随分とご機嫌のようだ。
「奥様とは素晴らしい取引をさせていただきましたよ。今後ともどうぞご贔屓によろしくお願いいたします」
「……あぁ、滞りなく済んだのなら良かった。また頼む」
支配人に見送られ、俺たちは銀行を出た。ちらりと横を歩くマリアンに視線をやるが、彼女は俯いていてその表情はよくわからない。
(一体なんの取引をしたんだ……)
どんな取引内容だったのか気になったが、それを教えてくれるほどマクスウェルは優しくも愚かでもない。家族とは言え本人が望まない限りは、そう言う情報は秘匿されるのだ。
それにマリアン本人も教えてはくれないだろう。何せ俺の同席を拒んだのだから。
(だが……何かを売ったのは間違いないのだろうな、きっと)
俺は控室から出た時に見かけた人物の事でピンときていた。支配人室から金庫へと向かう鑑定人の姿があったのだ。
サガリアの銀行はそこそこ大きく、貸付や融資もしているから、鑑定人を専任で雇っている。だからその人物があの場にいたという事は、何かを売るかそれを担保に金を借りたのだろう。
(……だとしたら意外だったな……彼女がそんな事を……)
俺はこれまでマリアンを見てきて、すっかり彼女が噂の人物とはかけ離れた実像を持っていると思っていた。噂は噂に過ぎないのだと。
だが、ここへ来て彼女が俺に秘密で何かをしているという事が、どこか心に引っかかったのも事実だ。そしてそれに金が絡んでいるという事も。
(彼女の笑顔の奥に、金銭の事が関わっていると思うと、なんだか複雑だ……だが……)
──私があの家から持ち出せたのは、これだけですから……──
そう言って大事そうに鞄を抱えていた彼女が、多分その中身の物を金に換えたのだ。何か大切な思い出の品か何かだと思っていたのに、そうではなかったのだと衝撃を受けている自分がいる。
(いや、何もまだそうとは限らない。大切な物を泣く泣く金にしたのかもしれないじゃないか)
俺はどうしてもこれまで見てきたマリアンの姿が、噂通りではないと信じたくて、そう思い込もうとした。しかし──
「連れてきて下さってありがとうございました。ご領主様のおかげで無事に目的を達成できましたわ」
「っ──あぁ、そうか。よかったな」
すがすがしい笑顔でお礼を言うマリアンに、俺は噂と目の前の彼女と、どちらが本当の彼女なのか、わからなくなってしまった。
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館に戻った俺は、滞ってしまった仕事を片付ける為に、執務室に籠っていた。夕食も軽くつまむ程度で済ませた。そして今は、相変わらず息抜きと称して従僕のクロヴィスの軽口に付き合う羽目になっている。
「それでお出かけはどうだったんですか?奥様との仲、進展しましたか?」
「……よくわからん」
「気のない返事ですねぇ。何かあったんですか?」
呆れた様子でクロヴィスが問いかけるが、俺自身何と答えていいかわからない。それよりも今は気になっている事があった。
「銀行でちょっとな。それよりもオールドリッチ男爵を調べる件はどうなった?」
「以前調査していた者達をそのまま続けて調べさせています。まだ詳細はわかってませんが、少し気になる事が……」
「なんだ?」
「どうも奥様と旦那様の結婚は、あまり周囲に知らされていなかったようですね。一部の貴族が、わざわざマリアン様に会う為に男爵の屋敷を訪れて問題になったとか」
「まぁ、こちらとしても不本意な婚姻だったから、そこまで周囲に知らせてはいないが……だが屋敷を訪ねて問題になるとは……それが誰だかわかるか?」
「……それが、ランバルド侯爵ではないかと……」
「あの男が……?」
報告を聞いて、俺は思い切り眉を顰める。
ランバルド侯爵は、政治の中枢でかなり権力を持っている貴族で、街道の関所の件で介入してきた輩だ。そんな奴が、オールドリッチ男爵とマリアンの件で揉めたというのは、確かに何かあるとしか思えない。
「えぇ。他にも奥様を訪ねて男爵邸を訪れた者がいたそうですが……どうも以前からあった事のようで」
「以前から?」
「えぇ。何年も前から、度々密かに屋敷を訪れていたようですね。今回奥様が屋敷からいなくなった事で騒ぎになり、それでわかったようです。何の為に訪れていたのかは、まだ調査中ですので」
「そうか……引き続き調査を進めてくれ」
俺は今日過ごしたマリアンと、クロヴィスの調査報告を聞いて、益々彼女に関する謎が深まるのを感じていた。




