18話 イザベルの優しさ
「はぁ……」
「奥様、どうされたのですか?」
「ん……何でもないわ」
心配そうに見つめてくるイザベル。先ほどまでの楽しい時間を思い出し、ついため息を漏らした私は、何でもないと言って誤魔化した。
メイドの姿で部屋から抜け出た私は、午前中の時間を騎士のルティと一緒に過ごしていた。彼に案内された庭園は素晴らしいもので、つい時間を忘れてしまい、先ほど慌てて戻って来たのだ。イザベルがやってくる前に何とか着替えを済ませ、今に至る。
「まだ体調が完全ではなさそうですからね。お昼も軽めの物にしてありますよ」
「ありがとう」
イザベルの気遣いに申し訳なさを感じながらも、用意してもらった昼食に手を付ける。スープが苦手と伝えてあるので、それ以外の簡単な昼食だ。
「そう言えば、旦那様ですけれど」
「えっ?」
昼食を取り始めると、イザベルがいきなり夫である領主の話題をし始めた。思わず食事の手を止め、彼女を凝視してしまう。
「夕食を一緒にどうかとおっしゃってます」
「あぁ……夕食……」
思いもよらぬ提案に、つい沈んだ声を出してしまった。普通の夫婦であれば、夕食を一緒に取るのは当たり前だろう。けれどあんな結婚式をした相手と食事をするのは、酷く億劫だ。
そんな私の気持ちにイザベルも気が付いたようで、慌てて言葉をつけ足した。
「昨日は奥様がお疲れのようでしたし、体調のこともありましたから、旦那様も随分気にされていたのですよ。お身体が大丈夫そうなら、夕食をご一緒したいと。勿論無理は禁物ですので、断っても平気ですよ」
イザベルは、あくまでも私の体調が第一だと付け加えた。彼女は己の主が私のことを嫌っているのを承知の上で、これだけ気遣ってくれているのだ。その優しさに感謝しつつ、私は夕食の件を承諾した。
「わかったわ。体調は大丈夫そうだから、領主様に承知したと伝えてもらえるかしら」
「かしこまりました」
私の返答に、イザベルはホッとしたような表情を見せる。彼女としても、領主と私との間で板挟みの状態なのだろう。私などいずれ離婚するかもしれない相手なのだから、もっと意地悪く接してもよさそうなのに、彼女は人が良い。だからつい、あれこれ関係の無い話をしてしまっていた。
「イザベルは、結婚はしているの?」
「えぇ、5人子供がおります。もう全員成人してますがね」
「へぇ!凄いわ。5人も!」
「それはそれは大変でしたよ。子供たちにいつも怒ってばかりで。でも今は家の事はお嫁さんにまかせて、好きな事をさせてもらってますがね」
朗らかに笑うイザベルは、良い母親なのだろう。結婚した相手も、彼女をきっと愛しているに違いない。
「素敵ね……」
愛する家族に囲まれて笑っているイザベルが、とても羨ましい。それは私には得られなかったものだから。
(もし私に母がいたとして、それが彼女みたいな人だったら、どんなに良かったか……)
私と双子の弟のアーロンは、母を知らない。赤子の頃に孤児院の前に捨てられていたのだ。だから私にとっての家族とは、弟のアーロンと孤児院のみんなだけだった。
想像の中に思い描く母の姿は、イザベルのような人だ。温かく思いやりがあって、笑顔の素敵な人。きっと何か事情があって私達を育てられなかったのだろう。決して捨てたかったわけじゃないと、そういつもアーロンと語り合っていた。
(だけど現実は酷いものだったわ……)
孤児院から出て私が得られたものは、家族でもなんでもなかった。名前を変え別人となり、悍ましい暴力に怯えながら軟禁される日々。そして結婚相手には、欲望と打算の末に嫌悪の感情を向けられている。
自分には、イザベルのような幸せは手に入れられない。それをわかっていながら、心のどこかで求めてしまう自分がいる。
「ありがとうございます。奥様もきっと素敵な家庭を築けますよ」
「そんなこと……」
イザベルの言葉に、瞼の裏が熱を持つ。思わず涙が零れ落ちそうになって、私は顏を背けてそれを拭った。そんな私の姿を、イザベルは黙って見守ってくれていた。