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喋る本

作者: 雉白書屋

「ただいまー!」


 明るい声が家の中に響く。彼女は軽快な足音で階段を上がり、自分の部屋に入るとドアを閉め、ベッドに腰掛けた。鞄から一冊の本を取り出し、顔に近づけてすーっと匂いを嗅ぐ。そして、大きく息を吐いた。


「新品の匂い……最高」


「だよね」


「えっ!?」


 彼女は驚いて本を落としそうになり、わたわたと持ち直した。そして、少しの静寂のあと、一応の落ち着きを取り戻した彼女は問いかける。


「……今、喋ったよね?」


「うん、そうだよ」


「嘘……喋ってる……」


 彼女は驚きのあまり、口を開けたままベッドに倒れ込んだ。無理もない。本屋で買ったばかりの新品の文庫本が、どういうわけか話したのだから。


「え、と、なんで? どうして本が喋れるの?」


「んー、さあね。でも、君もなんとなく知ってるだろう? 一冊の本ができるまでには、たくさんの人が関わっているんだ。まず著者の方だね。編集者さんや、本の装丁デザインを担当するデザイナーさん。校正・校閲に印刷会社の方々と、その人たちの思いが込められていると考えたら、本が魂を持ってもおかしくないんじゃないかな?」


「えっと、まあ、そうなのかな……」


「もちろん、君は自分の頭がおかしくなったと考えるかもしれないけど、自分をそんなふうに思うのは精神衛生上、あまり良くないかな。それに、ぼくも自分の存在を否定されちゃうと、悲しいしね。ははは、もし、ぼくが心理学の本だったら役に立てたかもしれないけど、でも、ぼくのジャンルはミステリーだからね。残念残念、あははは!」


「すごい喋る……嫌ぁ……」


「あ、ネタバレはしないから安心して。それに君が読書に集中できるよう、読む間は黙っているよ」


「配慮もできるぅ……」


「まあ、今の状況のほうが、よっぽどミステリーだけどね。はははっ!」


「うるさ……」


「そういうわけで、さあ、どうぞ」と本に促され、彼女はおそるおそるページをめくり始めた。しばらくは集中できなかったが、次第に現実と空想の境目は滲むように消えていき、彼女は物語に没頭していった。

 もっとも、現実といっても、本が喋る今は非現実的だ。ただ、それとは関係なく、もともとその日のうちに読み終えるつもりはなかったので、彼女は一度本を閉じた。


「ふう……」


「また明日にするかい? それもいいね。毎日の楽しみになれば、作った人も本望だろう。本だけにね」


「いや、そんなにうまいこと言ってない気が……あっ!」


「どうしたの?」


「栞を挟むのを忘れちゃった」


「89ページだよ」


「おお、ありがとう……よし、と。そういえば、昔の本には紐がついているのに最近の本にはないよね」


「コストカットだね」


 考えてみれば、本好きの女と話す本だ。相性が悪いはずがない。彼女は次第に本との会話を楽しむようになり、以前よりもむしろ読書が楽しみになった。

 しかし、物語はいずれ終わりを迎えるものである。


「ふう……もうすぐ終わりね」


「……ん、ああ、そうだね。ここまで読んでくれてありがとう」


「こちらこそ、素敵な物語をありがとね」


「ふふふっ、そう言ってもらえて嬉しいよ。でも、あと数ページだから一気に読み終えると思っていたよ。どうしたの?」


「それなんだけど……読み終わったあと、本を閉じたらどうなるのかなって思って」


「……君も想像ついてるだろう。本を読み終わるということ。ぼくの役目は終わりというわけさ」


「そ、そんな……でも、読み返したり、人に貸したりすることだってできるよね?」


「もちろん、これからも人を楽しませることはできる。でも、こうして話せるのは最初の読者だけなんだ。新品の本の香りも、紙の張りも、やがて薄れていく。それと同じ。ぼくも消えゆく運命なのさ」


「でも、そんなのって悲しいよ……」


「いいんだよ。むしろ、ぼくのほうが楽しめたんじゃないかな」


「え?」


「読書する君の素敵な顔を、特等席で見られたんだからさ」


「……ありがとう」


「こちらこそ」


 さよなら。彼女は最後の一ページを読み終えるとそう呟き、本を閉じた。そして、こぼれ落ちた涙が染みないよう、胸にぎゅっと抱きしめたのだった。





「……おい、解説も読めよ」


「いや、余韻が!」

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