26話 夫とのお出かけ
結婚をしてから、初めての外出。一人であれこれ見て回ろうと思っていたのに、今の私は、何故か夫であるバルトロメイと一緒にいる。彼は、いい場所があると言って颯爽と私を連れ立って歩いていた。
「このサガリアは、アルデリア領で一番栄えている街だ」
「……確かに随分賑わってますね」
斜め前を歩く夫のバルトロメイが、心なしか誇らしげに街の説明をしてくれる。領主として自分の治めている街を紹介できるのが嬉しいのかもしれない。
「ここでなら君の用事も事足りるだろう。この土地の物だけでなく、各地の品物が集まる所だからな」
「……そうですね。色々と見てまわるのが楽しみです」
アルデリア領一の大きさを誇るこのサガリアは、近くを流れる大河に港を持つ交易都市でもある。街は多くの人や物で賑わっていた。そこに集まる物は、確かに見たことの無い物が多く、何か面白い物が見つかるかもしれない。
(けれどそう言う理由でここに来たわけじゃないのよね……)
自分の目的を改めて思い起こし、私は手に持った革張りの鞄を胸に抱きしめた。この中にはとても大切な物が入っているのだ。
するとその様子を見たバルトロメイが、私に声を掛ける。
「俺が荷物を持とう。そんな風にして歩くのは危ないぞ」
「っ──いえっ!大丈夫です!自分で持ちます」
私から鞄と取ろうとするバルトロメイの手を、慌てて避ける。彼が気遣ってそう言ってくれたのだとわかっても、やはり他の人の手に持たせる気にはなれなかった。しかし思い切り彼の好意を拒絶する形となってしまい、申し訳なさが募る。
バルトロメイは、伸ばしかけた手を握りしめて引っこめると、再び口を噤み歩き出す。
「……」
「……」
折角、街の様子などで弾んでいた会話も、そこで途切れてしまった。賑わう街の喧噪の中で、二人の間に横たわる沈黙がやけに重く感じられる。
そのまま私達は歩いて行き、暫くすると大通りから広場へと出た。中央には大きな噴水があり、人々の憩いの場になっている。そこでようやくバルトロメイが口を開く。
「……ここでなら店に入るより気軽に好きな食べ物を選べるだろう。広場の屋台は、サガリアの名物だからな」
「わ……すごい」
彼の言うように、広場にはたくさんの屋台が並んでおり、飲食できる場所も設けてあった。近づけば美味しそうな匂いが鼻腔をくすぐり食欲をそそる。
「これだけあると悩んでしまいますね……」
「……いくつかおすすめを買ってこよう。見えるところで待っていてくれ」
そう言うとバルトロメイは、あっと言う間に人混みを掻き分けて行ってしまった。丁度昼時だから屋台も随分と混雑している。大きめの荷物を持っている私を気遣って、自分が並びに行ってくれたのだろう。そう思うと、これまでの自分の態度の悪さに申し訳なくなってしまった。
(折角おすすめの場所に連れて来てもらってるのに、私って酷い態度だわ……)
好き合って夫婦になったわけじゃない。ましてや相手にとっては理不尽な理由で結婚せざるを得なかったのだ。そんな中でもここ最近の彼は、こちらへ歩み寄るような姿勢を時折見せてくる。けれどそんな彼の態度に、私は嬉しさよりも心苦しさの方が勝ってしまっていた。
(嫌われたままの方が良かったのかもしれない。このまま夫婦として普通に過ごしていくようになったら……私はどうしたらいいの?)
