Ⅰ ハイテンション死神女
「だぁ〜かぁ〜らぁ〜、私は死神なんですよ〜」
「ええいひっつくな気持ち悪い!」
俺は腕に引っ付いてくる黒ローブ少女と突き飛ばす。 するとそいつは
「ぐすっ……昔はあんなに優しかったのに……私はあなたをそんな風に育てた覚えはないよ!」
ローブの袖で顔を覆いながら言う。というか、俺はお前に育てられた覚えはないぞ。
黒ローブを顔が見えないほど目深に被った―――体格と声からして少女だろう―――は午前二時にいきなり俺の部屋のドアを蹴破って侵入し、こう言い放ったのである。
「私はあなたの魂を回収することになった死神です! さあさあ泣いて跪いて命乞いしなさい!」
さてこんなことを言われたとき、みなさんはどうするだろうか?
「さあさあ(以下略)」のセリフにキレる? それはもうやった。そう言った直後にドロップキックしてやった。
一応黒ローブなんて着てそれっぽい格好をしているが、まさかハイそうですかと納得するやつもいないと思う。当然、まあ多少の違いがあるだろうが、こんな対応をするんじゃないだろうか。
「何度が過ぎたイタズラしてやがる。 一千万払ったら警察に通報するのやめてやるから口止め料置いてさっさと帰れ」
「普通こんな対応しないです! イタズラじゃないんですよ、翔君」
「地の文にツッコミ入れるな―――って、え?」
―――こいつ、何で俺の名前を知ってるんだ?
こいつの言うとおり、俺の名前は翔。 吉田翔というのがフルネームだ。
俺がよっぽど間の抜けた顔をしていたのか、死神女はふっと笑ってから、ぺったんこの胸を大いにそらして言った。なんだろう、こいつに笑われるとすっげー腹が立つんだが。
「だから言ったでしょう? 死神だって。調書に書いてあることなら全部知ってるんだから! 例えばそう、テストでの最低点数は数学の四点だとか」
「なッ、何故それを!?」
そういうと、死神はフードの下からわずかに覗く口元をふっと歪ませた。なんだこのハードボイルドな雰囲気の笑いは。
「だから言ったじゃないですか。私はあなたのすべてを知っています」
さっきと言っていることが微妙に違う気がするが、まあいい。
死神女はどこからか白い紙を取り出して、その内容を読み上げた。
「じゃあ、正式な通達を読みますよ。―――『あなた様、吉田翔様は三日後に亡くなります。ですが、それまでの間に、あなた様が死を回避するポイントが存在すると予言されました。それを阻止するために死神を派遣します。それではご冥福をお祈りします』―――」
読み終えると死神は紙を空中で消し、胸を張って立った。代弁するなら“これで信じただろ”だ。
信じる要素が全く見当たらないんだが。数学の……あれは、まあ……調べればわかるんだろう、きっと。
何故そこまで調べるか分からないが。現実逃避?んなことしてないぞ。
「………で?」
「は?」
オレがそう言うと死神女は意外といった感じで聞き返してきた。
「何で? 普通、命乞いとかしない? なんでそんな平然としてられるの? 私が死神っぽくなくて怖くないから!?」
「全然死神っぽくないんだが。大体、死神とかそんなの信じないし。というか、今のでどう信じろと」
ぶっちゃけた話、俺は生きようが死のうがどうでもいいのだ。生きるんだったらそれを精一杯生きるだけだし、死ぬ運命ならそれを受け入れるまでだ。
我ながら無気力というか、中二病というか。運命に足掻いたところで何が変わるわけでもないだろうし。―――それに、アイツの所にも行けるしな。
死神女はオレの言葉を聞いた後、数秒間固まっていたが、やがて何故か力なく言った。
「……翔君の疑り深さ、昔から変わらないなぁ」
だから、お前と俺は今会ったばかりだぞ。
「とにかく! それを阻止するために三日間、あなたを見張らせてもらいます!」
威厳たっぷりに言ったが、俺より二十センチばかり身長が低いのであまり威厳は感じられない。
そこでふと気づいた事を言ってみる。
「なあ、死を回避されるとどうなるんだ?」
「そうですねぇ〜、その時は魂が回収できなくなるわけですから、担当の死神は冥界に帰ります。ですが、データ的には死神は人間界に降りて仕事をしているわけですのでその件は解決済み、つまり魂を回収したのと同じ扱いになってしまうわけですね。だから、その人がいざ死んだときに担当の死神がつかないんです」
大雑把な説明過ぎてよくわからなかった。
「悪い。もうちょっと詳しく教えてくれ」
