29話 自由を得る為に必要なもの
「ご足労ありがとうございます。奥様」
「こちらこそ、面倒なお願いを聞いていただきありがとうございます」
「いえいえ、お客様のご要望にお応えするのが私たちの仕事ですので当然です」
にこやかな笑顔で迎えてくれたのは、もちろんこの支配人室の主、マクスウェルだ。彼に促され席に着くと、側にもう一人、壮年の男性が立っていた。
「こちらは当行の職員でギルバートと申します。勿論鑑定の腕は一流ですのでご安心を」
マクスウェルの紹介に、ギルバードが無言で頭を下げる。寡黙な雰囲気だから、これが彼の普通なのかもしれない。私もギルバートに軽く会釈を返した。
「よろしくお願いします。職員の方と言うことなら安心できますわ」
「えぇ、実はこういった事は珍しくないのですよ。専属の鑑定人がいる方が、お客様にも安心していただけますし。ところで早速品物を見せていただいても?」
マクスウェルが待ちきれないと言った風に鞄の中身を催促してきた。私は彼に頷きを返して、鞄を開けてみせる。
元々入れてあった衣類などは部屋に置いてきてあったので、今はほとんど中身は入っていない。ハンカチや少量のお金くらいが入っているだけなので、私はすぐに鞄の底板を外しその中身を彼等に見せた。
「おぉ……!これは……なんと素晴らしい」
「えぇ、本当に……こんな辺境の地ではなかなかお目に掛かれない物ばかりですよ」
中身を見たマクスウェルとギルバートは、驚きに目を見開く。審美眼が確かであろう彼等の反応に、私は内心安堵の息を漏らしていた。
鞄の底から取り出したのは、美しい宝石の数々だ。加工前の物や、既に加工され装飾品としての形をとっている物もあり、どれもかなり高価だ。それらは、文字通り私が血を吐く思いで手に入れた品々だった。
「……こちらを本当に売ってしまわれるのですか?」
「えぇ、持っていても仕方ありませんし。それにその……あまり他の方からの頂き物は残しておきたくないので……」
「……あぁ、なるほど。確かにそうですね」
私が言葉を濁せば、支配人はそれで納得してくれたようだ。勿論もらった相手は恋人でも何でもないし、しっかり対価を払って手に入れた物なので、正確には贈られたわけではない。しかしそこまで説明する必要はないので、相手の想像に任せることにした。
「これだけの品々でしたら、かなりの金額になります。すぐにご用意することは難しいですが、大丈夫ですか?」
「えぇ、今すぐ使う必要はないのですけれど、そのままの状態ではお店で買い物もできませんし」
「ははは。確かにおっしゃる通りですね。宝石は身に着ける物であって、買い物に使うには少々不便ですな」
「だから信頼のおける所で換金するつもりでしたの。こちらにお願いできて良かったですわ」
「恐れ入ります。鑑定はすぐに済みますので、お茶でもどうぞ」
宝石を一つ一つ丁寧に鑑定しているギルバートをよそに、私とマクスウェルはお茶を飲みながら他愛のない世間話をして時間を潰した。
(これで私自身が使えるお金を手に入れたなら……自由を得る為の第一歩になる)
マクスウェルと話しをしながらも頭にあるのは、その事ばかりだった。
私がどのようにしてこの宝石類を手に入れたのか。その事は世間には公にできない。もししたとしても、とても信じてはもらえないだろう。
端的に言えば、私はある能力を用いて一部の貴族達の欲望を叶え、これらの高価な品々を手に入れていた。貴族達は元々はオールドリッチ男爵の顧客たちだ。彼等は男爵家を訪れて、とあることを私に要求し、私はそれを断る事が出来ず、自分の身を削りながらその要求を叶えていた。
私はあの家では娘などではなく、事実上の奴隷だった。
元々男爵は、私を金を得る為の道具にするつもりで引き取っており、それでかなりの財を築いていた。そしてそれは私が、結婚してあの家を出るまで続けられた。
