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僕らの土地まで、あと数百メートル程の所に来た時、突然白と黒が耳を立て、周囲の気配を探り始めた。
「どうしたの?何かいるの?」
龍人が尋ねるのと、二匹が飛び出すのはほぼ同時だった。龍人が慌てて追いかけると、前方から何かが争うような声が聞こえてきて、かなりの集団が森の中へと走っていくのが見えた。
ようやく辿り着いたトンネル前の広場では、戦闘は既に終結しており、おそらく白と黒に仕留められたのであろう体長二メートルほどの大きな猪が四頭転がっており、殆どのサツマイモがほじくり出されて、畑はボロボロの状態だった。
僅か二日ほど留守にしただけで、自分達が汗を流して作った畑を荒らされた怒りと、白と黒に任せきりで対策を疎かにしていた自分の情けなさに腹が立って、八つ当たりぎみに猪の頭を切り落とし、血抜きの為に今回は外に吊るしてやった。
それが抑止効果になればと思っての行動だったが、これはちょっと龍人の常識からは外れていたのか、翌日落ち着いてからは、少し反省していたように見えた。
ーーー
猪の解体を終えた龍人は、改めて土地を整備し直すことに決め、早速簡単な図面を引き始めた。
先日向かった方角が川の上流と考えられるので、トンネルから出て左側の、東の方向に水田を設置することに決め、奥行き十五メートル、幅四十メートル程に区画を作り、雑草を刈り、大きな石を周囲に移動し、水田と崖の間に簡単な水路を作るように工夫し、更に隣には水を多く使用するであろう、トマトやきゅうり、茄子やかぼちゃ等を作る区画を作り、周囲には一定の間隔を開けて、甘味も十分にあることを確認した元の世界に良く似た、森で見つけた林檎や桃、蜜柑や梨を植え、西側の崖沿いには、ブドウやキウイフルーツを植えることにした。
更にトンネルから流れ出て水田横を走る水路には、先日見つけた山葵を更に追加で採集して移植し、崖の所に自生していたチャノキ周辺に生えていたチャノキの幼木も移植し、チャの実も植えてみた。
残りの区画は六つに分け、五つを大豆畑、とうもろこし畑、小麦畑、サツマイモ畑でジャガイモ畑とし、残った一区画で大根やカブ、白菜、キャベツを作るように決めた。
本当なら大根やキャベツ等の畑は、もっとスペースを取りたかったが、この荒れ地の探索だけでは、元になる野菜を見つけることができなかったのが、このような作付けとなった一番の理由である。
一人分の畑と考えれば、かなりの余裕があると言えるが、白と黒がどれだけ大きくなるかも判らず、冬の間に確保できる食糧も全く計算できない為に、龍人の性格も影響したのか、順調に行けばかなりの備蓄量となるはずだった。
陽も短くなり、少し冷たい風が吹き始めた頃、種籾の確保の為に川へと向かうと、川の表面が異様に波打っていることに気付き、本流の方へと向かうと、川には無数の鮭がひしめき合うように、先を争いながら遡上しているのを発見した。
白と黒が早速川へと入り、前肢を器用に使いながら、鮭を次々と川原へ打ち上げ、僅かな時間で、自作の荷車に山のような鮭が確保できた。
その日の種籾の確保は一旦諦め、急いでトンネルへと戻り、内蔵と筋子を取りだし、残りの鮭をどうするか悩んだ龍人は、トンネルの奥が冷凍庫のように寒かったのを思いだし、作業の済んだ鮭を荷車に積んで、今まで入ったことのない程の奥へと足を進めていくと、先がうっすらと明るく輝いていることに気づいた。
疑問に思った龍人が一旦荷車を置き、様子を見なから白と黒と共に奥へと進むと、トンネルの終わりは巨大な空間へと繋がっており、目の前に青白く輝く凍りつい巨大な湖が広がっていた。対岸は確認できないほど遠くにあり、その天井はうっすらと蒼く輝いていた。
「……な…なんだこれ?」
その光景の凄まじいまでの迫力に圧倒され、暫くの間、一人と二匹は呆然と立ち尽くしていたが、自分達がここに来た目的も思い出し、ここなら氷の上に鮭を並べるだけで冷凍保存が可能だと考え、荷車で持ってきた鮭を湖の端に横一列に並べた。
「しかし、凄い光景だな。ここにもし神様が住んでいたら、起こらないかな……お供えぐらいに思ってくれたら嬉しいかも。」
そう言いながら帰ろうとした龍人は、腰ほどの高さの壁の一層がキラキラと輝いているのに気がついた。
「……なんだ?水晶?なんかの鉱石かな?でも、こんな層になるような鉱石ってあったかな?」
そう言いながら、それに手を触れなぞっていくと、一部がポロリと剥がれ落ちた。
「な、なんだ?意外と脆いんだなぁ。ん?もしかして……」
龍人は、おそるおそるその欠片をペロッと舐めてみて確信した。
「よっしゃあ!岩塩ゲットだぜぇ!採集スイッチオン!」
そう言いながら、持ってきたスコップでその層を削り、荷車に山と積み上げると、意気揚々ともと来た道を戻り始めた。
「これでもう塩の心配はなくなる。味噌も醤油も作れるし、皮の鞣しも出きるようになるかもしれない。生活レベルをグッと上げれるかもしれない。」
龍人は、ここに転移できて本当に良かったと思うことができた。
冷凍庫も冷蔵庫もあるし、水も無限にある。それ以外にも塩や胡椒、諸々の野菜や穀物、元の世界では困難なはずの生活が、狭いスペースで十分に可能になるほど恵まれている。これ程の幸運はないと実感していた。
そんなこともあり、それからの日課は、午前中に畑仕事を済ませ、午後からは川へ鮭を取りに出かけ、帰りに温泉に浸かってから帰ってくるというスケジュールに落ち着いた。
一ヶ月程で種籾も全て収穫し、鮭も十分すぎるほど確保できたと思っていた時に、そいつは突然出現した。
「「ウゥゥゥゥ!」」
白と黒が同時に警戒の唸り声を上げたことで、龍人が周囲を確認すると、上流の風上の方角にポツンと黒い塊のようなものが見えた。
「な、なんだ?」
龍人が岩陰に隠れ、それをじっくりと観察すると、そいつは川の中でバシャバシャと何かをしているように見えた。
距離的には五百メートル程は離れており、詳細は不明だったが、龍人には思い当たる生物が居た。
「鮭といったら熊でしょ!」
これだけ遠方であるにも関わらず、あれ程の大きさに見えるということは、周囲の岩や木の状況から見て、体高は3メートル以上あることが推測できた。今の白と黒が体長一メートルあるといっても、あいつ相手では簡単には勝利できないし、万が一怪我をすれば命も危ないと考え、龍人は撤退を決意し、その日はトンネルへと帰還した。
「暫く川には行かない方が良いな。跡をつけられたらヤバイことになるし。」
そう呟いた龍人は、しっかりとフラグを立ててしまっていた。その際に、種籾を収穫しに出向いた時に、たまたま見つけた紫色の花を付けた草をの集落を根こそぎ採取したことが役に立ったことは、この時の龍人には知るよしもなかった。