「だから―――」
中略。こいつの言っていることは大雑把すぎた。
つまり。死神が人間界に降りること、というのはその日その死神に割り当てられた魂を回収した、ということとイコールだ。
死神が仕事に失敗することはまずあり得ないことで、前例はおよそ四百年前。江戸時代が続いたのと同じくらいの期間だ。
話を戻そう。
死神が出勤しているのだから、データ上はその日回収する魂はすでに死亡したものとして処理される。現代において、人一人が世界に及ぼす影響は限りなく小さいので、細々と生きている限りは「世界」はそう死んでいるはずの人間が生きている、という異常を感知しない。
……ので、死んだはずの人間が生き続けて、本当に死んだ場合。
データ上はとっくに処理されている案件に、わざわざ新しく担当が着く場合がない、ということだ。
俺は一瞬、書類が山積みの役所のオフィスを想像した。
吉田翔、と書かれた書類が未処理の箱に投函される。次の瞬間、デスクに座ったバーコードハゲのオッサンが「あーハイハイ、吉田さんね。その件は処理済みだわー」とだみ声でブツクサ言って、処理済のハンコを押す場面が。税金泥棒め。
「翔君、それは単なる思い込みというものです」
「うるせえ。大体考え方は同じだろ」というか、人の想像を勝手に覗き見るな。
「まあ、心配しなくても大丈夫ですよ。一度割り振られた仕事は完遂するのが死神の誇りとされていますし、担当である私もそれを誇りにしています」
「お前が担当とかそれこそ心配なんだが」
「何でですか! 私だって立派な死神ですよ! ほ、ほら、ちゃんと死神の鎌も持ってるし!」
死神の鎌とやらをぶんぶん振り回して主張する死神女。うん、確かに鎌だな。
凶悪な曲線と、なんか血みたいな跡が柄について、握り心地のよさそうなグリップ。ほら、命を刈り取る形をしてるだろう?
ただ、悲しいかな。サイズが小さすぎてどうにもそれが見慣れたものにしか見えなかった。具体的に言えば、学校の草むしりの時とかに見る。
「むう。いいんですよ。あなたなんて、担当の私が魂を回収しなければ、永遠に成仏できずにこの世を彷徨う運命なんだから」
「おい、それって」
「要するに幽霊になっちゃうってことですよ」
「ちゃんとやれよ仕事! そんなテキトーなシステム変えろよ!!」
俺がツッコミしつつ、拳を振り上げ詰め寄ると死神女はすかさずホールドアップ。
よほど俺が怖かったらしく、上ずった声で言った。
「で、でもっ。今までで数例しかないんですよ! “死を回避するポイント”が発生したこと自体が数百年ぶりなんです!! ほ、ほら、あまりにも例が少ないと日本の法も改正されないでしょう!? あれと同じですよ!」
死神女があんまりにも焦っているので俺は手を下ろした。それをみてふうっと死神女が安堵のため息をつく。こいつ、具体的な例を引っ張り出してきやがった。
死神女は俺のベッドの上でぽんぽん跳ね始める。
「ちゃんと話は聞いてやったが、まだ信じたわけじゃないからな」
「もう……なら明日のニュースを見てくださいよ。政治家さんが交通事故で亡くなっているはずです。
……え〜と、午前四時二十三分。車に乗っていたところを信号無視のトラックに突っ込まれ、意識不明の重体。うわっ……相当エグいことになってますね〜。近くの病院に搬送されるも午前五時三分にお亡くなりに」
またどこからか取り出した紙を読み上げた死神は続けた。
「この方の担当の秋月さんは仕事熱心な方なんで、魂は必ず回収してくれますよ」
「ちょっと待て。秋月、なんだ?」
「秋月ちなみさんです。生前歌手をなさってましたけど、知ってますよね?」
知らないはずがない。秋月ちなみといえば、有名な歌手で四年前に自殺している。
「死神は自殺した人間がなるんですよ。人の死に触れて、自らの過ちに気付くための罰なんです」
死神女は淡々と言う。わざと表情を消したように。ローブの下から見える口元には、さっきまでの笑みはなかった。
「もしかして、お前も……?」
「さて、説明も終わりましたし、私は一旦引っ込みます。私のことは刹那と呼んで下さい」
急にさっきまでの口調に戻って言う死神女、いや刹那。
刹那は律儀に「お邪魔しましたー」とか言って玄関から出て行った。
それにしても、「刹那」か。懐かしい名前を聞いたものだ。
その名を持つ主人公が出てくる物語を楽しそうに語る少女を思い出して、俺はふっと微笑んだ。