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02話 マリアンになった日 


 教会の控え室でシスター達に手伝ってもらい婚礼用のドレスを脱いだ私は、外へ出て馬車の待つ場所へと向かった。


 馬車のすぐ横では、御者の男が腕を組みながら苛々とした様子で立っている。待たされたことが腹立たしいのか、御者はこちらに気が付くと、チッと舌打ちをして面倒くさそうに御者台に上がった。その態度だけでこれからの生活が思いやられてくる。



(きっと領主様の屋敷の者達も、同じような態度なのでしょうね)



 私はうんざりとした気持ちになりながらも、それを表情には出さずに、自分で扉を開けて馬車に乗り込んだ。踏み台すら用意されない中で馬車に乗り込むのは大変だが、その辺の貴婦人と違う私ならば気にはしない。


 大事な荷物を腕の中にしっかりと抱えて乗り込むと、案の定、中には誰もいない。領主は私を待つことなく、馬に騎乗して帰ったのだろう。一人だけの車内にむしろ安堵を覚えた私は、その場に倒れ込むようにして座席へと座った。



(……やっと終わった……自由になる為の第一歩が……)



 あまりの疲労感にずるずると背もたれから崩れ落ちると、そのまま横たわる。思いのほか柔らかなクッションが、疲れた体を優しく迎え入れてくれた。目を閉じ息を吐けば、つい我慢していたはずの本音が零れ落ちてしまう。



「……このまま何もかも忘れてしまえればいいのに……」



 その虚しい呟きは、走り出した馬車の音に掻き消され、自分自身の耳にすら返ってこない。


 肉体的にも精神的にも疲れ果てていた私は、新居までの僅かな道のりを微睡の中に過ごすことを決めた。どうせ到着してからも気が休まらないのだろう。結婚相手であるあの領主の態度では、納屋にでも放り込まれるかもしれない。


 そんな虚しい覚悟をしながら意識を手放す。マリアン・オールドリッチという偽りの人生こそが夢であるようにと、そう願いながら──



────────────────



 私がマリアン・オールドリッチになったのは、10歳くらいの時だ。


 本当の名前は、ヴィヴィアン。苗字など無い。ただのヴィヴィアンだ。


 私はいわゆる孤児と言うやつで、当時住んでいた街の教会に併設された孤児院で暮らしていた。そこには他にもたくさんの孤児がいて、貧しいながらもそれなりに幸せに暮らしていた。


 そんなある日、あの男が孤児院にやってきたのだ──ヘンリー・オールドリッチ男爵、つまりはこのマリアン・オールドリッチの父である人物が。



「この子供を引き取ろう」



 貴族らしくでっぷりと太ったその尊大な男は、私を見てニヤリと笑うと、まるで店先の商品を選ぶように指さしてそう言った。


 孤児院では、時たまこうして引き取られていく子供がいる。しかし貴族の養子になれるなどそうそう無い事で、私の身に起きた事は、親のいない孤児たちにとってはまさに夢のような出来事だった。


 けれど私は、男爵に引き取られるのを拒んだ。何故なら私には血の繋がった双子の弟がいたからだ。



「アーロンと一緒じゃなきゃ行かない!」



 私は弟のアーロンと抱き合いながら、連れて行こうとする男爵の手を必死で拒んだ。


 けれど孤児院の院長も、手伝いのシスターも、皆私の身に起きたこの幸運を逃すまいと必死で諭し、男爵の味方をした。



「男爵がせっかく養女としてくださるのだから、我がままを言ってはいけませんよ」


「アーロンだってお姉ちゃんの幸せが大事でしょう?」



 勝手な解釈で、私達を引き離そうとする大人達。彼等の言い分は、私の幸せがアーロンと離れてただ一人、貴族の養女になる事だと信じて疑わないものだった。


 勿論私もアーロンもそれを否定した。たった一人、血の繋がった姉と弟だ。どんなに貧しくても二人で一緒にいたいと、そう必死で訴えた。


 けれどオールドリッチ男爵は、反抗的な私の態度に怒り、院長たちを責め立て始めた。



「これでは話にならない!引き取るのは一人だけだ!」



 烈火のごとく怒り狂う男爵に、院長とシスターは顏を青ざめさせて謝っている。その姿を見て、私達はそれ以上抵抗する事ができなかった。


 孤児である私達を、ここまで育ててくれた院長とシスターが、私のせいで怒り狂う貴族を前にして困り果てている。


 そんな問答が暫く続いた後に、最初に手を放したのは、アーロンの方だった。



「ヴィヴィは一人でも行くべきだよ。折角養子にしてもらえるんだから」


「アーロンっ!!」



 私はイヤイヤと首を横に振ったが、私よりも頑固な弟は言う事を聞かなかった。必死で強がって笑顔を見せて言うのだ。



「離れても僕らは姉弟だ。心の中ではずっと一緒だよ。だからヴィヴィ、僕の分も幸せになってね」


「アーロン……」



 私と同じ翡翠色の大きな瞳に涙を溜めて、精一杯強がって見せる双子の弟。その姿に、私はついに観念した。


 もう一度その小さな身体を抱きしめて、涙で掠れてしまう声を抑えながら、私は最愛の弟に伝えた。



「……絶対に、迎えに来るから……」


「……うん、僕も絶対に会いに行く……」



 しかし最後の抱擁はほんの少ししか許されず、私達は無理やり引き離されるとそのまま貴族の男が連れてきた侍従に担がれて馬車に乗せられた。


 あまりの急な別れに私は必死で暴れたが、大人の力に敵うはずもない。弟だけでなく院長や他の子達も慌てて私達の後を追ったが、無情にも馬車は走り出した。


 結局、あの男が来てから数刻も経たないうちに、私はろくな別れもできないままその孤児院を去る事になった。


 心を引き裂かれる思いでガラス窓に張り付いて外を見やれば、私と同じ赤い髪を振り乱したアーロンが、最後の一人になってまでも追いかけてくるのが見えた。


 必死でその姿を目に焼き付けようと見つめるも、走り去る馬車と子供の足では、到底比べ物になるわけもなく……。


 小さくなっていく弟の姿は、あっという間に涙の向こうに消えていく。それでも私は、弟の見えなくなった道の先をいつまでも見続けていた。



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