11話 無謀な脱出
地味なワンピースを身に着け、綿のエプロンとキャップを被り、使用人の装いをして部屋の扉を開ける。誰にも見つからず、こっそりと館を散策するつもりだったのだが──
「大人しくお部屋にお戻りくださいね、奥様」
そう言ってニッコリ笑うのは、美貌の青年クロヴィス。扉を開けてすぐに彼と鉢合わせてしまったのだ。
昨夜は廊下に誰もいなかったはずなのに、今扉の前にはガタイの良い護衛の騎士が立っている。そしてその護衛に何が言伝をする為に、クロヴィスは部屋の前まで来ていたのだろう。折角使用人の変装までしたというのに、あっという間に見つかってしまった。そして彼お得意の笑顔の圧力を受けている所である。
「何か御用がありましたら、私がうかがいますが?」
「いえ…………大丈夫よ」
全てを見透かしたような笑みで訊ねられて、私は顏が引き攣りそうになるのを必死で堪えた。曖昧な笑みだけを返して、そそくさと扉を閉める。
(……何でいるのよ!!)
黙って抜け出すのは悪い事だという自覚はあるのに、思わず心の中でクロヴィスに毒づいてしまう。しかし罪悪感を感じるよりも先に、扉の前で見張る護衛がいるという事実が、私を動揺させていた。
(このままじゃいけないわ……また閉じ込められるなんてまっぴらよ!)
嫌っているはずの相手に護衛までつけるなんて、寧ろ監禁しようとしているとしか思えなかった。そしてそうなる事を私はとても恐れていた。何せ私は、オールドリッチ男爵邸でも、軟禁状態だったのだ。
結婚して解放されると思っていたからこそ頑張ってこれたのに、この館の中でも以前と同じような環境に置かれるなど冗談ではない。
(こうなったら、何が何でも部屋の外に出られるようにしなくっちゃ)
そして私は、普段ならとても思いつかないような、とんでもない事を考えた。
「う~ん……流石に無理かしら?ちょっと高いな……」
目を細めて見つめるのは、階下に見える広い庭園。私は今、部屋に備え付けられているバルコニーからその下を覗いていた。
「シーツを繋いで、下まで降りるか……でも、外から見たらすぐばれちゃうし……」
部屋の前には護衛がいるから、抜け出すならバルコニーだと思って様子を見に来たのだ。しかし部屋は二階である。普通の民家なら何とかなりそうだったが、領主館は想像以上の高さがあった。
「身体強化の術でも使えればよかったんだけど……ちょっと無理かなぁ」
魔術によって身体機能を補助するのは、一般的な能力の使い方だ。けれどそれは誰もができるわけではない。
魔術の素養は限られた者しか発現しないし、どういう種類の術が使えるのかもまた人それぞれである。身体強化の魔術の素養があれば、平民でも騎士として大成する事も夢ではないが、残念ながら私にその才能は無かった。
「やっぱりシーツで縄を作るのが無難かしら……」
私は自分の能力に見合った手段を選択することにした。そこで階下までの距離をより正確に測る為、バルコニーから身を乗り出して下を覗きこむ。しかし──
「きゃっ!」
手すりの台座に足を掛けていた私は、足を滑らせバランスを崩して前に倒れてしまった。
(落ちるっ──!!)
アッと思った時には既に身体は宙へ投げ出されていた。恐怖に目を瞑り、落下のゾッとするような感覚に身を震わせる。
しかしその後にやってくるはずの衝撃は無く、何故か包まれるようなフワフワとした不思議な感覚を覚えた。
「……………………あれ?」
恐る恐る片目を開くと、バルコニーで見ていた時よりも視線が低い。すぐ近くに庭園の木立が見えているので、階下にいる事は間違いないようだ。どういうことなのかと不思議に思っていると、頭上から呆れたようなため息が聞こえてくる。
「こんな所で何をしている?」
「!!!」
想像以上に近い位置で人の声が聞こえてきた事に驚き、私は思わず体を起こした。
──ゴンッ!──
「痛って!!」
「痛ったぁ……」
今度こそ頭に鋭い痛みを覚えて、涙目になる。どうやら相手の顎に、丁度頭突きをする形になってしまったようだ。
「いきなり動くな!危ないだろう!」
「ご、ごめんなさい!」
腹の底に響くような低い声で怒鳴られ、ビクリと体が震えてしまう。よく見れば、私は相手の腹に乗るような形で男の人に抱えられていた。そのおかげであの高さから落ちても助かったのだろう。申し訳なさと恐怖とで、急激に涙が込み上げてきた。
「あの……大丈夫ですか?下敷きにしてしまって、本当にごめんなさい……」
「っ――……いや……大丈夫だ」
私が謝ると、その男性は気まずげにそう言った。
恐る恐る視線をあげれば、そこには見目麗しい一人の青年が困惑気味の表情で私を抱えていた。濃いこげ茶の髪が少しだけ乱れ、男性的なその美貌に何とも言えない色香をつけ足している。気まずげに背けられたその横顔さえも、思わず見惚れてしまうほどの美しい精悍な男性だった。
「……あの、本当に大丈夫ですか?痛かったら言ってください。怪我をしていたら私──」
本人は先ほど大丈夫だと言っていたが、落ちてきた私を助ける為に彼自身、背中から地面にたたきつけられたのだ。痛くないはずがない。
自分のせいで相手に怪我をさせてしまったかもしれないと思うと、酷い後悔の念に襲われる。
「いや、本当に大丈夫だ!何ともない!この通りぴんぴんしている!」
「そ、そうなのですか?……本当に?」
「あぁ、本当だ、本当に大丈夫だから!」
彼は何度も大丈夫と連呼しながら、あたふたと身振り手振りで怪我のない事を主張した。その必死な様子に、ようやく私も安堵の息を吐くことができたのだった。