ひっきりなしに訪れる客を相手に、搾取され続ける日々。しかしある日私は思ったのだ。このまま搾取されるよりも、自分の自由の為に力を使うべきではないかと。秘密裏に金を手に入れれば、この生活から逃れることができるのではないかと。
そこから私は、自ら客を取ることにした。男爵家では監視がきつく、外に出るのはかなわない。だから男爵について出る夜会で客を見つけてそこで稼ぐことにしたのだ。
いつも私を見張っている従者の男は当然夜会には出られない身分だし、男爵は自分の社交で忙しくしていたから、顧客と姿を消しても問題なかった。
そうして客を取っている内に、やがて私が色んな男と寝ているという噂が飛び交うようになった。
元々私はマリアンになる為に、歳を誤魔化していた。本当の年齢はマリアンよりも4つも年下だ。だから年相応に見えるように濃い化粧をして、露出の多いドレスを着て大人の女性のふりをしていた。その派手な見た目のせいもあって、あっと言う間に卑猥な噂は真実として社交界に広まっていき、私は悪女の名を欲しいままにしていた。
けれど私は気にしなかった。悪い噂のせいで私と婚姻を望む声は無くなり、私の能力を知る相手に一生閉じ込められる心配がなくなったからだ。
だから私は、不名誉な噂をそのままに客を取り続けた。
力を使う対価を宝石にしたのは、その方が秘密裏に稼ぎやすいからだ。お金で受け取るよりもかさばらず、何より贈り物だと言って相手も渡しやすい。そうして受け取った宝石を、私は後々換金するつもりで鞄の奥に隠しておいた。もしオールドリッチ男爵に見つかっていたとしたら、酷い折檻の上に没収されていただろう。
そんな風にかつての苦い記憶に想いを巡らせていれば、鑑定が終わったようだ。
「終わりました。金額の明細はこちらに……」
ギルバートから鑑定結果を受け取ったマクスウェルが、内容を確認した後に改めて私へとそれを見せてくれる。
「中々いい金額になりましたね。でもそれだけの価値がある物ということです」
「まぁ、こんなに……ではそれでお願いします」
「かしこまりました。素晴らしい取引をありがとうございます、奥様」
そう言ってマクスウェルは、作ったばかりの口座の帳簿に金額を記載していく。私のこれまでの苦労の証は、結構な金額になっており、私はひとまずほっと息を吐いた。
(ようやくあの忌々しい宝石たちをお金に換えられたわ……)
「ではそろそろご領主様の下へ戻りましょう。あまり奥様を連れ出していては、嫉妬されてしまいますからね」
「ふふ、まさか」
「いえいえ、早く戻って差し上げましょう」
無事に取引が終わり、マクスウェルが上機嫌にそう言った。私も満足のいく取引が出来て、笑顔を返す。
確かに彼の言う通り、早く夫の下に戻った方がいいだろう。ここまでちゃんとした取引ができたのも、領主であるバルトロメイが一緒に来てくれたからだ。そうでなければ、これほど丁寧な待遇は受けられなかっただろうし、何よりいきなり現れた怪しい女に宝石を買い取ってほしいと言われてすぐに取引できるとも限らない。
宝石類は高値だが、あれだけの量を一気に買い取ってもらうのは普通は難しいのだ。質屋のような場所では足元を見られる可能性もあったし、何より初見では相手が信用できるかどうかも分からない。鑑定時に偽物とされて買いたたかれる可能性もあった。
だから私は銀行に直接取引を持ち掛けて、そのままお金を預ける方法を取った。そうした方が安全だからだ。そして領主夫人という身分のおかげで、正当な金額で取引してもらえたのだ。
(本当に彼と一緒にここに来たのは正解だったわ……私だけじゃうまくいかなかったかもしれない……)
私は改めて夫であるバルトロメイに感謝しながら、彼の待つ客間へと向かった。




