03話 領主館への到着
「着きましたよ」
「ん……」
それまでよりも大きな振動と、不機嫌そうな御者の声で目が覚めた私は、急いで身体を起こした。
想像以上に疲れていたのだろう。これから面倒な新婚生活を送らねばならないというのに、しっかり寝てしまっていたようだ。
これ以上御者の機嫌を損ねるのも面倒なので、身なりを適当に整えてから、私は自分で扉を開けた。どうせ御者はこちらに手を貸す気はないだろうから。
豪奢な馬車の扉を開けると、爽やかな風と昼下がりの優しい光が飛び込んでくる。
「っ──」
眩しさに目を細めれば、その先に大きな建物の影が見えた。暫くはその形と大きさしかわからなかったが、目が慣れてくればその全体像が見えてくる。
その建物は、灰色の石組みで作られ、貴族の屋敷と言うにはあまりにも物々しく武骨だ。まるで砦のような造りに、私は思わずその名を呟いていた。
「……ここが辺境伯領主の館……アルデラン城……」
一領主の館ではあるが、ここは国境を守る重要な場所。だから人々は畏敬の念を込めてアルデラン城と呼ぶのだ。館はまさにその名に相応しく、とても立派で威厳に満ちている。
壮健な姿に思わず見惚れてしまうが、横から突き刺さるような視線を感じて私は我に返った。
(そうだった……見惚れている場合じゃないわ……私はここでは歓迎されないのだから……)
気を引き締め直した私は、すぐさま馬車から降りようとした。足元を見れば、今度はちゃんと踏み台が用意されており、御者の現金な仕事ぶりに思わず苦笑する。
流石に領主館の前では、彼も仕事をさぼりはしないのだろう。既に屋敷から使用人の一人がやって来ていて、踏み台を降りる私に手を貸してくれた。
やって来た使用人は、輝くような銀色の髪に、アメジストの瞳を持ったかなり美しい青年。汚れ一つ無い真っ白なシャツと、身体の線にピッタリと合った黒の燕尾服を身に纏う姿は、まるで貴族のように洗練されている。
彼は私を馬車から降ろすと、すぐに従者としての恭しい礼を取った。
「ようこそ、アルデリア領の領主館へ。私は旦那様の従僕を務めさせていただいておりますクロヴィスと申します」
そう言って妖艶に微笑むクロヴィスは、とても普通の従僕とは思えないような色気を放ち、こちらに艶めかしい視線を向けてきた。
その何とも言えぬ態度に私は相手の真意を測りかね、距離を保つ為にわざと尊大な態度で突き放す。
「出迎えありがとう。すぐに部屋に案内してもらえるかしら?疲れているの」
「……畏まりました」
あえて笑顔一つ見せずに酷い態度で告げたのにも関わらず、そのクロヴィスという従僕は、特に嫌な顔をせずにすぐに従う。よほど訓練された使用人なのだろう。もしかしたら先ほどの妖艶な微笑みも、何か考えがあっての事なのかもしれない。
そんなクロヴィスの後ろについて領主館の扉をくぐれば、中には大勢の使用人がずらりと並び、一様に頭を垂れて出迎えていた。
「今はお疲れのご様子ですので、使用人たちの挨拶はおいおいさせていただきましょう」
歩きながら従僕のクロヴィスはそう言った。私はその言葉に無言の同意を示しながら、彼の後をついていく。途中で私が抱える荷物を彼が他の使用人に持たせようとしたが、私は自分で持つからと、それを断った。
玄関の広間を抜けて階段に差し掛かれば、ひそひそとした声が耳に入って来た。私が通り過ぎるまで頭を下げていた使用人達だろう。背中に突き刺さるような視線を感じながら、彼等が話す内容を想像して、またため息をつきたくなる。
(……どうせあばずれだの淫乱だのと、私に関する噂はそんなところでしょうね)
なにせマリアン・オールドリッチという人間は、見目の麗しい従僕の案内について歩くだけで、そんな不名誉な噂が流れてしまうような人物なのだ。最もそれは自業自得ではあるのだが、辺境の地にも知れ渡っているとなると、我ながらものすごい悪名の高さだなと妙に感心してしまう。
複雑な心境に苦笑していると背中に目でもあるのか、突然クロヴィスがこちらを振り返り、意味ありげな視線を向ける。それはこちらを気遣うような少し憂いを帯びたもので、その美しい容姿と合わされば間違いなく女心を掴むような眼差しだった。
「大丈夫ですか、奥様」
「……」
けれど全ての事に疲れ切っていた私は、クロヴィスの気遣いに返答をする気力もなく、意図せずに彼を無視してしまった。それでも彼は特に気にした様子もなく、その後は黙って部屋までの道のりを案内してくれた。
館は相当広いのか、かなり長いこと廊下を歩き、二階の一番奥にある大きな扉の前でようやく足を止めた。
そこで部屋の説明を始めてくれたのだが、疲れ切っていた私はその話をほとんど右から左へと流す。そして後はもういいからと言って、クロヴィスをさっさと追い出した。
ようやく一人になれた私は服もそのままに、目の前にあった大きな寝台へと身を投げたのだった。