10話 休息と言う名の疑念
翌朝、私が目を覚ますと、既にそこには侍女のイザベルの姿があった。
寝坊してしまったのかと思って驚きに目を瞠ると、彼女はにっこりと笑って「早めに来たんです」と気遣ってくれた。
昨夜は遅い夕飯を取り、それを吐き戻してしまったので、イザベルには酷く申し訳ないことをしてしまった。それでも明るく振舞う彼女を見ていると、心が安らぐのを感じる。
「奥様、朝食は食べられそうですか?無理なら時間を遅くするなり、果物だけとることもできますが」
「ありがとう……じゃあ、お言葉に甘えて果物だけもらえるかしら」
「かしこまりました。本日はそのままお休みください。まだ身体が本調子ではないかもしれませんから、部屋で休んでいるようにと旦那様がおっしゃってますので」
「え……領主様が?」
私はイザベルから告げられた領主の言葉に目を見開いた。彼は既に私の昨晩の様子を聞き及んでいるのだろう。
しかしその体調を気遣うような対応には、どこか違和感を感じてしまう。何せ私は彼に酷く嫌われているのだから。
「えぇ。館のご案内などは後日でも大丈夫だろうと。身体が慣れるまでの数日は、部屋で休んでいるようにとの事ですわ」
「……そうね」
「では早速朝食をご用意いたしますね」
「えぇ……」
そう言ってイザベルは退室し、一人残った私はため息を吐く。
「はぁ……きっと私を部屋から出したくないんだわ……体調が悪いのを理由に、今後一切部屋から出さないつもりだったらどうしよう……」
部屋でゆっくり休んでいろとは、一見とても優しい言葉のようだが、その裏にある思惑は明快だ。不本意な結婚をした評判の悪い悪女を自由に歩かせておくより、閉じ込めておく方が都合がいい──そういうことだろう。教会に置き去りにするくらいなのだから、そういう考えに至るのも頷ける。
「閉じ込められたりなんかしたら、やりにくくなってしまう……」
私が自分の目的を達成するには、ある程度の自由をこの館で確保しなければいけない。その為には相手を利用することも厭わないつもりでいたが、これほどまでに嫌われているとなると、邪魔をされかねない状況だ。
何せ領主であるバルトロメイとは、館に来てからまだ一度も会っていないのだ。結婚式の最中でさえ、相手は仮面を被ったまま碌に話しもしなかった。だから正直、夫婦と言うよりも、親の仇だと言った方がまだしっくりくる。
そこまで嫌う相手なのだから、領主が私を部屋に閉じ込めておきたいと思うのも当然と言えば当然だろう。だけど私は、そんな相手の都合に合わせる気など無い。
「そっちがその気なら、こちらだって考えがあるわ。この館にやって来てまで、籠の鳥でいる気はないんだから」
私は一人、顔も分からぬ領主への怒りを燃やしていた。
やがてイザベルが色んな種類の果物を持って来てくれて、その中からいくつか選んで簡単な食事を楽しんだ。
朝食を食べ終えると、イザベルは皿を下げ退室していく。そして部屋には私一人だけとなった。
休んでいるようにとの事だから、寝間着のままで着替えてはいない。けれどこのまま部屋に閉じこもっている気はなかった。
寝台から起き上がり、素足で絨毯を踏みしめる。毛足が長く質の良い絨毯は、とても心地が良く、この部屋が貴人の為に設えられたものだとすぐにわかった。視線を巡らせれば、朝の明るい陽射しの中に、豪奢な調度品の数々が並んでいるのが見える。今更ながらに自分がここにいることが場違いに思えてならない。
「まぁ、辺境伯夫人の為の部屋なのだから、豪華なのは当然か……でも何だかちょっと意外だわ。嫌いな相手でもそういう所はちゃんとしているのね」
そんな風に独り言ちながら、私はあたりを物色することにした。
「持ってきた荷物は……イザベルが片付けてくれたのかしら……」
昨日放りっぱなしにしていた手荷物が見当たらない。大きめの鞄だが、あの中には大事な物も入っている。いくら疲れていたとはいえ、放置するなんて余程昨日の自分は疲れていたのだろう。
暫く探した後、鞄は寝室の奥に備えられていた衣裳部屋のような場所に置いてあった。鞄の鍵はそのままになっており、誰も開けていないことを確認する。
「よかった……これが無くなってたら、これまでの苦労が水の泡になるところだわ」
私は安堵の吐息を漏らし、鞄を開けた。
中には着替えがいくつか入っている。それらを全て外へ取り出すと、部屋の中に誰もいないことをもう一度確認してから、鞄の底に手を付けた。
それは二重底になっており、特定の箇所を引っ張ると底板が外れるのだ。私は底板を少しだけ外して、中を確認した。
「……中は大丈夫のようね。後はこれを使えば……」
私は二重底の仕掛けをもう一度綺麗に直し、荷物を戻す。衣服のいくつかは、そのまま外に取り出しておいて着替えることにした。
選んだのは、一人でも着られるような地味なワンピースだ。どちらかと言うと平民が着るような形のもので、エプロンを着けたら使用人で通じるような見た目のものだ。
「髪を隠せば、気付かれずに動けるかもしれないわね。いざとなったら、迷子になった体で行きましょ」
どうせ元々の評判の悪いマリアン・オールドリッチだ。今更脱走という罪が増えた所で大したことはないだろう。
私は早速、使用人っぽく見えるように身なりを整えて、館の中を散策することにした。