全力で「金貨」を選択する
わたしはもうスライの婚約者ではない。まだ正式ではないにしても、スライの中では彼とわたしは無関係なのだ。
ということは、わたしにはパーティーに参加する資格はない。
エントランスで去って行く王族の馬車を見つめつつ、どこかホッとした。
これで自由になれる。
だけど、まだ「愛」か「金貨」かの二択の選択がある。
そのとき、また馬車がやって来た。
紋章が刻印されていない、見たことのない馬車である。
「スミ・クローク公爵令嬢ですね?」
停止した馬車から降りてきた品のいい紳士が尋ねてきた。
「は、はい。あの……」
「怪しい者ではありません。ご案内したいところがございます」
「はい?」
品のいい紳士は、訳が分からず呆気に取られているわたしを強引に連れ去った。
そう。わたしは、連れ去られてしまったのである。
信じられなかった。
いまのこの状況がまったく信じられない。
品のいい紳士は、わたしをどこかの屋敷に連れ去った。そこには大勢のメイドたちがいて、わたしをあっという間に変えてしまった。
そう。変身、という言葉がピッタリなほど、メイドたちはわたしを変えてしまったのである。
そして、また馬車に乗せられ、運ばれてきたのが王宮だった。
公式には、わたしはまだ王子スライの婚約者である。王宮の門を通過することが出来た。
門衛たちは、五、六回わたしを見直していた。
それがすこしだけ可笑しかった。
それはともかく、わたしはいま宮殿の大広間にいる。
品のいい紳士にそう指示されたのだ。
人々の注目を恥ずかしいまでに浴びている。参加者たちは、わたしを見ながらヒソヒソ話をしている。
(場違いすぎるわたしを笑っているのね)
顔が真っ赤になっているらしく、火照っているのを感じる。
だけど、時間が経つにつれ落ち着いてきた。
わたし自身の心の中と周囲のわたしにたいする関心が、じょじょに落ち着き薄れてきた。
テーブル上の数々の料理がふと目に入った。
「グルルルル」
昨夜からなにも食べていない。
せっかくだし、お腹を満たすことにした。
一心不乱に食べた。食べに食べた。それこそ、いままでの分、いまの分、これから先の分が充分賄えるだけ食べ続けた。
食べることに専念しすぎていて、すぐうしろにスライと義姉が近づいてきていることに気がつかなかった。
「なんてことだ。化けたな。まぁまぁじゃないか」
空になったお皿をテーブル上に置き、げっぷをガマンしつつうしろを向いた。
スライと義姉がニヤニヤ笑いながらわたしを見ている。訂正。わたしを見下している。
美男美女、という形容がピッタリ。
それほどまでにふたりは美しい。
だけど、ただそれだけ。ふたりとも外見だけで中身は空っぽ。
お腹がいっぱいになると、急に強気になってきた。
「だが、外見だけだな。内面の陰気さや気味悪さはごまかせていない」
「そうなのよ。いつも地下室にこもってなにをしているのやら。本ばかり読んで、空想とか夢想とかして気味悪いったらないわ」
スライと義姉は、「どの口が言うのよ」と頬をつまみあげたくなるようなことを平気で言った。
それを皮切りに、彼らはわたしに関するありとあらゆる誹謗中傷を大声で言い合っては笑った。
そのふたりの騒がしさに、周囲に人が集まってきた。
周囲の人たちは呆れ返っている。
わたしにたいしてではなく、スライと義姉にたいして。
言わせるままにしておこう。嵐が去るのをじっと耐えよう。
前回のわたしならそうしたはず。
だけど、今回は違う。
きっとスライが表現するところの「化けた」上に、満腹になって気がおおきくなったのだ。
そのお蔭かもしれない。
スライと義姉が散々言っている途中、わたしの頭と心の中で同時になにかがキレた。「プツン」と音を立て、なにかがキレてしまった。
「王子殿下。わたしは、『金貨』を選択します。全力で『金貨』を選択します」
気がついたら、大広間に響き渡るほどの大声で叫んでいた。
「な、なんだって?」
突然のわたしの狂ったような叫びに、スライや義姉だけでなく大広間内の人々は驚いている。
「『金貨』を選択すると申し上げました」
「あ、ああ、ああ、あの話か」
スライは、やっと思い出したらしい。
「ほんとうに? 『金貨』でいいのか? 『愛』ではなく?」
「はい、王子殿下。わたしは、『金貨』を選びます」
「きいたか? 強欲な奴だ。おれの婚約者でありながら、おれより『金貨』を選んだぞ。おれへの愛や忠誠心はまったくないらしい。こんな奴が婚約者だなどと、ありえるか? しかも、公式の場で堂々と宣言するなどとは。それに、こいつはこのバーバラを虐げ続け、他の男と不義を重ねている。これらの罪は重い。よって、こいつとの婚約は破棄し、こいつは北の凍土に流刑と処す。そして、おれはこのバーバラと婚約する」
つぎは、スライの宣告が大広間内に響き渡った。
『愛』でも『金貨』でも、どちらを選択しても結果は同じなのだ。
そもそも、わたしに生き残る術はなかった。
どちらにしても、わたしは死ぬ運命だったのだ。
わたしは、またしても誤ったのだ。
その結果、二度目の死を迎えるのだ。
絶望に襲われた。
そのときである。