16話 騎士ルティとの時間
「じゃあ行こうか」
「は、はい」
騎士のルティが、私の手を取り先を歩く。暫くそのまま歩いて行くが、その温かくて大きな彼の手は、私のそれをすっぽりと包み込んで放さない。
「あの…………」
「ん?」
「手……繋がなくても大丈夫です」
館を案内してもらうだけなら、手を繋がなくても十分だ。なのにルティは全然気が付いていないようで、何でもない様子でこちらを振り向く。そして漸く私の赤い顔と手を見比べて、手を握ったままの事に気が付いたようだ。
「っ……!……すまない」
「いえ……」
ルティが気まずげに手を放し、そのまま自分の頭をガシガシと掻く。彼の温もりが無くなってしまった事に、私は少しだけ寂しさを覚えた。
それでもただのメイドと騎士が、恋人同士でもないのに手を繋いでいるのは良くないだろう。ましてや私は、マリアン・オールドリッチだ。嘘を吐いて騎士と触れ合っていると知られれば、どんな噂をされるか分かったものではない。そしてそれはルティにも迷惑を掛ける事だった。
「はぐれないようについてきてくれ」
「はい!」
私はルティの斜め後ろをついて行く。彼は、私の歩調に合わせてくれているようで、ゆっくりと歩いてくれた。
ふと視線を上げれば、こちらを振り返った背の高いルティの琥珀色の眼差しと視線がぶつかる。私は頬に熱が集まるのを感じながら、なんだか恥ずかしくて顔を俯けた。それでも暫くすると、彼の事が気になってまた顔を上げてしまっていた。
(ルティは……すごく素敵だわ……)
私はそれまでに経験した事のない感情が、自分の中で生まれてくるのを感じていた。ふしだらだなんだと騒がれていた私だけど、実際は男性とこんな風に接したことなどほとんどない。ドキドキと胸が騒ぐのを感じながら、私はルティを見つめる。
ルティのフワフワとした髪は無造作に風に揺れ、陽の光に当たって濃い茶色が透けて輝いている。高い鼻梁と太い眉は、彼の精悍な顔立ちをより際立たせており、そこには意志の強そうな琥珀色の瞳があった。顔立ちだけ見ても、優美さと武骨さを兼ね備えた美しいものであるとわかる。
そんなルティは、騎士にしては所作がとても洗練されている。もしかしたら貴族なのかもしれないが、鍛え上げたその肉体は衣服の上からもよくわかり、騎士としての彼の努力が窺えた。思わずその厚い胸板の感触を思い出してしまい、体が熱くなる。
ルティは誰が見ても魅力的な男性だろう。あの妖艶な雰囲気のクロヴィスとは違って、武骨で実直な雰囲気のルティは、私にはとても好ましく思えた。
「折角外にいるから、先に庭園を案内しようか。今の時期は色んな花が楽しめるから、見ていて楽しいぞ」
「はい!」
振り返ったルティにそう提案された。私はそれが嬉しくて、笑顔で頷く。すると琥珀色の瞳が優し気に細められ、穏やかな時が二人の間に流れた。私はまた恥ずかしくなって俯いてしまうけれど、再び手に温もりを感じて顔を上げた。
「……庭園は足元が悪い所もあるから、やっぱり手を握っていた方がいい」
「……はい」
少しだけぶっきらぼうに告げられた言葉は、声音と裏腹に気遣いに溢れるものだった。手から伝わるその熱が、照れた彼の心情を現しているようで、何だか愛おしくなってくる。
胸の奥がムズムズするような感覚に、私はすっかり自分の目的を忘れてしまっていた。これから始まるルティとの時間に、期待に胸が膨らむ。
手を繋いだままルティに連れられて、薔薇のアーチの入り口をくぐる。低い木立で囲まれたそこは、中に入るとその華やかな香りが一層強まった。目にも鮮やかな色彩の花々が、競うようにして咲き誇っている。
「すごい……こんなに立派な庭園見たことないわ」
「あぁ、ここは辺境の地だが、庭師は腕のいいのを雇っている……らしい。前の領主夫人が、花が好きな方だったからな」
「そうなんですか……それにしてもすごい花の種類ですね。どれもとっても綺麗……」
思わず感嘆のため息が漏れてしまう。男爵邸でも、王都で訪れた他の貴族の屋敷でも、こんなに素晴らしい庭園を見た事はなかった。
派手にその美しさを主張しているのではなく、可憐で素朴さを残した庭園は、自然の美しさを切り取ってこの場にもってきたようで、どこか心落ち着く穏やかさがある。その優しい美しさは、マリアンとして辛く苦しい時を過ごしてきた私の心をも慰めてくれた。
「きっと……」
「ん?」
「きっと、前の奥方様は、この庭園のように素敵な方だったんでしょうね」
「っ──」
「優しくて温かみのある素敵なお庭……」
ふとそう口にすれば、心なしか手を強く握りしめられた気がする。
「……あぁ、そうだな。素敵な方だったよ」
しみじみと告げられた言葉。そこにある矛盾に私は何も気が付かず、美しい花々に目を奪われていた──