夫から私への気遣いを見せられると、どうしていいか分からなくなる。ルティを想う気持ちがありながら、その手を取っていいのかと思ってしまうのだ。
(……それに私はいずれここからいなくなる女……だから誰かを想ったり想われたりしてはいけないんだわ……)
そんな風にふと侘しさを覚えた時──
──ドンッ!!──
「きゃっ!!」
いきなり誰かがぶつかって来て、私は思い切り尻もちをついてしまった。痛みに顔を歪めながら見上げれば、既に相手はそこにおらず、嫌な気持ちのまま立ち上がろうとしてハッとした。
手に持っていたはずの鞄が無くなっていたのだ。
「私のっ……荷物!!」
すぐに周囲を見回して、鞄を持って逃げた相手を探す。きっとぶつかって来た人間は、最初から私の鞄が目当てだったのだろう。大した力も無さそうな女が相手だったら、人混みの中で強引に荷物を奪ったとしても、何もできないと思ったのかもしれない。
「返して!!」
私は人混みの中でこちらに背を向けて走り去る人物を見つけると、とっさに叫ぶと同時に走り出す。
しかし大した体力も無く、土地勘も無い私では相手にどんどん引き離されてしまう。人が多いせいもあって、あっと言う間に相手の姿は見えなくなってしまった。
「そんな……どうしよう……」
私は油断していた自分の愚かさを嘆くしかなかった。あの鞄には、大事な物が入っているのだ。ようやく自由に歩き回れる時が来て、それを生かそうと持って出たのに、あっと言う間に失ってしまった。
「あれが無いと私……」
息を切らしながら呆然と道の先を見つめる。広場から出ると、入り組んだ路地が視線の先に見えた。相手がどこへ向かったのか見当もつかず、ましてやその全ての道を走って探す体力は、最早私には残っていなかった。
「うぅっ……」
情けなさに涙が滲んでくる。あれを得る為に、これまでどれだけ辛い思いをして耐え忍んで来たか。本当の意味で自由を得る夢は、儚く一瞬で消えてしまったのだ。
(アーロン……ゴメンね。私、失敗しちゃったわ……)
立ち尽くし、零れ落ちる涙をそのままに唇を噛む。街ゆく人々がひそひそと話すのが聞こえたけれど、私にはどうでもよかった。みっともなく泣き続ける私は、その場に蹲ってしまいたいのを何とか堪えるのに必死だったのだ。
その時、俯く私の足元に大きな影が差した。
「マリアン!大丈夫か?!」
「っ──……!!領主様……」
呼ばれた声にハッとして顔を上げれば、すぐ目の前に夫のバルトロメイが立っていた。
「一人にしてしまってすまなかった……俺の責任だ」
「い、いえ……ぼおっとしていた私がいけなかったのです……」
見られていたのかと思うと、途端に恥ずかしさがこみあげてきて、私は慌てて俯いた。みっともなく蹲り、ぐしゃぐしゃに泣いている女など、妻として相応しくないと思われたかもしれない。
しかしその時、目の前のバルトロメイの手にある物が握られているのが見えた。
「それ……私の鞄……」
「あぁ、ちゃんと取り戻した。中身が無事か確認するといい」
「あ……ありがとうございます」
バルトロメイが、私に鞄を突き出し渡してくれる。私は嬉しさのあまり、思わず彼に抱き着くようにしてその鞄を持つ手を握った。
「っ──」
一瞬彼が息を飲み、僅かに後ずさる。けれど私はそんな彼の態度を気にかけることなく、鞄を自分の手に取り戻した喜びを噛み締めていた。彼から受け取った鞄を胸に抱きしめ、安堵の息を漏らす。
「よかった……」
「……そんなに大事な物なのか?」
「えぇ……私があの家から持ち出せたのは、これだけですから……」
「そうか……」
失いかけた未来への手段を取り戻し、ようやく私は目の前の夫に意識がいった。
「あ……本当にありがとうございました。犯人を追いかけてくださったんですね?」
「あぁ、君の悲鳴が聞こえたのですぐにな」
「でも、よく捕まえられましたね?すごい人混みで距離もあったはずなのに……」
バルトロメイが並んでいた屋台は、犯人が逃げた方向とは真逆だったはずだ。私より後に追いかけたのだとしたら、いつ私は追い抜かれたのだろう?そんな疑問が頭をよぎった時、彼がその答えを教えてくれた。
「あぁ、俺は身体強化の術が使えるからな。他にも使える魔術があるから、あんなのを捕まえるくらい何てことは無い」
「……そうなんですね。あの……捕まえた人は……?」
「あぁ、犯人は警邏に任せてきたから、何も気にする必要はない。治安が良いと豪語したのに、あんな目に遭わせてすまなかった」
そう言うとバルトロメイは、私に向かって頭を下げた。私は慌てて首を横に振る。
「そんな!いいんです!頭を上げてください!」
「だが……」
「私がこんなに目立つ荷物を持ってたのもいけないんです。危ないと言われていたのに……」
彼は荷物を持とうかと言ってくれていた。歩きにくいと言う理由の他に、こうなる事を懸念しての事だったのかもしれない。今更ながらにそれに気が付き、情けなくて俯いてしまう。すると──
「大丈夫だ……大丈夫。君のせいじゃない」
「っ──……」
バルトロメイの大きな手が、私の頬を包みこみ、優しく涙を拭ってくれる。そして何度も告げられる「大丈夫」という言葉は、動揺し乱れていた私の心を穏やかにしてくれた。
「もし君が良かったら、荷物を俺に預からせてくれないか?勿論嫌ならそれで構わない。俺がちゃんと守るから……」
「領主様……ありがとうございます」
頬に彼の熱を感じながら、私はバルトロメイを見上げる。つるりとした冷たい質感の仮面の奥にある瞳を見つめる。色も表情もわからないけれど、そこには彼の気遣いと優しさがあるように思えた。
「お願い……できますか?」
「あぁ……!勿論だ」
私の返答に、心なしか弾んだ声をする夫の姿に、私はじんわりと胸の奥が熱くなるのを感じていた。




