25話 縮められぬ距離(バルト視点)
俺は今更ながらに、自分のした様々な失態を後悔する羽目になっていた。
「ただ、名ばかりの妻である私に対してそこまでしていただくのが申し訳なくて……」
馬車の向い側の席にすわるマリアンは、確かにそう言った。自分を名ばかりの妻だと──
「っ──違う!……黙っていたのはそう言うんじゃない……そうじゃないんだ……」
俺はとっさに否定したが、それを聞いた彼女の表情が歪む。本当に今更すぎるのだ。
(何が違うだ。確かに俺は彼女をそういう風に扱ってきたじゃないか。結婚する前に会うこともせず、贈り物どころか手紙を出すことすらしなかった。教会には置き去りにし、屋敷の出迎えにも現れなかった。これでどうして名ばかりの妻ではなかったと言うんだ……)
俺は自分の情けなさと、彼女への接し方に悩み、どうすることもできずに頭を抱え込んだ。一瞬彼女が何か言いかけたような気がしたが、続きを促す勇気も無く、俺は情けなくもそのまま黙って時をやり過ごすことしかできなかった。
ガタゴトと揺れる車内で、時折仮面がずれて頬骨に当たる。その冷たい感触に、俺は未だに自分自身を彼女の前で偽り続けている事に気が付いた。
(そうだ……俺たちは、ちゃんと互いを知ることすらしていないんだ)
マリアンという人間を警戒するあまり、相手を真っ直ぐに見ると言うことをしなかった。そして自分を偽らずに知ってもらう努力すらしてこなかったのだ。
(いくらヴィヴィアンの姿で彼女の事を知ったような気になっていても、所詮はお互いに何も知らないんだ。どちらも偽りの姿しか相手に見せていないのだから……)
ルティの時に見せてくれたような笑顔は、今のマリアンには見えない。夫である俺の前では彼女はいつも少し俯いていて、その表情はどこか硬い。辺境伯としての俺自身では彼女を笑顔にできないのだと思うと、胸が抉られるような想いがする。
それに俺はルティとして彼女と接することも間違えてしまった。自分の欲望のままに彼女を傷つけ、怯えさせてしまった。きっと彼女はあの後、一人で泣きはらしたのだろう。目元が少し赤くなっている。
(俺が……泣かせたんだな……あんなことをして……)
そう思うと一気に昨日の出来事が、鮮烈な感覚と共に脳裏に蘇ってくる。甘美な口づけの味と、その後の酷い罪悪感と。
拒絶された事がとても悲しかったが、それは彼女が貞淑な女性である証拠に思えた。噂に聞いてたような悪女であったなら、あんな反応はしなかっただろう。ましてや只の騎士であるルティに対して、彼女はどこまでも素直で純粋に接してくれていた。
(そんな彼女を俺は欲望のままに貪ろうとしたのだ……)
自分が酷く醜い人間のように思えた。マリアンの噂を鵜呑みにして蔑み、その一方で自分の方こそ彼女を弄んでいたのだから。
(はぁ……俺の方がとんでもなく悪い男じゃないか……)
馬車が目的地に着くまでの間、俺はそんな自己嫌悪と罪悪感にひたすら落ち込み続けた。
やがて馬車が緩やかに止まり、御者から目的地への到着が告げられる。
俺はそれまでの情けない態度を挽回する為に、すぐに立ち上がり彼女をエスコートしようと手を差し出した。
「っ──」
しかしマリアンは息を飲んで僅かに体を引くと、手に持った荷物を抱きかかえるようにして両手を塞いでしまう。それは明らかな拒絶だった。
「…………段差があるから気をつけろ」
俺は彼女に拒絶されたことに心を痛めながら、それを気取られぬように何でもない風を装って手を引っ込め、先に馬車から降りる。
(ルティの時であれば、彼女は俺の手を取ってくれただろうか?)
そんな考えが頭をよぎる。妻を蔑ろにしてきた夫の姿では、決して彼女は心を開いてくれないのだと、自分がしてきた愚かな行動に憤りを感じ、手が痛くなるほどに拳を握り込んだ。
(だがもし、この仮面を外して俺がルティだと言ったら、余計に彼女に嫌われるかもしれない──)
マリアンに酷い事をした夫とルティが同じ人間だと彼女が知ったら、きっともうあの心からの笑顔は見られないのだろう。そう思うと、本当の事を話す勇気が出てこない。所詮俺は、意気地なしの情けない奴でしかないのだ。
そんな風に自己嫌悪に陥りながらも、俺は彼女の用事に付き合う為に、どこを回るか聞いた。せめて街の案内くらいは、彼女の役に立ちたいと思ったからだ。
「それでまずはどこから案内しようか?」
「……えぇと、とりあえず商店のあるところでしょうか。お昼も近いですし、何か食べたりとかも外でしようと思ってて……」
「そうか、ならいい場所がある。案内しよう」
俺はマリアンの提案に、内心ほっとしていた。食べ物に関してならいくつか美味い所を知っているから、彼女の気に入るのが一つはあるだろう。またそうやってあれこれ見ていくうちに会話が弾んで、少しでも彼女との距離が縮まればいいと思っていた。




