Ⅲ 君の慟哭、俺の叫び
刹那は、『椿春香』のことを何も聞かなかった。
逆に俺は、刹那に椿のことを聞きたくて聞きたくて仕方がなかった。
椿は、刹那の言うことが本当ならば、死神になっているはずだ。
何故なら。
何故なら、椿春香は二年前、学校の屋上から投身自殺していたのだから。
***
俺と椿は幼馴染で。そして彼女は俺の初恋の女の子で。
幼いときによくあるようなやり取りをよくしていた。
「春香、翔君のお嫁さんになる!」
「うん」
「ずっと、一緒だよ」
小学生までは下の名前で春香と呼んでいたが、さすがに小四になると恥ずかしくなって。そんなある日、
「椿」
と呼んだら、彼女は笑顔で「うわ、翔君が照れてる~」とからかった。
彼女が嫌いになったわけじゃなかった。ただ、ちょっと恥かしくて。
中学になるとずっと一緒だというわけにも行かなかった。
彼女と俺の仲は小学生のときほど親密ではなくなったけど、他の友達なんかよりはずっと近い関係だった。
少なくとも、俺は。俺はそう思っていた。
彼女は中学三年の時、屋上から自殺した。
***
…………なんか寝苦しい。
夜中、そう思って目を開けると、傍らに立っている刹那が俺の顔を覗き込んでいた。
俺はベッドから勢いよく身体を起こす。
「……!? 何してやがる!」
そう叫ぶと刹那は、
「翔君、うなされてたから」
と言った。
おかしなことに、いつもみたいな軽いノリはない。最初に会ったとき、死神の話になったときのような、抑揚のない、低い声だった。
どうした、そう聞こうと思ったとき刹那が言った。
「何の夢見てたんですか?」
そう言われて考えてみると、何を見ていたのか思い出せない。
幼い頃の夢だったような……?
うー、とかあーとか唸っていると刹那はことさら低い声で、確かめるように、聞いた。
「春香、さんのですね」
俺は唖然とした。
アホみたいに口を開けて呆けている俺と違って、刹那はどこか力強いような雰囲気を出している。
刹那に黒いローブは似合わないと思っていたが、今の刹那の雰囲気は死神にふさわしい、暗くて、どこか恐ろしいものがある。
刹那は話し続ける。
「学校で会った三浦君も話していましたね? 椿春香さんのことを」
「刹那」
「彼女はどういう理由で死んだの!? 自殺? 答えてっ!!」
刹那の口調が荒くなる。今にも俺を押し倒しそうな勢いで、シーツをギリリと握りしめていた。
ほんの一日しか過ごしていないけれど、刹那は普段こんなに口調は荒くないとわかる。
一体、彼女は何故春香のことを知りたがるのか。
一体、どれだけの思いで。
「……刹那」
「お願い、翔君……。 答えて……!!」
刹那の小さな拳が、シーツを握り締めたままぶるぶると震える。
『お願い、答えて』
今にも泣きそうな、悲痛な声。その声が、耳の奥で誰かの声に重なった。
聞きたくて仕方なかったことを聞くチャンスだ。だけど、今こんなに取り乱している刹那に聞けるだろうか。
椿春香は死神になっているのか、などと。
俺は口を開いた。 二年間、彼女の話題はなるべく出さなかった。
そのせいか、口に出そうと思っていた言葉は思った以上に、重い。
「………春香は、二年前の中学三年生のとき、投身自殺した。……即死だったよ」
それを聞いた途端、刹那は数秒呆けたように立ち尽くした。きっと深く被ったローブのしたでは目を見開いていることだろう。シーツを握り締めていた拳が開かれて、しわくちゃになったシーツが見える。
刹那はうわごとを言うように言った。
「……そうだったんだ。だから……、そうだったんですね」
刹那はしっかりと立って、フードの下から俺をしっかり見据えた。
次に口を開いた刹那はもう、普段どおりの刹那だった。
「すみません、取り乱しました。ねえ翔君、春香さんのこと聞きたくありませんか?」
思いもよらなかった。俺はためらいがちに聞く。
「いいのか?」
「ええ。 春香さんは、翔君も思っていたでしょうが死神になっていますよ」
「知ってるのか」
「ええ、………大親友です」
後半は、ゆっくりと大切そうに呟いた。
「死神で私ほど春香さんのことを知っている人はいないと思いますよ?」
そうなのか、と何故か声に出せなかった。
刹那はベッドに腰掛けた。
「会ったときに、魂の回収のことについて話しましたよね?」
「ああ、でもよくわからなかった」
「じゃあ、詳しくお話しますね」
そういうと、刹那は長い説明を始めた。
毎月はじめに、『死亡予定者リスト』が発布される。それには死亡予定者と、命日、死因、担当の死神が書かれている。
死因が自殺として書いてあるもの。この死亡予定者が死ぬと、死神になる。
しかし、死神の中では死因どころか死亡予定者も適当なのでは、という噂もある。
「どこまで適当なんだよ……」
「でも、これにはちゃんとした理由があるんですよ?」
世界の構成情報は、数だ。
何人の人間が死ぬか。何人の人間が死神になるか。数を違えればそれは世界の秩序を乱すことに繋がるが、数さえ合えばなんでもいいというわけだ。
その規律が守られているか調べる番人でも、いちいち誰が死んだ誰が死ななかったなどと調べるのは億劫だ。だから、数で決める。
「じゃあ、もしかして春香もお前も適当に死なせられたってことか?」
「かもしれないって話ですよ。だから、何人かの死神は神様に抗議しようって運動が始まってるらしいですよ」
「ふーん……」
「あ、あんまり興味ないって顔ですね? もしかしたら現世にも影響あるかもしれないですから覚えといてくださいね」
刹那は念を押す。
「ちゃんと、覚えておいてくださいね!」
「てか、もうすぐ俺死ぬんじゃ」
「その日にならないとわかりませんよ! 若者は希望を失っちゃいけません!」
刹那の熱血(?)発言を聞き流して、俺はもう一度寝ることにした。
刹那は俺の魂を回収するはずなのに、そんなこと言っていいのか。
だけど、なんだか楽しげな気分になったのだ。